【2】
時の流れというのは残酷なものだ。
時間は街を変え、国を変え、世界を変えていく。
人も変わる。
誰かが、何かを変えていく。
そうして行き着くのは、幸せであったり、悲しみであったり、自由であったり、孤独であったり────。
不変のものは、何もない。
それがこの世のものである限り…。
時は満ちていく。
未だ、闇は眠る。
「迅、戒が呼んでる」
言いながら走ってきたのは、黒髪を肩口まで伸ばした銀の瞳の少年、皓である。
「分かった」
オレは立ち上がり、土埃を払う。
皓は本当に変わった奴だった。
言葉遣いが気になると言った次の瞬間から、すぐさまあの丁寧な言葉遣いはどこかへ行ってしまい、オレのことも迅と呼び捨てにするようになった。
「戒、どうかしたか?」
何やらおろおろしている奏の傍ら、戒は腰に手を当てて何かを見下ろしているようだ。
「あぁ迅、実は奏が……」
言いよどんだ戒を、奏が不安げに見上げる。オレ達の中では群を抜いて長身の戒の隣にいると、年齢を考慮しても華奢で小柄な奏は、余計に小さく見えた。
そんな奏は、オレを濃い茶色の瞳で見つめる。
「あのね……泣いてた、から……」
瞳と同じ茶の、と言っても少し色素の薄い茶色をした髪が、自信なさげな奏の顔を隠した。つい最近戒に切ってもらった髪は、多少不ぞろいながらもさっぱりしている。
気の弱い奏がここまで自己主張をする原因となったものが、2人の前にうずくまっていた。
「奏……」
実を言うと、この名前はオレが付けたものだ。
「ごめんなさい……」
謝るほどのことではなかったが、気の弱い奏は自然とそう言った。
どうせこの亜良に住むつもりなら、遅かれ早かれ少年はここに集まるのだ。
オレはしょんぼりとうつむく奏の頭を軽くなでると、しゃがみこんで、うずくまる子どもと目線を合わせる。
「こんにちは」
「こ、……こん…………は」
小さな声で、かろうじてそう返事が返ってくる。
「お名前は?」
「…………」
「年は?」
「…………」
「……困ったなぁ……」
だんまりを続ける子どもを前に、思わず言う。
「……あ、の……」
するとようやく言葉を発してくれた。
「なまえ、ないの。え、と……6さい」
小さな声に耳を澄ます。
「名前ないのか……」
そう言った瞬間、オレは何か違和感を感じて目前の子どもを凝視した。
「……女の、子?」
顔立ちが、どうもこれは……。
こくり、と子どもは頷いた。
あぁ、やっぱりか。
奏を拾ったときも、はじめは女の子かと思ったが……今回は本当にそうだったか。
「……迅も奏も違ったから、この子もてっきり男だと……」
戒があっさり失礼なことを言いやがったけど、今は聞き流しておく。
「とりあえず名前だな……
「り……ん?」
「そうだよ。でもなぁ……」
この街の暗黙の了解────女は住めない。
理由なんて知らないけれど、少なくとも集会だのを主催する連中はそう言っている。
「どうする、迅」
「どうするって……仕方ないから、夕方にでもオレが連れて行ってくるよ」
「つれてっちゃうの?」
奏が心配そうにオレを見上げる。
「そうだよ」
「でも、だって……」
この街では、女は生きていけない。女には、女の領域がある。
「ここにいても、鈴は死んでしまうよ」
努めてやさしく言ってみるが、奏はそれを聞くと黙り込んでしまった。軽く息をついて、今度は再び鈴に向き直る。
「どうして、ここに来たの?」
「……あの……にげた、の……」
尻すぼみに小さくなっていく少女の声を、かろうじて聞き取る。
逃げた、ということは、大方どこかで奴隷にでもされていたかなにかだろう。
しかし、こうして正面から改めて見ると、本当にかわいい。
白い肌は透けるようだし、瞳はオレと同じ碧眼で、髪は光の具合でキラキラときらめく茶金。思わず手を伸ばして触れたくなる。
笑ったら、どんなにか綺麗だろう。
そんなことを考えていると、角を曲がって皓が来た。
「どうかしたのか、皓」
「別に、昼ごはんの時間だから呼びに来ただけ」
「そっか、もうそんな時間か……じゃ、鈴も一緒に食べよう」
コクンと小さくうなずくのを待って、オレは鈴の手を引いた。
「それで、今日は誰が作ったんだ?」
「あぁ、オレ」
そう言った皓がなぜか意外で、オレは反射的に言っていた。
「作れるんだ……」
「いや、あんまり自信はなかったんだけど、ためしに」
「…………」
最近少し思い始めていたことなのだが、この皓はオレ達の中でも変わり者だ。たぶん、ほぼ確実に。
廃屋の中には既にみんなが集まっており、オレ達は適当に座った。皓が皿を手渡してくれる。
「サンキュ」
それを受け取って、皓をすぐ目の前に座らせた。
「みんないるなー? じゃ、乾杯!」
「うわっ!」
皓が叫んだ。まぁ無理もない、オレがグラスいっぱいの水を思い切り頭の上からかけたのだから。
「……迅……」
「ようこそ、皓」
色々と忙しく、伸ばし伸ばしになっていたが、これがオレなりの歓迎の仕方だ。苦笑しつつもそれを理解した皓は、それ以上何も言わなかった。
それから皓の料理を食べた。ためしに、と言っていたわりには、まともでうまい料理だった。
「さて、そろそろ行こうか」
立ち上がって、鈴の手をとる。
「どこに?」
誘うようなオレの口調に、皓が言った。
「どこって……」
頭の良さそうな皓のことだから、当然知っていると思っていた。でも、考えてみれば亜良に来たのがつい最近のはずだから、知らないもの無理はない。
オレは笑った。
「一緒に行けば分かるから」
「それはついて来いってことだよな、やっぱり」
皓に向かってにっこり笑う。それ以上は言わず、今度は戒に言った。
「一緒にどう?」
「オレはいい。あんな場所、一度行けば十分だ」
「そう? 残念だな」
戒のあまりにも嫌そうな顔を見て、皓は顔をしかめる。不安そうに言った。
「何か、危ないところとか?」
「危なくはないと思うけど? ま、人それぞれかな」
「とにかくオレの性には合わない。迅は、気に入っているんだろ?」
「まぁね」
そんなやり取りに、皓は少しも安心など見出せなかったようだが、少なくとも行く方向で心を決めたらしい。
「ってわけで、行くよ」
「あ、あぁ」
オレの後ろを無言でついてくる皓。
やはりこいつも戒と同様ここが苦手らしい。
オレは鈴の手を引いて、とある店の門をくぐった。趣味のいい装飾が施された、明るい建物だ。
「こんにちは、みなさん」
自然と笑顔になって、オレはそう言う。
「あらぁ、迅くん。久しぶりねぇ」
「みんな、迅くんが来てるわよー」
あっという間に数十人の女性が現れる。彼女たちの共通点を単純に言えば、まぁ露出度が高いことだろう。つまりここは、亜良の花街────娼館だ。
「ねぇ迅くん、この子だぁれ? かわいい!」
皓を囲んだ若い女性たちは、何やら楽しげだ。皓はというと、どうやら対応の仕方が分からずにうろたえているようだった。
「かわいいけどそいつは男。最近拾ったばかりなんだ。なぁ、皓」
オレの声が届いていたのかどうかはよく分からないが、ともかく今はそれどころではない、と全身で主張していたので、これ以上は何も言わないでおくことにする。もちろん、うろたえる皓なんて他では見られそうもない面白い状況なので、助け舟を出す気はない。
そんなこんなで楽しく話し込んでいると、裏からのドアが開いた。
「なんだ、帰ってきて早々やけに騒がしいと思ったら……」
「御無沙汰しておりました、奥様」
彼女が入ってくると同時に娘たちは騒ぐのを止める。そして、彼女のために道をあけた。
オレがすっと一礼すると、彼女は顔をほころばせる。
この30代半ばほどの背の高いご婦人が、この店の主人である。きつめに巻いた赤毛を腰まで伸ばし、シンプルな黒のドレスを着こなしていた。
「おや、見ない顔だけど、新入りかい?」
皓の姿を認めて、彼女は問う。
「お初にお目にかかります、ご婦人。皓と申します」
ほんの少し前までうろたえていたのが嘘のように、うってかわって皓はきっちり挨拶をした。それが、ひどく大人びて見えた。
「こちらこそ、私はこの宿の主人だ。残念ながら、それ以上でもそれ以下でもない。名前はとうに捨てたからね」
気の強そうな顔立ちのこの主人は、オレと始めて会った時と同じようなことを言って、ゆったりと笑みを浮かべる。彼女はいい女には違いないが、その内心は知れない。
「それにしても久しぶりだね、旦那。今日は何事だい?」
「この子を、預かってもらおうと思ってさ」
オレはそう言って、後ろに隠れていた鈴を前に出した。
「名前は鈴。まだ6歳らしいんだけど、頼まれてくれる?」
彼女は火の入っていないパイプをくるりと回して、やさしく微笑んだ。
「しょうがないね、旦那の頼みだ」
「ありがとうございます、奥様」
「礼はいいよ。そのかわり、たまにはこうして顔を出しとくれ。うちの娘たちは、ずいぶん旦那がお気に入りみたいだからね」
「えぇ、近いうちに、また伺います」
それから鈴の頭に手を置いて、そっと微笑む。
「また今度ね」
ためらいがちに、鈴はわずかに頷いた。
「それでは、お暇させていただきます。皓、行くよ」
「あ、うん」
「迅くん、またね」
華やかなお嬢さんに囲まれて、オレはそのうちの1人の手を取った。
「お嬢様方、次にお会いするときまでお元気で」
そして、その手の甲に口付ける。彼女たちの間をするりと抜け出して、オレは外に出た。
「……何、今の」
渋面になった皓の問いに、こともなげにオレは答える。
「習慣みたいなものだけど?」
疲れきった表情の皓に、聞いてみる。
「どうだった?」
「────もう二度と行きたくない」
ため息混じりに言う。なぜだか分からないが、これまで連れて行ったことのある戒や他のみんながみんな、同じ意見なのだ。オレは1人で首をかしげる。
「そうかなぁ……」
「オレは、平然としてられるお前が不思議だよ」
「そう? あ、でも皓、なんだか主人に気に入られた感じだったから、たまには行ったら?」
皓は突然何もないところにつまずいて、危うくこけそうになる。
「……はぁ……」
大きなため息。
「いいじゃん。一緒に行こうよ」
「良くない……」
その声が何だか情けなく聞こえる。
そして彼はもう一度ため息をついた。
動き出しているのだ、と。
いつか壊れてしまう日が来るのだ、と。
知っていたのだ。
そう────自分が呪われた存在であることも。
だが、今は忘れていよう。
繰り返し繰り返し、言い聞かせた。
いつか、どうしようもなくなるまでは────。
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