Secret 年代記

BACK TOP


覇嵐の章


U Ill will, will

 殺戮の王の下で働き続けた。
 崔繍の賢者の名に恥じない働きを、それを思い続けて。
 その王が退いた後、俺は、新たな王の王佐にまで上り詰めた。
 そして――――


 血の海。
 そこは、王位を退いたかつての王の部屋。
 沈む侍女と侍従。
 むせ返るほどの血の臭気。
 部屋の中央のソファに、美しい男が寝そべる。だらりと腕を床に垂らして、その頬にも返り血を浴びて。
 純白のはずの部屋に、散るのは血の赤と、男の漆黒の髪。
「待っていた……」
 こちらを見ずに、言った。いや、見るはずはない。そもそも両目の光は失っている。
「貴方はもう、この国にとって害でしかない。死んでいただく」
 口にしながらも、こめかみを冷や汗が伝う。聞こえているかも分からないというのに。
 いつでも感じるのは圧倒的な存在感だ……両の眼が見えていないはずなのに、恐ろしい。
「貴方はもう王ではない」
 だから殺してもいいのだと、己に言い聞かせる。
「オウ?」
 知らない言葉を聞いたとでも言うように、貴方は上体を起こした。
 一日に一度、俺は様子を見に来る。
 ずっと前から、ふと思いついたように周囲の人を殺してきた貴方。今では身の回りを整える侍女達を殺す。
 いつか息子さえ殺そうとこの部屋を抜け出すのではないか、そう恐れているから、私は来る。まともな貴方の息子を、この国に今必要な王を、殺してしまうのではないか、と。
 けれどそれはいつも杞憂だ。貴方は、絶対に部屋を出ることはなかった。
 ここは佳沚補佐官の死んだ場所。
 この男が光を失った場所。
 そしてその後、幾人もの血で塗られていった、殺戮の部屋。
 誰が来ても、いつも言葉は同じだ。
 待っていた、と。
 貴方は、何を待っているのだ。
「王でない貴方は、必要ないのです」
 この男の息子である現在の王は、自分の実の父であるのに、貴方を絶対にこの部屋から出さないように厳命した。戯れのように人を殺し続ける男を閉じ込めるという、正しい選択だ。殺さないことは、先王へのせめてもの慈悲と敬意だった。民はこのことを……先王が狂っていることを、知らない。
 こうして俺がたびたびここを訪れることに、息子はいい顔はしない。己の父親よりも、王佐であるお前に何かあったらどうするのだと、俺を心配する。
 正気を失った存在は、実の父であろうと先王であろうと、煩わしい、と。気にかける必要もない、と。
 それでいいのだろう。誰も異論を唱えない。
「オウ?」
 白濁した瞳がこちらを見る。
 今日で終わりだ。終わりにする。
 すると、何かを感じたのだろうか。
 刹那貴方の手に現れるのは、刻の剣。
 王位と共に譲り渡すはずのそれを、いまだに貴方は所持し続けている。
「貴方は王ではない。だから、死ぬべきだった。もっと、早く」
 王でなくなった、そのときに。そう思う。
 剣を構える。
 貴方を殺すためだけに、俺は死に物狂いで強くなった。
 それでも勝てる保証はない。
 貴方はあまりに強すぎた。腕に覚えのある侍従が次々に殺されるくらいには。
 息の止まるような静寂を裂いて、俺は懐に飛び込む。

 一瞬。


 剣を、貴方が、ほんのわずか、引く。


 生ぬるい血潮が手のひらにかかる。感触が、生々しく手のひらを伝う。
 ソファに縫いとめるように、深々と俺の剣が貴方に突き刺さる。
 刻の剣は、その手から落ちた。
 老いてなお秀麗な顔が、目の前にある。
 そこから逃れるように、ずるりと、剣を引き抜いた。
 とめどなく流れる血は、俺のものではない。目前の、貴方の、もの。
 殺した……?
 勝った、と?
 白く濁った瞳を、真っ赤に染まる男を、俺は認める。胸が微かに上下しているが、もう長くないだろう。
 これで終わったのだろうか。俺自身も剣を放り出して、踵を返した。
 その時――――
「錬棋――――」
 はっと振り向く。
 微かに、唇が……――――。



 開け放した扉から、偶然通りかかった官吏が息を呑んで惨状を見る。一拍遅れて声を上げた。
「錬棋様、こ、これは?!」
 もういい。全て、終わった。
「……俺が殺した。王族殺しだ。俺を、殺せ」
 淡々と言う。
 言われても動揺して動けない官が立ち尽くしている。
 そこへ、銀の瞳を持つ王が現れた。
 愚王ではない。血まみれの俺を見れば、何が起こったのかすぐに理解できるだろう。
「錬棋……お前、まさか……」
 案の定、俺を凝視する。
 未熟な王。狂気の王の血を引いているのに、とても穏やかで強かな王。
 涌王と藍王があまりにも似なかったように、この王もまたあまりに似ていない。
 俺がいなくとも、よく国を治めることだろう。
「陛下、今すぐ王佐の任を解いてください。俺が――――」
「父上は、自害なさったのだな」
 遮られる。思いもかけない言葉によって。
「そうだな、錬棋?」
 何を言うのだ。解っているのだろう、お前も。
 何も言わない俺に、再び問う。
「そうだな、錬棋」

 あぁ――――何て、

「はい、そうです」

 何て、滑稽なのだ。
 結局いつも、“王”の思うがまま。
「錬棋、会談が控えている。支度を」
「仰せのままに」
 血まみれの上着を脱ぎ捨てて、足早に廊下を進む。
 王を殺して、一族の仇を討って。
 勝ったのは、俺だ。
 だが……――――ならばなぜ……笑った……?
「ふ……くっ……くく……」
 笑ったのだ、確かに、あの男は。
 なぜ?
 本当は、死にたかった?
 それとももう、死んでいたとでもいうのか?
「俺は」
 結局、貴方の掌の上だ……。
 事切れる直前、その唇が囁いた。
 聞こえなかったけれど、なぜか、聴こえた。

 ――――それでも、王は私だろう?

 そうだ。
 どんなに否定しても、貴方は、真実の王だった。
 真実の王に仕えることが、俺の願い。
 その命を絶つことさえ……王に仕えるものとしての、務め……。
 私怨だと、言い聞かせてきただけ。
 あぁ……貴方を恨みましょう。
 それが、俺の願いだから。
 一族の仇だと言って、貴方を憎みたかった。けれどそれも出来なかった。
 ただひたすらに王へ仕えた。
 それこそが義務だと。
 どれほど自己矛盾を感じても、死を選ぶことさえ出来ずに。
 だからこの涙など、何の意味もなさない。
「……はは……く……は……」
 ならば。


 命尽きるまで踊り続けよう。
 貴方の掌の上で――――。


BACK TOP


Copyright(c) 2012 Sui all rights reserved. inserted by FC2 system