Secret 年代記

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鶯遷の章


U-2




 崔繍王都雪渓のはずれ、街道へと続く一帯は、今日も賑わいを見せている。日が暮れたばかりの刻限、王都へついたばかりの人や間もなく立つのであろう旅人たちが、足早に通り過ぎる。
 鳳凰7年、本格的な冬を迎える前に、人々は冬支度に忙しい。そして、外国の商人達もまた、雪深くなる前にこの都を去ろうと、町外れの宿屋に集って馬車の定期便を待つ。宿屋はたいていの場合食堂や酒場を兼ねていて、多国籍な人々が集うそこでは、お酒も入ったせいか、やや誇張された感のある珍しい話やたわいもない自慢話で賑わいを見せる。
「いらっしゃい」
 そんな宿屋の1つに、1人の男が入っていった。年のころは二十歳を過ぎたやや長い黒髪の、さして目を引くところもない風貌だ。
 いや、よく見ればその男は、一般的な水準より顔が整った部類に属していることが見て取れる。服装は王都に住む一般の人々のそれと同じなので、珍しくはない。また、彼はここの常連らしく、気安く声をかける者も何人かいた。
 彼はいつものように店のおかみさんに注文を済ませ、空いた席についた。木で出来た机と椅子は使い込まれて傷が入っているが、よく磨かれて温かみがある。
 彼の注文が届いたころには、店は大いに繁盛して満席だった。
「相席してもいい?」
 一口目を運ぼうかという時に、若い娘の声が相席を申し出た。顔を上げれば果たしてそこには若い娘がいて、黒い大きな瞳でこちらを見ている。
「いいよ」
 軽く男は応じると、娘が座るのを待たずに食事を始めた。
「はじめまして、私は嶂樺ショウカ。あなたは?」
「…………」
 この年頃の娘というのは話を始めると長い。そう思って、彼はあえて黙秘を決め込む。が、どうやら状況は彼女に有利な方向へ向かった。
「おや、高さんじゃないか。このお嬢さんは連れかい?」
 男は彼の知人で、長距離乗合馬車の御者をしている。30前の気のいい男で、近頃は所帯を持って長距離から王都内に営業圏を縮小するとか言っていた。
 その男の思わぬ助け舟で相席の名前を知った娘は、意気込むように重ねる。
「あなた、コウって言うのね。どんな風に書くの?」
「……高い、だ。それから、彼女はただの相席で連れじゃないよ」
 これ以上無視すると知人にも悪いと思い、仕方なく彼は娘との会話を始める。あまりにもそっけない返事に、知人の男はつまらんなと言いながら、店を後にした。
 だが、その“ただの相席”は彼にゆっくりと食事をさせてはくれなかった。
「ねぇ、ちょっと、少しは私に気を遣わない?」
 短い黒髪は娘の幼さを強調し、妹を見ているようだと思う。
「……相席に、か?」
「そうよ? せっかくだから話をしようとか思わない? 交友関係が広がったほうが、商売もしやすいでしょう?」
 娘のペースなのは承知で、しかたなく彼は彼女の交友関係を広める手伝いをする。それに、彼は商売人ではなかったが、交友関係を広めることは確かに必要ではあった。
「俺は商売人じゃないが、そういうあんたはそうなのか?」
「え? 私はただの下働きよ。最近は学習院に併設されてる図書館の蔵書整理をやってるの。行ったことある?」
 出来てまだ年数の経たない図書館は、蔵書を急激に増やしているので整理が間に合わないのだ。だから、臨時に職員を増やしている。
「図書館か? 何度かはある」
「あら、珍しいわね。利用者のほとんどが学習院の学生だって聞いてたから。じゃああなた、学者か何か?」
 学習院は高等教育のための機関だ。しかし規模が小さいため、その入学試験は難関を極める。試験には数問の一次試験があって、間違えようものならふるい落とされる。受けるだけでも狭き門なのだ。
 学習院の前段階として民間の塾で学ぶ人は数多く、崔繍はその点で市民の教育機関が発達しているのだが、学習院に入るには独自に勉強を重ねる必要があった。
 だから図書館は学生のほかに、学習院入学を目指す少年達や、学習院へ入るには年を取りすぎた学者と呼ばれる人たちが、主な利用者となっている。
 もっとも、彼はそのどちらでもない。
「いや、調べ物をしただけだよ」
 ちょうどその時彼女の料理が運ばれてきて、少し会話が途切れた。
「ごちそうさまでした」
 男が言うやいなや立ち上がる。
「え、ちょっと……」
「相席どうも」
 取りつく島もなく、男は出て行ってしまった。

 夕暮れの町を歩いていると、靴音が駆け足で近づいてくる。
「また、会ったわね」
 余裕を見せようとして言った彼女は、だが余裕なんてないようだった。
 明らかに安堵と思える表情が見て取れる。
「俺を捜してたのか?」
「そ、そん、どうでもいいでしょ!」
 うろたえる顔が面白くて、男はついついからかう。図星なのだろう。娘の顔が赤いのは、夕日のせいばかりではなさそうだった。
 店に入る男を追って、娘も続いた。
「今日も、相席?」
「い、一緒に入ってるんだから、こういうのは相席って言わないでしょ! もう、知らない!」
 怒りながらも、結局娘は同じテーブルにつく。食事の間中、2人は世間話をしていた。


 先日の娘に会って、凰は少しばかり遊び心が働いていた。思えば若い娘と一緒に食事をする機会は、滅多にない。考えてみればいい機会だったから、若い世代の意見も聞いておくべきだと、今日は娘の同行をあっさりと許した。
 決して身分は明かさないお忍びの外出では、凰にこの国の人々の言葉を伝える。
 それは城の国王に届けられる願いとはまた違う、人々のささやかな思いに溢れていた。それは国政に多く反映され、この国を住みやすい国にしてきたのだ。だから凰の、王らしからぬたびたびの外出を、城の仲間たちは黙認してくれていた。
 ただ、ひとつ問題があったとすれば凰という名前だ。コウという名前自体はそれほど珍しくないのに、凰という字を使うのはかなり珍しかったのだ。そこで単純に字面だけを変えた高という偽名は、自分自身の混乱を避けるためにも大変有効だった。名前を使い分けるのは、始めてみれば難しいことではないらしいが、どこかでぼろが出そうだったからだ。
 数日ぶりに会った娘と食事をし、町の様子を聞く。若い娘の噂話も面白いものだと思いながら、凰は相槌を打っていた。凰のことを町に住む高というただの男だと思っているので、彼女の態度は気軽なものだ。
 食事が終わると、凰は酒を1杯注文した。連れの嶂樺という娘には、甘いお茶をたのむ。
 彼女の艶やかな黒髪は凰よりもかなり短く、ともすれば妹のような感覚にさせられる。
 おごると言うと、困惑気味に凰に礼を言った。
「ありがとう……ねぇ、でもいいの?」
「いいって?」
「こんなところを見られたら、あなたの、その、奥さんとか……」
 気恥ずかしそうにためらうところが、年相応でかわいらしい。そう思ったことは顔に出さず、凰は答える。
「あぁ、いないから関係ない」
「えっ、独身なの?」
 かなり意外そうに嶂樺は言う。それが凰には意外だった。
「変か?」
「そうじゃなくて……恋人もいないのよね?」
「そうだな」
「だって、こんなに顔も良くて頭も良さそうなのに……おかしいじゃない。ろくな仕事してないとか?」
 さりげなく彼女は凰を褒めて、さらにけなしていたが、おそらく気づいていない。首を傾げる嶂樺に、凰は苦笑で返した。
「期待に添えなくて残念だけど、きちんと仕事はしてるよ」
「じゃあ、どうして? もしかして高、ものすごく性格悪い?」
 歯に衣着せぬはっきりとした物言いに、凰はむしろ感嘆する。そして、だからなのか、その言葉は自分でも驚くほど簡単に口をついた。
「性格はどうか知らないけど、俺は呪われてるから」
 言った後で、これでは冗談に聞こえたかなと思う。もしくは、気味悪がられるか────。
「呪い? あの、良くないことが起こる呪い?」
 そう思ったが、彼女の反応はあまりにも淡白だった。信じていないのだろうが、別段引いた様子はない。拍子抜けして、凰もあっさりと認める。
「そう」
「どんな?」
 興味まで持たれるなんて、いよいよ予想外だ。
「……知ってどうする?」
「気になるから」
 答えは簡潔だった。なぜか諦めて話さなければいけない気になり、嘆息交じりに凰も答える。
「……妻に迷惑のかかる呪い、だな」
「何だ、そんなこと」
「そんなことって……」
 そして、極めつけに予想を超えた言葉を、凰はぶつけられる。
「じゃあ私が結婚してあげる」
「寝言は寝て言ってくれ」
 間髪いれずに凰は拒絶した。絶句でもしていたら、彼女の思う壺だと思ったからだ。いくら意表をつかれたとはいえ、内心で動揺していたのだ。
 それを冗談に冗談を返されたと思ったのか、嶂樺はむきになる。
「私は本気よ! 別に好きな人に迷惑かけられるくらい、いいもの!」
 率直な言葉に若さを感じる。それは、無謀とも思えた。出会って数日で好きだなんて、いかにも子どもっぽい感情だ。単に興味半分で言っているだけに決まっている。
「俺は構うんだ」
 凰は冷たく突き放した。
「第一、俺との年の差を考えてみろ」
「こう見えて私は15よ」
「俺もこう見えて、25だ」
 つい先日25歳になったばかりの凰は、10歳も年の差があると分かった少女の反応を見守る。
「うそ! 騙されないわよ!」
「こんなしょうもない嘘をついてどうする」
 嶂樺は、言われてみれば年相応の落ち着きを持つ凰に、何か反論しなければと考える。そして、無理やり物語の常套句のような言葉を言った。
「……それが本当でも、愛に年なんか関係ないもの。うん、そうよ! 大丈夫、十歳くらいたいしたことないわ。私は気にしないから。ね、若い方がいいでしょ?」
 言ってみてからそうに決まっていると確信したように、嶂樺は凰に詰め寄る。
 恥ずかしげもなく言うわりに、彼女の頬は赤かった。
「生憎、俺は賢い女性にしか興味がないんだ」
 すると今度はむっとして、声を落とす。
「私が馬鹿だって言いたいのね」
 そこまでは言っていなかったが、似たような意味に取れる。だから明らかに怒っている娘に、凰は反論しなかった。そうすれば、いい加減愛想をつかして諦めると思ったのだ。
 しかしあえなくその期待は外れる。
 無言の凰を見て、それを挑戦だと受け取ったらしい。
「見てなさい、今に賢い女になってやるから」
 嶂樺は娘らしい幼さを持ちながらも、傲然と啖呵をきった。
 面白い。凰は緩みそうな顔を隠して、そこで折れる。
「あぁ……期待しないで待ってるよ」
 負けたな、と思った。これが若さゆえなのか、それとも彼女だからこその行動なのか、おそらく後者だろうが……だからこそ、面白い。
 これまで幾人もの女性に言い寄られては、変に期待させるのは避けてきた。それなのに凰は、彼女に押し切られるのを止められなかった。
 そのことを、凰自身はあまり気にとめなかった。
 けれど────きっとあの時、言葉とは裏腹に、凰は彼女に期待していたのだ。


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