Secret 年代記

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鶯遷の章


U-4

 下手なごまかしは意味がなかった。そんなことをしても、彼女は手に入らない。けれど、言ってしまったから彼女を失うかもしれない。“俺”を見てくれる、彼女を。
「それが、あなたの前置き?」
 やはり特に驚いた様子もなく、彼女は言った。俺は頷く。
「そう。分かったわ。それじゃ、結婚してくれるんでしょ?」
「……え?」
「賢い女性が好き。そうね、確かに王妃が馬鹿じゃ困るもの。でも、その点私は問題ないんでしょ? それともこの期におよんで私のことが気に入らないっていうの?」
 違う。けれど、怖れている。
 表面上彼女は何も変わらない。俺が王だと聞いても、何の変化もなかった。
 王妃でもなんでも、関係ないと言ってくれている気がする。けれどそれは、彼女が王妃という地位を軽く見ているからじゃない。そう思う。
 それでも信じられない。信じたいのに……。
「本当に……」
 結婚すると、言っているのか?
 言おうとしたけれど、できなかった。
 息が詰まって、声にならなかった。彼女を疑うようなことを言えなかった。
「泣いてるの……?」
 立ち尽くす俺の顔を覗き込んで、彼女は真摯な瞳で射抜く。
 泣いてなどいない。涙は流れていないのだから。
 だって俺は孤独ではない。そんなことを言えば、仲間に顔向けできない。
「独りは、淋しい、ものね」
 彼女は俺の戸惑いを、この心を見抜く。
 たくさんの仲間がいて、独りではない。けれど、もっと近くにいて欲しい。……俺は、“王”じゃない。
 淋しい。
 けれど……あぁ、そうさ。置いていかれるほうがもっと淋しい。いつも俺は、誰よりも先を歩かなきゃいけない。だから夢中で駆けていって、いつの間にか一周分追いついてしまう。そして、共に歩くみんなを羨んでいた。それでも言えなかった。先に行って、導くことを選んだ。
 みんな傍にいてくれる。俺を支えようとしてくれる。
 そうだ、分かっている……“王”をこんなにも助けて、気のついてくれる臣下はいない。
 そうだというのに────
「淋しいのでしょう? 淋しさが、少しでもまぎれるように、淋しいなんて感じないくらいに、あなたを愛するわ」
 愛? そんなものが、どれだけ信じられる?
 あぁ、違う。信じていないんじゃない。信頼も、愛情も、分かっている。ただ、ふとした瞬間に思う。
 俺を立ててくれなくていい。
 俺は英雄になりたかったんじゃない。誰からも信頼されて、素晴らしい人格者。そんな物語の中の為政者になれはしない。
 けれどもみんなは俺に出来ないことなんかないと思っている。この国の平和を、ささやかな豊かさを、俺がもたらしたと思っている。
 そうじゃない。俺はただ、同じ場所で、目線でいたかった。
 人々の、俺でないみんなの力で国が出来ているんだと言いたかった。けれど言葉にしてみればそれはひどく空虚で、俺が驕らない素晴らしい“王”だと証明することしか出来なかった。
 みんなは確かに人々の努力を認めるけれど、俺の力が不可欠だと思っていた。俺でなくても構わないとは、思いもしない。俺を過大評価しているからだ。俺はまるで生まれながらの英雄で、王になるべきだったかのように。
 違うと言いたかった。
 みんなが俺を“王”として評価することは、決して正解じゃないと。
 それが重荷だったんじゃなく、そうしないと、“王”ではない“俺”を見失いそうだった。
 ────愛する?
 嶂樺は言う。けれど、彼女は一体“誰”を? “何”を、愛する────?
「俺は、王だ」
 いつの間にか俺は王でいることを選んでいた。
 もしも俺を見失ったら、その時は“王”になればいい。ただひたすらに民を思い、国を想う、賢王に。
 俺を捨てればいい。
 だから、淋しさなど、感じる必要もない。
「ただの、凰を、私は知っているわ」
「違うよ、俺は王だ」
 口で言っても、それは望みではない。
 くだらない。それは、逃げている俺の願望。
 ────王でいるしかないと、逃げているだけ。
「違わない。私が出会ったあなたは、王なんかじゃなかった」
「俺は……王、だろう……?」
 そうして俺は、しがみつく。王であり続けようとする。
「あなたは私に、期待してくれた。ただの、なんのとりえもない私に。私の才能を見抜いた王の器量だなんて、そんな馬鹿げた言い訳はしないでね。賭けても良いわ。あなたは私を求めていたのよ」
 自信過剰な言葉だった。
 けれど、一笑に付してしまえない。
 俺でなくてはいけない、そう言って欲しい。王にふさわしいからじゃなく、“俺”を、認めて欲しい。
「だから、私もあなたを求めてあげる。たとえあなたが王として認められなくなっても、道を踏み外して王として全く役に立たなくなっても、あなたが良いと言う。あなたじゃなくちゃ、駄目よ」
 王である俺を好きになってくれるんじゃなく、俺自身を見て欲しい。
 なんという我が儘。
 俺自身を信頼してくれている仲間に対して、俺に“王”を求めるなというような、独りよがりな言葉。
 けれど、俺の居場所は何かが違ったのだ。
 みんなは俺を、どうしても“王”だと思っている。思うなと言うほうが、無理な願いだと分かっているのに、取り残された気になっている。それは、根拠のない不安。
 いつか“俺”がいなくなるかもしれない、と。
「あなたはあなたよ。王じゃない。私が好きになったのはあなたで、王じゃない」
 俺でいいと言ってくれ。
 とても子どもじみた願いだ。
「……俺を……?」
 呪われた血を持つ王という顔を持っていても、それでも?
「私がいるわ。私が、傍にいる。あなたの呪いも、責任も、半分貰ってあげる」
 本当に? 君は、“俺”を見て、そして“王”を受け入れてくれる……?
 あぁ、きっと本当だ。君は俺を、俺自身よりもずっと知っていて、それでも傍にいるといってくれる。
 ────それでも、俺より先に逝くかもしれない。
 そうすれば俺を認めてくれるただ1人の人が、いなくなる……。
「あなたが良いって言うまで、ずっと傍にいる。いらないって言われても、傍にいたいから」
 期待していた。ずっと、彼女に求めていた。ごまかしていただけ。
 きっとはじめから、彼女の目には“俺”が見えている。
「だから約束して。私と2人でいるときは、その時だけは、ただの凰に戻って? 1人の男として、私を見て」
 迷う俺の背を押すように、彼女の言葉は何も包み隠さないで差し出される。
「嶂……」
「乙女の一大告白だったのに、なんて顔してるの?」
 肩に手を伸ばす。髪に触れる。頬を撫でる。その瞳に、吸い込まれる──。
 躊躇う俺の頬を、彼女の指がなぞる。
「凰」
 俺の本当の名前。王でもなく、救い手でもなく、ちっぽけな“俺”を、呼んでいる。
 その声が、俺の欲しかった答え。
「……約束する。俺は、絶対に“王”になってしまいはしない。嶂が傍にいてくれるなら」
 言いながら俺は、彼女をきつく抱きしめた。
 そうでもしないと、逃げ出してしまうと思うかのように。
 そうしなければ、言葉さえも掻き消えてしまうというように。
 つかんだものを、何度も何度も確かめるように────。
 そんな俺を安堵させるように、彼女もまた俺を求めた。




 何といったと思う?
 そう問いかけてから、凰は遠くを見やった。
 その時のことを思ってか、目元が嬉しげに笑う。
 凰の気を引くような言葉とあっては隴には想像もつかなくて、早々に彼は降参した。
「それで、嶂樺さんは何といったんです?」
「あー、そうだなぁ……」
 懐かしくも、昨日のことのように鮮明な出来事。
 そんなこと、と笑った彼女に救われた。拒絶しても、追いかけてきてくれるのが嬉しかった。知らず、待っていた。恐ろしいくらいに惹かれていった。
 確かに彼女のことを俺は、国のためになる人材なんかではなくて、1人の女として求めていた。それはまるで、駄々っ子のように。俺はある一面でどうしようもなく子どもだった。
 俺に認めさせるという言葉通り、彼女は国中の誰にも引けを取らないほど賢く、強くなった。俺の不安を吹き飛ばすくらい、一笑に付してしまえるくらい。子どもを安心させる方法を、彼女は知っていた。
 そして彼女は俺の身分を天気のように気安く受け止め、その責任を命のように大切に受け取ってくれた。
 だから彼女だけは、“俺”の近くにいられる。
 もう“俺”を見失わない。
 俺は隴にとっても、王でもありただの親友でいることが出来るだろう。それが嬉しい。
 言い渋る俺を、期待を込めたまなざしで見つめる隴を見て、俺はつい言っていた。
「秘密だ」
 そう、秘密にしておくのも悪くない。これは嶂樺も忘れているかもしれないことだ。俺だけの秘密というのも面白い。
 ……始めは、俺と結婚すれば、どんな女性もきっと不幸になると思った。
 呪いの恐怖と王妃の責任という重圧に押しつぶされ、俺には英雄たる“王”の影しか見出せず、どうして幸せになれるだろう。
 それに最初から俺は、“王”と結婚するための人ならば、いらないと思っていた。
 他でもなく、俺でなくては嫌だといってくれる人が欲しかった。
「は? 秘密、ですか?」
 不服そうに隴が追求しようとする。
 丁度その時、隣室から城中に響いているんじゃないかと思うくらい元気な泣き声が聞こえてきた。
 それはここのところ城をにぎわせている、見た目はかわいい赤ん坊のものだ。しかしこれがなかなか曲者で、多忙を極める凰の代わりに世話を引き受けてくれている隴や莉深は、仕事量が今までの半分ほどになってしまったくらいの元気な赤ん坊なのである。
 もっとも、それだけ時間を割かれているのも関わらず、城の者達にはこの泣き声が好ましく思えるのだから、不思議なものだが。
 凰は苦笑と幸福をあわせたような顔をした。
「あらら、若様のご機嫌を損ねたかな」
 隴もまた似たような表情で、いくらか困ったようにこめかみのあたりを押さえた。
「本当に洵くんは元気で……さっきまで機嫌よくしていたんですけどね。寝かしつけてきます」
「いいよ。俺が行く。暇で暇で困ってたところだからな」
 腰を浮かせた親友を、隴はわずかに疑わしそうに見つめる。彼はいつだってじっとしていない。目を離したら何をやらかすやら……。結婚式直前に厄介ごとを起こすことだけは、さすがに勘弁して欲しい。
「……いいですけど、くれぐれも注意して下さいよ? 服の換えなんてありませんからね」
「分かったよ。心配性だな、隴」
「誰のせいですか、全く」
 親友のぼやきを聞きながら、凰は隴と共に部屋を出た。


 王とは孤独な生き物だ。
 けれど俺はある日、孤独から救われた。
 だから、俺は愛し続けることができた。
 ここは王の国ではない。
 愛しい俺の国、崔繍。
 愛する人の、生きる国。


 鳳凰13年、短い夏も終わりに近い崔繍。
 王子の誕生と国王の婚礼という出来事を経て、ここから連綿と続く崔繍王家の長い歴史がようやく始まる。
 しかしそこまではまだ、彼らの意図するところではない。
 国王の婚礼を祝福する鐘の音が響き渡り、祝いの言葉が国中を満たす。
 純白の花道を進む幸せな2人は、その道の先で莉深に抱かれ、無邪気に笑う洵を見て破顔する。
 そこにあるのはただひたすら純粋に、幸せで平凡な1つの家庭だった。
 そしてそれこそが、凰の求め続けてやまなかったもの。

 凰と彼女が出会ってから、もうすぐ6年が経とうとしていた。


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