Secret 外伝

BACK NEXT TOP


7.Blue Ocean -A Little Boy-


【2】

 次の日の夕方になって、彼女が再び訪れた。
「お腹、空いてませんか?」
 思いもよらないことだった。空腹を感じるほど、生きようとしていなかったのかもしれない。
「そういえば、少しね」
「良かったら、ご一緒しませんか?」
「あぁ……────」
 いい、いらない。そう言おうとして、顔を上げた。誰かの死に顔と一瞬重なって、彼女の笑顔が像を結ぶ。
「────えぇ、ぜひ……」
 オレは彼女に案内されて、少し海を離れる。いくらもしないうちに、小さな家があった。
 古めかしい外観の割に、よく手入れのされた家で、彼女の他に人の気配はなかった。
 彼女と2人、食事をしながら何ということもない会話をした。
「私は、スイといいます」
「ここ、独り?」
「はい。この家に住んでいるのは、私だけです。父は先日亡くなりました。母と、兄は…………」
 言いよどんだ彼女を待たず、オレは言う。
「オレは軌流 迅、17歳。お招きいただき、ありがとうございます」
「ありがとうございます……17歳、ですか?」
「見えない?」
「いえ……そんなわけでは……私にも、生きていれば17歳の兄がいるんです」
 彼女はまた、笑った。美人ではないけれど、やさしい人だと分かるような笑顔だった。
 食事が終わる頃、オレは言う。
「ところで結局、あなたの本当の目的はなんですか? オレをただ食事に誘っただけだとは、思えなかったんですが?」
 一瞬驚いたようだったが、すぐに彼女は決心したように言い始めた。
「私、死ぬんです」
 その声は、少し震えていた。
「冗談を言っているわけでは、ないんです。本当です」
 言われなくてもそうだと分かるほど、彼女の声は真剣だった。
「私の母は、優しい人だったと聞いています。けれど、私の知っている母は、狂っていました。ある時兄を捨てに行くと言って遠くへ…………そう、亜良に行くと言って出て行きました」
「亜良?」
「えぇ」
「────お兄さんの、名前は?」
「カイ、と言います」
「戒…………!?」
「はい。海と書いて、カイ……あの、それがどうか?」
「いや……なんでもないんだ。それで?」
「兄を置いて帰ってきた母は、自殺したんです。私に、15歳になった日に死ぬように、呪いをかけて」
 死ぬように。
 羨ましい、と思った。そんな自分に、腹が立った。
「うん、それで?」
「お願いが、あるんです」
 彼女は言った。
「私を看取っていただけないでしょうか……こんなこと、見ず知らずの人に頼むべきことでないのは分かっています、でも…………」
 真摯な思い。死を受け入れたからこその、願い。
「いいよ……オレには、たった6年しか君がここで死んだことを覚えていられないけれど……」
 言葉にして気が付く。
 オレにはまだ、あと6年も残っているのだと。
「君と同じように、オレは……あと6年後に、オレでなくなる」
 その言葉をどう受け取ったのか分からない。彼女は何か言おうとして、結局それとは別のことを言ったようだった。
「構いません……それで」
 その時はじめて、彼女の瞳が戒と同じ深い青をしていることに気が付く。
「聞いていい? お兄さんがここを出て行ったのは、いつ?」
「たぶん、もう10年近く前になると思いますが……」
 外はもう暗い。夜が明けるまで、いくらもない。彼女の命は、わずかだ。
「もう1つ、お願いできますか? 可能なら、私を海に、流して欲しいんです。でも、船がなくて……」
「いいよ。オレには風があるから。ねぇ、オレからももう1つだけ、聞きたい」
「はい」
「もう一度、君の名前を」
志途シト 萃です」
 志途────戒。
「ありがとう」


『私はもう目覚めないと思います。このあとは────』
『うん。……さようなら』
『さようなら』



 そしてオレは彼女を、この美しい海に沈めた。
 おそらくは彼女の兄、志途 戒……いや、海の眠る海へ。
「あれから、もうすぐ4年、か」
 ここに来るのも、もう最後になるかもしれない。オレはこの海へは帰ってこない、そんな気がする。
 帰りたい場所がある。
 小さい頃、あんなにも憎み、きっと愛して欲しいと願っていた両親のところへ。
 そして、なぜか泣きたくなるほどに懐かしい、銀の瞳の少年のところまで。
 彼は、怒るだろうか。
 一言だって呪いのことなど話さなかったオレを。隠してきた、オレを。
 それとも、悲しむのだろうか。
 オレのために、泣いてくれるのだろうか。
 できれば、笑い飛ばして欲しい。
 救いようのない、バカだと────。
 帰ろう……。
 あの時と少しも変わらないこの海を、目に焼き付けて。
 きっといつまでも変わることのない風たちの、いつもの笑い声を聞いて。
 そして、オレは──────。


BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2007 Sui all rights reserved. inserted by FC2 system