Secret 年代記

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鶯遷の章


V-2

 それから数日後、国境近くを偵察した凰の報告により、既に籐伽の軍勢が迫っていることが分かった。
 そうなると、いくら凰が自由自在に移動できるとしても、書状を出し、日程を調整して訪問という事務的な手続きの多い、国王に直接会って掛け合うという手段では間に合わない。籐伽は、王族の権威を保たねばならないという理由から、単身で王宮を訪ねても入城が難しい。豪奢な馬車で何日もかけて行かなければ、国王に会うことなどできないだろう。それほど王制が凝り固まった国なのだ。
 ならば直接、前線の将に話を通すしかない。
 事態は火急を要するとのことで、凰は予定していた重要な賓客との会談など出来るだけ日程を調整し、予定を空けて軍に乗り込む手はずを整えた。
 目的はあくまで交渉。凰1人で行くのだから、当たり前だ。
 凰の顔を知る者はいないかもしれない。だが、凰の力は国外にも知れ渡っている。目の当たりにして信じないわけにはいかないだろう。凰はそれほどに常識はずれな、一般的な能力の基準をはるかに超えた術を用いることができるのだ。
 凰の強さは、崔繍建国の折に世界を揺るがせた。
 通常倒れた直後の国とは、周辺諸国の格好の餌食である。新体制が出来上がる前に、自国の領地に取り込んでしまおうという国は多い。
 しかし、崔繍の場合はそれが出来なかった。凰が、その絶対的な力で国境の侵犯を食い止めたからだ。そうするうちに体制は恐るべき速さで確立された。崔繍は国家としては、一夜で大国へのし上がったといっても過言ではない。
 そんな夢のような体制は、当然のことながら長続きしない。気を抜けば一瞬で崩壊しかねない。
 ずっと凰はそんなふうに思っていた。それが現実にならないように、今までどうにか持ちこたえてきたつもりだ。
 そのためには、どんな犠牲も払ってきた。
 ────俺の歩いてきた道には、美しいものなど残されていない。
 これからも、きっと自分には、同じようにしか国を守ることはできないのだろう。たとえそれが、この手を汚す方法であったとしても。
 出発の直前、城の窓から中庭を見下ろしていると、隅にある石造りの長椅子でのん気な顔をして法学書を枕に昼寝をする洵が見えた。
 国を侵されそうなこんな状況とは逆の、そのあまりに平和な光景がうれしくて、凰は息子に会いに行こうと足を向ける。
 のんびり中庭まで行くと、まだそこで洵は寝転がっている。覗き込むように息子を真上から見下ろすと、影に気づいたのか洵は目を開けた。寝ぼけ眼で何の用かと聞いてくる。
「洵、少し城を留守にする。後のことは頼んだぞ」
「え、うん。城下じゃないんだ」
 洵は正装した父の様子に目を留める。
「あぁ」
 凰は目ざとい指摘を何事もなく受け流す。だが、何かを察したのか、洵は健気な言葉を凰にかける。
「父さん、どこに行くかは聞かないでおくけど、気をつけてね」
「分かった。お前もあんまりぼけっとしてないで、少しは勉強しろよ」
「はーい」
 不服そうだが素直に返事をする洵は、同じ年頃の少年たちと比べても少し幼さを残しているだろう。
 一国の王子というには、少し純粋に育ちすぎた気がする。まぁ、悪くはない。
 ぽんと頭を叩いて、凰は中庭を後にする。その背を洵が思いがけず呼び止めた。
「ねぇ父さん! あのさ、俺は父さんが正しいことをしてるって、いつも思ってるから!」
 全く、変なところで聡い息子だ。
 凰はそう思いながら、別のことを言う。
「清が来たぞ」
「あわ、じゃ、またね父さん!」
 少しだけ軽くなった気持ちで、凰は国境の町へと跳んだ。


「将軍閣下へ、目通りを願い出ている者がおります」
「誰だ?」
「この先の町の長官とか。一刻も早く会いたいとのことですが、どうされますか?」
「わざわざ私でなくとも、良いのではないのか?」
「将軍閣下にしかお話しないと、言っているようです」
「なるほど……交渉にでも来たか? いいだろう、通せ。持ち物は改めろよ」
「はっ」
 いくらもしないうちに、藤伽国将軍の前に2人が姿を現した。
 それは一見して奇妙な組み合わせだった。
 1人はこの国ならばさして珍しくもない黒髪の、壮年の男。身なりといい、所作からにじむ気品といい、この男がその長官だろう。もう1人は豪奢な金髪の大男だ。こちらのほうが、やや若そうに見える。一歩下がっているにもかかわらず、大男は泰然としていて控えめな態度は微塵もなかった。それどころか、緊張してしかるべきこの会談を、面白がっている風でもある。
 礼を払う気がないのか、2人は無遠慮に将軍に視線を向けた。不快を隠すことなく、将軍は口を開く。
「用件を申せ」
「用件は一つ。貴国の軍の即時撤退を要求します」
「は、戯言を申すな」
「俺は本気なんですよ、藤伽国の将軍殿」
 やや皮肉めいて言った言葉に、将軍は周囲に目配せしながら言う。
「話にならないな」
「えぇ、本当にそうですね。将軍で駄目なら国王に会わせてもらいましょう。はじめから半分はそのつもりでした」
「馬鹿を言え。たかが田舎町の長官ごときが、我らが王に謁見しようとは……身の程を知るがいい」
 嘲笑を湛えた男に向かって、哀れみをこめた視線で言う。身分でしか人を推し量ることが出来ないというのは、本当に哀しい。
 そして、彼はそこで纏う雰囲気をがらりと変えた。
「あぁ、申し遅れた。俺は地方官などではない。故あって長官に書状を書いていただいた」
 文官というにはあまりに凶暴な気迫に、将軍はその言葉にはすんなり納得する。
「ではなんだ? 崔繍が隠し持っている軍の将軍だとでも言うつもりか?」
「どこで仕入れたのか知らないが、崔繍には軍はない。貴様らの物差しで物事をはかるのは、いい加減やめてもらいたい」
 包囲が固められていることに一切の動揺も見せない。彼は轟然と言い切った。
「俺は崔繍国主、晟 凰だ。国王に謁見する身分に、不満はないだろう?」
「私がそんな虚言に騙されるとでも思ったか」
「虚言? なぜそう思う?」
 そう、どうせ嘘だと思われてしまうと分かったから、わざわざ長官に印の入った書状を頼んだ。信憑性の薄い国王の使者よりは、地方長官だと言ったほうが確実だと思ったのだ。案の定彼は信じていない。
「おかしいだろう? 国王ともあろうものが、のこのことこんなところまで、護衛を1人しかつけずにやってくるだと? ばかばかしい」
「相変わらず自分の物差ししか持たないことを言ってくれるな。俺は残念ながら、城の奥にこもっていられるほど上品に出来ていないんでね。貴様らにとってはこんなところだろうが、俺の大事な国だ。自分で来なければ気がすまない。それに俺は、護衛を何人もしたがえるほどかよわくない」
 挑発するような口調に、将軍は半眼で睨んだ。
「ほう、そうか。それならば自分の身は自分で守ってもらうとしよう。殺れ」
「やめておいたほうがいい」
 向けられた剣に、凰は無造作に触れた。
 瞬間、兵士は剣を取り落として後ずさった。兵士たちは、悲鳴を上げることも腰を抜かして逃げ出すことも辛うじてしなかったが、内心の動揺は隠し切れない。
 彼らの目の前に突きつけられている現実────剣は瞬く間に錆付き、風化して崩れていた。
「誰も俺に触れることはできない。崔繍の王には刻の加護がある」
 単なる奇術か? それとも、幻術使いか……?
 絶句する彼らの頭は、様々な可能性を求める。
「次は手加減しない。朽ちたくなければ、俺に触れるな」
 こんな力があるはずがないだろう。幻に決まっている。
 疑念を持ち否定しても、誰も実際に動けるものはいなかった。見てしまったものは、どうしても恐怖となって彼らの行動を抑止する。
 もっとも、彼らの取った行動が正しかったことは、証明されることとなるのだが────。
 将軍は考え込むようなしぐさの後で、頷いて見せた。
「待て、私の一存で軍の撤退を決めるわけにはいなない。国王陛下に会わせよう」
 将軍は書状の準備をするように側近に言いつける。
「数日待ってもらおう」
「分かった。ではまたこちらから出向かせていただく。決して軍をここから崔繍の方へ進軍しないと、誓ってもらおうか」
「もちろんだ」
 二つ返事で将軍は言う。それを見届け、凰はきびすを返した。
 後ろを向いた凰を、将軍は凶暴な瞳で捉える。
 次の瞬間、一足飛びに切りかかる。
 逃れられない、と、誰もが思った。
「残念だ、将軍」
 瞳の奥に悲痛な色を宿し、凰は刻の剣で将軍の剣を受ける。
 突然の剣の出現と凰の驚異的な反応速度に驚いたのもつかの間、将軍は信じがたい光景に悲鳴を上げた。
「────あ、あぁっ……!」
 刻の剣が触れたところから、将軍の剣を伝い、右腕から順にその身体は信じられない速さで朽ちる。砂のように、服も鎧も、骨までも、崩れる。
 一瞬の後には、人の痕跡など残ってもいない。そこには、悪夢のように砂の山が残っただけ。
 硬直した兵士たちの背後に控える参謀に、凰は振り返らず言った。
「帰って王に伝えろ。俺の国に手を出すな。兵を引かないと言うのなら、刻の加護が貴国に牙を向くだろう、とな」
 彼らの目に、自分は何と恐ろしい怪物に見えることだろうか。
 凰には、見なくとも彼らの表情が手に取るように分かる。
 過ぎた恐怖は人を恐慌へ導く。支配されぬうちに、どうにか滅ぼさねば。そう考える。
 だから、崔繍侵略という道を選ぶのだ。

 ────あぁ、やはり俺はいつかこの国を滅ぼしてしまうだろう。


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