Secret 外伝

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9.Fire


【3】

「疲れたな」
 言いながら、飛炎は額にうっすらと浮かんだ汗をぬぐった。
「うん、予想以上……」
 対するオレは上着を脱ぎ捨て、上がった息を整える。
 夜勤当番のためにある部屋にある、背もたれつきの椅子に腰掛けた。机の上にはすでに簡単な食事が用意されていて、2人で食事にする。
 オレはついつい、耳に触れて確かめた。
 これを実体化させて使いこなしている、元帥以下隊長達には、本当に恐れ入る。
 そういえば人間にも、自分の持つ能力を具現化することで剣を召喚して武器にする者がいるらしいが、それもこの剣と似たようなものなのだろうか。
「あ、そういえば飛炎」
「ん?」
 皇族とは思えないくらい無造作に食事をしつつ、彼は両の瞳をオレに向ける。
「副隊長の件だけど、やっぱりこの剣もろくに使えないし、まずいんじゃない?」
「あぁ、オレもそう思う」
 飛炎はオレと話す時だけ、くだけた話し方をする。だから飛炎は、オレをちょっとだけ特別な位置に置いていると思っても、うぬぼれではない……はずだ。友達だと思っているのはオレのほうだけではないと、信じたい。
 けれど、それだけだ。不満があるわけでは全くないが、隊長の言っていた恋人でも何でも構わないから、もう少し心から気の許せるような人がいたらいいのだが……。
「だが、あの方の指名だ……」
「それだよね。オレ、あの人は隊長より逆らえない感じがして」
「……苑、試しに断ってみてくれないか」
「嫌だよそんなの」
 オレだって、まだ命は惜しい。
 第五部隊隊長、部下に舞姫と慕われる彼女は、凛として美しく精悍な顔つきとは裏腹に、普段は美男子────もとい、鍛えがいのありそうな人材をびしびししごいていじめるのが好きらしい。少々変わっているとはいえ、彼女が隊長に上りつめたのは完全に実力であり、副隊長以下の者にはもちろんのこと、隊長たちの中でも彼女の強さは引けをとらないものだ。特にその名にある、舞うような剣技。見るものを魅了するそれは、彼女の女性らしさを最大限に引き出して美しい。美しいばかりか、威風まで感じるものなのだ。
 彼女の部下として鍛錬を積めば、いずれは素晴らしい剣の使い手になれるだろう。でも────
「……断る勇気もないけど、あの人の下で動く自信も全然ない」
 飛炎が無言で同意する。
 こうして、夜は更けていく。

 夜明けも近いころ、静かな夜の空に飛んでいた夜鳥たちが、森へと帰る。
 夜勤部屋の裏手では、先ほどから飛炎が木剣を振っていた。夜の空気を割く鋭い音と、足踏みの音がする。
 いつもと変わりない夜。そこへ、1人の男性が現れた。
「あのぉ、すみませんがね……」
 控えめな声に、オレは戸口へ急いだ。男性は中年の、やや痩せた印象だ。
「はい、どうかされましたか?」
「実は、おかしな者がおりましてね」
「不審者ですか?」
「はい、ここあたりであまり見かけない顔で、うろついているもので……」
「分かりました、少し素性を聞いてみましょう。案内していただけますか? あ、飛炎ここはよろしくね」
「あぁ」
 裏口から中に戻ってきた飛炎は、木剣を机の脇に立てかけて首肯した。
「こっちです」
 すたすたと歩き出した男性の後に続く。住宅の密集する方へと向っていった。
「どんな様子でした?」
「そうですね……背は、高くない。……男です」
 歯切れ悪く言った後、男はしばらく無言で歩き続けた。数分後、住宅地の中心部へと出る。そこでぴたりと立ち止まり、男は灯りのともる家々のただ中で、ひたとオレを見つめた。
「その男は私と同じ色の髪と目をしていて、私と同い年です。どちらかというと痩せていて、病で息子を亡くした憐れな男……」
 一瞬目を伏せたかと思うと、男は笑っていた。歪んだ顔に、爛々と瞳ばかりが輝いて。
「……どういうことです?」
 言ったオレをあざ笑うかのように、男は哄笑する。そして言い放った。
「己の無力を死ぬほど悔やめ、愚かな若造が」
 刹那、男の全身から炎の気が放たれる。彼を中心にして、大きな火が上がり、悪意ある炎は狂ったように踊る。
「や、やめろっ!」
 叫んだ。考える前に、ただもう叫んでいた。辺りの家が焼けていく。あたたかい灯りも、一瞬で炎に呑まれる。人々が声を上げて逃げ惑う……。
 なんて力だ。
 自分の気をぶつけてみても、炎は弱まることはない。それならば、あの男を……!!
「っおおおっっ!」
 走った。全速力で、男へと駆ける。腰の剣を抜き放って、男へと突きつける。
「お前などに、用はない」
 男は冷めた目でオレを一瞥して、右手を向けた。無造作な動作からは予想もつかないほどの大量の気が、渦のように押し寄せて熱を帯びた切っ先となる。オレを傷つけながらも弱まることなく、体力を奪っていく。
 近づくことさえままならない。
 それでもようやくオレは、男に飛びかかった。だが、何の策もなく懐に飛び込んだオレを嘲笑し、男はその手にいつの間にか握られていた剣を振り下ろす。とっさにかばった、利き腕とは逆の左腕を深々と刺し貫かれ、拍子によろけたオレを男は軽々と蹴り飛ばした。
 意識の飛びかかったオレを、激痛が再び現実に引き戻す。
 男の足が、オレを踏みつけていた。
 炎の一族たる紅龍が、炎に滅せられることがありうるか。
 ふと、そんなことが思い浮かんだ。
 そうだ、ありうる。炎の一族とて、完全に炎に耐えられるわけではない。まして、悪意の炎には不可視の刃が含まれている。それは、もはや普通の剣と同じだ。
 けれど、実際はそんなことありえない。これほどの力を使えるなんて、オレのような普通の龍族にはあり得ないことなのだ。
 これほどの力、そう、龍皇が代々受け継ぐ龍玉が、その力を解放したときくらいではないか? そして龍玉は、完全な善意でなければ発動は不可能だ。
「お、まえは……何……者────?」
 ぼんやりとした意識の中、オレはつぶやいた。
「龍皇様の友達さ。……そうだろう? ────皇子様」
 男が視線を向けたほうに、オレは目だけを向けた。一見すると普段同様の無表情な飛炎が、そこにはいた。
「お友達が死にかけてるよ、ねぇ飛炎様?」
 言いながら、男はオレを踏みつける足に力をこめる。
「苑を放せ」
 驚くほど低い声で、彼は言った。
「いいよ。でもただという訳にはいかない、代金は貰おう」
 視界の先に走りよってくる人影が見える。あの音は、軍靴だ……ここの管轄は、第五部隊。
「来る……な……」
 声は届かない。
「お前たち、止まれ! 止まるんだ!!」
 声は、第五部隊隊長、舞姫のものだった。でも、遅すぎる。間に合わない……。
 大地を濡らしたのは、鮮やかな血の赤。
 オレから離れた男は、ためらうことなく彼らの首を飛ばす。
 なんてことだろう……。
「苑、しっかりしろ」
 すぐ傍に飛炎がいて、傷の状態を見ながらオレを起こした。立ち上がろうとするオレを、飛炎は無言で制した。
「飛、炎……ごめ────」
「分かった、もういい」
 その瞳に映るのは、深い後悔と安堵。いつも飛炎の表情が読めなくて苦労している俺にも分かる。声音から、わずかに伏せられたまぶたから、表情の変化などなくとも分かる。
「飛炎、苑」
 その飛炎の背後には、舞姫がいた。


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