Secret 外伝

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9.Fire


【4】

「大丈夫かい?」
 彼女は部下の無惨な死に、気丈にも隊長としての責務を忘れていない。
 飛炎は軽々とオレを抱えあげると、第五部隊の隊員に医療班の手配を頼んだ。
 そこにきてオレは男の姿を探したが、もうどこにも見えなかった。
「あいつは、一体……」
 舞姫の問いに、飛炎は答える。
「父上の友人であったのは、間違いありません。……ただ、少し変わった方だった。私も何度か見かけたことがありましたが、確か奥様を早くに亡くされたこともあって、口数も少ない方だった」
「お前に口数が少ないと言われては、どうしようもないな」
 重苦しくなっていた隊員の空気が、すっと和む。
「……それから、決定的だったのが息子を亡くされたことです。10年ほど前の、流行病の折でした。それからは消息を絶っていた」
「よくできました」
「!!」
 突如現れた男は、1人の女性を抱えている。
 瞬時に剣を構えた舞姫は、凄まじい怒気を放っていた。そしてそれにも増して、飛炎が怒っていた。見た目ではない。見た目の変化は、ほとんどないといっていい。滅多なことでは怒らない彼だからこそ、オレには分かる。いつもとは似ても似つかない、炎の気の色。
「剣を下ろしてくださいよ。この女と子どもの命が惜しければ、ねぇ」
 男の声に彼女の腕を見ると、赤ん坊が抱かれている。
 舞姫は唇をかみ締めて剣を下ろした。
「さぁて飛炎様、助けたいなら1人で来ることだ」
 心底愉しそうに言ってから、女性をそのどす黒い炎で包む。
「もたもたしていると、焼け死んでしまうよ」
 無言で剣の柄に手をかけた飛炎を、舞姫は制止した。
「苑と、皆さんを頼みます」
 しかし無意味だった。言うなり、彼は駆けた。速い──巨大な炎の壁に向って、恐れることなく駆けていく。
「飛炎!」
 オレはかすれた声で叫んでいた。
 そして飛炎は、そのまま炎の壁に突っ込んだ。するとどうだろう。炎の壁は、飛炎の放つ鮮烈に美しい気に触れるのをためらうように、飛炎を害することなく招き入れる。
「あぁ、やはりこうでなくてはいけない。惺緋の愛息子」
 炎は容赦なく強くなる。そのただ中で、男は動いた。炎の刃で飛炎を切り裂いていく。それを剣でかわし続ける飛炎。しかし、天は男を味方した。
 飛炎の剣が、乾いた音を立てて折れる。
 その大きな隙を突いて、男は飛炎に次々と仕掛ける。
 ────飛炎は、迷わなかったように見えた。
「無茶だ……」
 我知らず、オレは言っていた。
 オレの目の前で、飛炎の指先が耳に触れる。
「何がだ、苑」
 医療班を待って座り込んでいるオレの傍に、隊長が立っていた。走って来たらしく、額に汗がにじんでいる。
「飛炎は、あの剣を使う気です。隊長、止めてください!」
 オレは出せる限りの声で訴えた。
「無理だ……俺には動けない。あんなあいつを見たのは初めてだが……俺にはあいつに声を届ける自信がない。あいつを止める、自信がない」
 隊長が苦渋の声で言った時、剣が飛炎の手中におさまった。
 美しい。なんて美しい剣だろうか。けれど美しさとは裏腹に、黒曜石に似た刀身は飛炎の力を食いつくさんと、燐光を放っている。
 女性を包む炎が、火勢を増していた。これ以上強くなれば、本当にその身体を害することになる。助けなければ。そう思うのに、誰も動けない。
 ゆらりと、飛炎の足元がふらついていた。
 ここからでも分かる。飛炎は今、歯を食いしばって何とか立っているのだ。
 あれほど使ってはならないと念を押された剣を、それでも使って。
 すぐそこにいるのに、オレは助けに行けない。
「おや、隊剣をお持ちでしたか。でも、その様子では何もできそうにありませんねぇ」
 男は自身の剣を閃かせた。
 一瞬の出来事が、その動作の全てが、オレの目に焼きつく。剣は止まらない。
 剣の軌跡は、飛炎の、右の黒瞳を────。
「……ふ……は、はははっ……結局貴様は、ただ1人の命すら守れぬではないか。惺緋の息子よ、お前も父と同じだ! 口先で守るといいながら、何も守れぬ!!」
「違う……」
 飛炎はとめどなく流れる血で右頬を濡らし、顔を上げて両足で立つ。
 刀身が、輝きを増す。
「違わないな。お前などに守れるものなど、何もない!」
「違う!!」
 飛炎が動いた。一瞬だった。そこにいた誰一人として、彼の動きを正確にとらえることなど出来なかったと思う。
 飛炎の剣は、男の腹を貫いていた。
 奇妙な静寂。
 そして男の口から、声が漏れた。
 龍族の優れた聴力をもってしてもようやく聞き取れるほど、それは微かな声。
「守れないのだよ。私の息子を見殺しにした、惺緋のように……」
 男の膝が折れ、倒れこんでいくと同時に剣も抜けていく。男はぼんやりとどこかを見て、飛炎の耳元でいった。
「惺緋よ、お前の愛息子の大切な瞳、確かに頂いたぞ──────」
 狂気に支配された男の、それは父としての言葉。
 自分と男の血にまみれた飛炎の目前で、静かに男はこと切れた。
 ……静かな、静かな独白を残して。
 剣が飛炎の手中から落ち、瞬間ピアスへと戻って地に落ちる。
 炎から開放された女性は、腕に赤ん坊をしっかりと抱いて、飛炎に声をかける。
「飛炎様、わ、私のような者のために……」
 オレは傷の痛みも忘れて走り寄っていた。女性の腕に抱かれた赤ん坊が笑ったのが見えた。
「違います」
 怒りの消えた、やわらかい声だった。しっかりしたその声を聞いて、少し安心する。
「私は、軍人ですから」
 その言葉には、皇族であることよりも軍人として生きることを選んだ飛炎の意思が、示されていた気がする。
「飛炎!」
 隊長が駆け寄りながら飛炎の名を呼んだその時、彼はその場にくずおれるように倒れこむ。あわてて隊長が受け止めた。
 顔を、そっと上げる。
「隊長、申し訳ありませんでした」
 荒い息遣いで、それだけ言った。
 その飛炎の右目から頬にかけて、大きな縦一文字の傷がある。深い傷を見る限り、おそらくは、もう────。
 隊長は固くまぶたを閉じ、静かに言った。
「俺の責任だ。お前は良くやった」
 辺りの炎は、術者を失って消えかけていた。あわただしく、負傷者があちこちの病院へ運ばれていく。
「城に行くぞ。苑、お前も来い」
「え?」
「腕だ。その分じゃ右腕が折れてるかもしれない。それに、止血もせずに放っておくわけにはいかんだろう」
 すっかり忘れていた腕の傷を思い出したとたんに、全身のあちこちの打撲まで痛んできた。
 支えた飛炎を抱えなおして行こうとした隊長に、飛炎は言った。
「大丈夫です。自分で歩けます」
「飛炎、無理は──」
「大丈夫ですから」
 彼はことさらゆっくり立ち上がると、地に落ちたピアスに手を伸ばす。その手が、地面よりもわずかに上で空を切った。
 その時の彼の顔には、自嘲したような雰囲気が見て取れた。────片目では、正確な距離はつかめない。これほど戦闘に支障をきたす傷はあまりない。軍人としては致命的といえる。
 飛炎はもう一度手を伸ばしてそれを拾い上げると、隊長の肩を借りて歩き出した。


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