屋上の蜃気楼
(一)
真夏のギラギラした太陽が、俺の頭上を容赦なく照らしつけている。
「あっちぃ────」
コンクリートは灼熱。
靴を履いているのに、足の裏は焼け付くようだ。おまけにここは、何の障害物もない屋上。
本日はほぼ無風。入道雲が、遠くの山で俺をあざ笑う。
あれはカキ氷。あれは扇風機。あ、あの雲、宇宙人っぽい。
変な形の雲を見ながらそう思った。これはそうとう……頭までキてる。
足元のコンクリートから、少し先のほうへ視線を走らせると、洗濯物の干されていない古い物干し台のあたりが揺らめいている。まるで熱にとけたような、水面に似たゆらめき。
それが目の錯覚だと分かっていても、そこから何か這い上がってきそうな気がする。たとえば、アメーバのようなモンスターとか。ゲームではよくある設定かもしれない。
どうせなら、泉の女神でも現れないだろうか。
あなたの落としたのは、金の延べ棒? 銀の延べ棒? それとも、わ・た・し?
いやまて、ありえない。戻って来い俺。
有名な斧の童話とまだ見ぬ恋人へのイメージ願望が混ざり合い、暑さで滝のように流れた汗のひとしずくが目の中に入って我に返った。痛い。しみる。
もう喉がカラカラだ。やっぱり女神には水を頼もう。いや、とにかく早く下りよう。
暑さにだらけそうになる自分をどうにか御して、ソーラーパネルの状態をチェックし、掃除をする。
あぁー、日影が欲しい。
こんな場所に設置するなんて、家主は非常識だ。俺に不親切だ。
ソーラーパネルなんだから屋上にあるのは当たり前だが、そんなことは棚に上げて顔も知らない事業主を非難する。
ひたすら点検。
何も真夏にやることはないだろう。
計画を立てたバカの顔を拝みたい。自分でやってみろ。
だが、いくらここで不満を募らせたところで、今日の仕事は決まっている。
だらだらとやっても終わらないし、第一余計に暑くなるだけだ。
もうすぐ二時を過ぎる。さすがに暑くてやってられない。
実は、この時間のために取っておいた昼休みがある。この仕事をする同僚のほとんどが、一番暑さの過酷なこの時間帯に休憩をとることにしているのだ。
早く終わらせて、昼の休憩にしよう。
頭にかぶったタオルで汗を拭き、何とか気合を入れる。
熱でとけそうな頭を働かせ、汗で滑りそうな手を動かしている途中、なぜか遠くの雲が俺を笑っているように感じた。
今年の夏は暑い。
涼しいクーラーの中で頭脳労働してるお役所の連中より、明らかに俺の方が大変だと思う。誰が何と言おうと、大変だ。そうに決まってる。
それなのに給料は変わらない。かえって向こうがいいだろう。
賃金は必ずしも苦労した分だけかえってくるとは言えない。
とか言ってみたが、ようは俺が勉強しなかった報い。
クーラーの中で働いてる連中にも、一応苦労はあったはずだ。でもムカツク。
こんな会社、できれば今すぐ辞めてやりたい。だが現実には、俺を雇ってくれてなおかつ今より労働条件のいい職場なんて、このご時世そうそう転がってない。
「辞めたら親父に殴られるだろうしなー」
会社に入ってようやく一年ちょっと、両親には色々と迷惑もかけた手前、辞めたいから辞めたと言ったらさすがにまずい。
親父のように「馬鹿やろう勘当だ!」と言われるならまだいい。
しかしおふくろはきっと、涙で俺を非難するに違いない。
そう、「こんな親不孝な子に育って……」といった具合の視線で俺を見るのだ。
あーそれ、絶対に無理。
それにしたって、今はこんなに親思いなのに、それがいまひとつ伝わっていないところが悔しい。
ま、散々迷惑をかけまくった学生時代を思えば、仕方のないことか。
とにかく俺は親孝行な息子になろうと決めたのだ。
思えば成績も素行も芳しくなかった中・高生時代。屋上の鍵をこっそり拝借して開けては、屋上で授業サボったっけ……。
学校の屋上には、ここよりも大きな貯水タンクがいくつかあって、その影が涼しかったよな。
────……あれ?
そういえばあの貯水タンク、窓っぽいものが付いてなかったか?
いやいや、そんなものタンクに必要ないだろう。夢だろうな。やっぱ暑すぎて頭がどうかしたらしい。
……でもなぁ。夢なんて、そんな何年も前のこといきなり思い出したりするもんかなぁ……?
今まで思い出しもしなかったんだし、ちょっと突然な気もするような……。
それに夢にしちゃかなり鮮明な感じがするし……なんだ、これ。
この暑いのに、ない頭を使って悩む。余計暑い。
つ、とこめかみを伝って、ややとがったあごから汗が落ちる。
熱中症になりそうだ。
……あ、もしかしてあの変な夢っぽいのって、実は夢でもなんでもなくて、当時の俺の熱中症の症状か? それとも単なる妄想か? でも、熱中症に幻覚とか妄想なんて症状あったっけ……。
「健治、そろそろ休憩入れるぞー」
もはや何を考えているのかよく分からない俺のぼやけた頭に、現実の声が聞こえてきた。
錆てきた屋上のドアは鉄のキィという音をさせて開く。
汗だくなのに爽やかな笑顔でニコニコと手を振っているのが、俺の名前を呼んだ声の主だ。
佐藤天彦。中学の頃こっちに転校してきて、以来俺とは腐れ縁だ。
俺よりはるかに成績がよかったはずなのに、受けた高校はことごとく落ちて俺と同じ高校に進学することになる。
さらに家庭の事情で大学進学を諦めた天彦は、俺と同様就活にいそしんだ。
優秀な天彦はすぐに就職先が決まり、対する俺はまじめに就活をしなかったせいもあって、内定は一つももらえなかった。
俺はバイト生活まっしぐら。ニートよりましだろ。
しかし就職の決まっていた会社は、天彦が就職して半年後、急に倒産する。
そこらへんの事情は知らないが、天彦はここぞというときに運の悪いやつだなぁと思う。
で、卒業まで就職の決まらなかった俺と職を失った天彦は、同じ飲食店でバイトをして半年ほどを過ごした。
そしてその間に受けまくった(この頃から俺は考えを改めた)企業のひとつに、俺と天彦は一緒に採用されることになったのだ。
学生時代、俺とは段違いに成績もよく俺より相当素行もよかったにもかかわらず、天彦は俺と友達だった。
友達がいのあるやつだなと今になってしみじみ思う。
それに、人間ができてる。
「健治、どうした? なんかぼーっとしてるよ?」
ほら、今も冷たいお茶をさりげなく差し出している。
気のつくやつだ。俺とは器が違う。
「暑さにやられた。今日ほんっと暑い」
「だね。ま、夏を乗り切れば快適な秋が来るし、ポジティブに考えようよ」
言って彼は笑った。
「ソラのポジティブなとこ、分けて」
俺だと、秋の次に極寒の冬が来ることに考えが行くし。
お好きなだけどーぞ、と笑いながら言う。
簡単にもらえるもんならもらってるよ。あー暑い。
「お前って昔からそうだったもんなー」
俺の言葉に疑問符を浮かべて、先に階段を下りている天彦は俺を見上げる。
親切に俺は補足してやった。
「超ポジティブ。常に爽やか」
照れるなーと言いながら階段を下りる。そこへ俺はすかさず言った。
「で、運が悪い」
俺が言うと、あら? と天彦はこけた。
「うらやましがられてはいないわけだ」
「うらやましい部分もあるけどね」
「運の悪さはいらないって? でも、そんなに運が悪いとも思わないけどなー」
「ほら、その辺がポジティブ」
高校受験の不合格報告を俺にしてきたときも、嫌味とか負け惜しみじゃなく、本気で天彦は俺と同じ学校に行けることを喜んでいた。わざと落ちたのかを疑ったくらいだ。
思えば、出会ったときからこいつは……?
あれ? 初対面ってどんなだったっけ。
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