Secret 年代記

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双珠の章


T-5

『あぶないっ……!』
 倒れこんだのは、大切な友達だった。
 そう、雪架だ。
 真っ赤に染まった背中を生々しく記憶している。
 俺をかばって背中に大きな傷を負った幼い雪架は、それから高熱を出して生死の境を何日もさまよい、しばらく立ち上がることもできなかった。
 大人たちは大丈夫だと俺に言い聞かせたが、実はそれも嘘だと知っていた。とても危ない状況だと医者が言っているのを聞いてしまったのだ。
 倒れこんだ雪架を見た時の衝撃は、今思い出してもぞっとする。
 人はこんなにも簡単に死んでしまいそうなるのだと思い知った。そして、こんな状況がいつ起きてもおかしくない場所に自分は立っているのだと、初めて自覚したのだ。命を狙われる王子という身分を、ようやくいくらか正確に理解しはじめた。
 その時に、こんなことが二度と起こらないように、強くなろうと決意したのだった。
 ところが、負けないくらい雪架が強くなってしまったので、今でもかえって俺は護衛される側に回っている。
 まぁ、守られるのも王族の義務のようなものだ。そう普段は割り切っている。
 けれどふとしたとき……そう、気を失った雪架を見たとき、俺は割り切った気持ちを忘れていた。
 物心ついた頃には……きっとつくよりも前から、雪架は俺の唯一の遊び相手だった。
 王子と補佐官候補という立場を決して取り払わないながらも、雪架は俺にあまり遠慮したりはしなかった。遊びとなると、対等な関係に限りなく近かった。それを俺が望んでいることを良く分かっていたのだ。
 雪架は誰よりも……そう、実の両親よりも、俺と同じ時間を過ごしている。
 だからこんなことをすれば、今頃は怒っていることも、心配してくれていることも、想像に難くない。
 捕まったのはまずかったと思いながら、同じ状況があればきっと何度でも俺は雪架を助けるだろうなと、王にあるまじきことを思っていた。


 両手両足を枷で拘束されて、数日間同じ体勢を強いられているせいで、さすがの俺も疲労困憊だ。時折意識が飛ぶのも、仕方がないと思う。日の光も入らないので、どのくらい時間が経ったのかも分からない。眠らせず、ろくに食わせず……ずいぶん古典的だが効果的なものだと身をもって感じている。
「首を縦に振ってはもらえませんか? あなたが署名して下されば、すぐにでも開放いたします」
「嫌だね」
 それでもさらっとこういう言葉の吐ける自分を、自分で少し見直してみる。俺には一応根性があるようだ。
「領地に執着しないのがお国柄ではなかったのですか?」
 俺を壁に貼り付けてなお、鉄格子の向こうからしか話しかけてこない。俺が珍獣か猛獣にでも見えるのだろう。
「こういうやり方は嫌いだな」
 拷問までしておいて、自分達はあくまで正当な取引をしているつもりなのが、怒りを通り越して呆れる。王族は捕虜にしてもそれなりの待遇をするのが常識なのだが、故意にそれを忘れているようだ。
「それにあれは一応国の持ち物だからな、俺はたまたま預かっているだけだ。俺の一存で決められるはずがないだろう」
「それができるのが、崔繍王家の力でしょう?」
「悪いが、俺は一存って言葉が苦手でね。どうにも優柔不断なんだ」
 すると虚勢に見えるのか、この城の主らしい男は失笑と共に言った。
「では、決断する気になるのを待たせていただきますよ」
「随分と悠長なことだ」
「時間ならあるでしょう? 首謀者が我々だと突き止められたところで、ここに突入するだけの軍事力がどこにあるというのです? ましてや、それだけの決断力など。貴方の命を握っているのは、あくまでこちら側なのですから」
 形だけは正式な書類だ。どんな不当な状況で俺が署名したとしても、その効力だけは間違いない。さっさと署名してなかったことにしてしまおうかとも思ったのだが、さすがにそう簡単に破棄させてはくれないようだ。大々的に公表してから、俺を解放するか、あるいは殺してしまうことさえ辞さないつもりなのだろう。
 そうなってから俺に対する不当な扱いを理由に宣戦布告するという手もあるが、崔繍には戦力が足りない。こんなときは、やっぱり軍備をしこうかと本気で考えてしまう。
 黙りこんだ俺に満足したのか、笑いながら言った。
「色よい返事が聞けるのをお待ちしております。どうぞいつでもお申し付けください」
 俺は城主の思惑が的外れであることも、実は知っている。
 崔繍の誇る政治集団“賢者”は俺一人の命がかかっているといっても軽々しく動くはずはない。いざとなったら切り捨てろという俺の考えくらい汲む。だから例えば俺の身柄を預かっていると使者を立て取引を持ちかけたところで、協議しますとか本当に王本人なのか確認させていただかなくてはとか難癖をつけて、話を引き伸ばすはずだ。
 反対に雪架は、何がなんでも絶対に俺を助けに来るだろう。
 自惚れかもしれないが、雪架には俺を切り捨てることはできない。
「悪いが時間の無駄だろうよ」
「その言葉がいつまで聞けるか、楽しみにしておりますよ」
 薄く笑って見せた顔に、嫌なものを感じる。
 全く、どんな拷問でもするつもりなのか……嫌な趣味だ。
 死なない程度にしてもらわないと困るなと、馬鹿な心配をしていた自分に苦笑した。

 一人になると、俺は思いつきで試しに言ってみることにした。
 俺は“刻の支配者”と契約を交わした正統な崔繍の王位継承者、“刻の王”だ。つまり、応えがあるはずだ。
「おい、刻の支配者、俺の声が聞こえるか?」
 単なる独り言で終わるか、と思った、その時。
『久しぶりだな、響』
 頭に直接響く声が、俺を呼んだ。人ならぬ存在、時空の狭間に棲むという刻の支配者だ。はるか昔から崔繍の王と契約を交わし、刻の加護を与えてきたと言われているのだが、俺自身は刻の能力がそれほど強くないので普段はあまり接触がない。
『随分大変そうだが、助けが必要か?』
『いや、今のところはまだ……もうちょっと死にそうになってから頼もうか。俺の能力は、それほどの術が使えるほどじゃない。そうだな?』
『あぁ。だが死ぬ前にしろよ? それで、違うならなんだ?』
『どのくらい経った? 俺はここに、一体何日くらいいるんだ?』
『7日だ』
 成る程、道理で体力が落ちるわけだ。
『響、お前は死ぬには早い。無茶をするのはいいが、息子がもう少し大きくなるまではもたせるんだな』
 それはそうだ。まだ言葉もろくに話さない小さな子どもに王位を譲るのは、いくらなんでも早すぎる。ついでにまだ新婚のつもりでいるほどいい女を、未亡人にする気もない。
『そのつもりだ』
 すると刻の支配者は、少し笑ったようだった。表情など当然分からないが、そんな気がした。
『それに、お前のことを心配する男がいるからな。後追い自殺くらいじゃすまされないぞ?』
 ややおどけた調子で刻の支配者は言う。もっともな指摘だ。
 妻や子どもより、ある意味で心配な男なのだ。
『分かってるよ』
 この会話はさすがに、意識が朦朧としているために生み出した自分の妄想じゃないよな、と馬鹿なことを考えながら、響は考えをめぐらせた。
 さっさと署名してしまって、命をおそらくは助けてもらう場合と、意地を張って死んでしまう場合。リスクが高いのはどちらだ?
 何度考えても、響は自分が死ぬほうがましだという結論に達する。
 もしも雪架や賢者達がいたならば、あまりにも己の価値を正確に理解していないと非難するところだ。この状況なら王は確かに死ぬほうを選ぶのが正解なのだが、響は優れた王なのだ。簡単に手放せるほど安い王ではない。
 ところが本人だけがそれをどうしても分かってくれていない。響は自分の立場は理解していても、価値まで正しく認識しているとは言いがたかった。
 だから響は、とりあえず待っていれば雪架が来るだろうと楽観的な結論を出して、疲れきった意識をほんのわずか手放した。


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