【1】
天を創造したのは神なのか。
では、神を作ったのは……?
神なんて、人が作り出したものに過ぎない。
もしも世界に神がいるのならば、無駄な血など流れはしない。
神は、人。
人の作り上げた、最高の地位であるだけ。
死人を裁くのは魔王だろうか。
魔王を作ったのも、所詮は人だ。
最も醜悪な魔は、人なのだから。
魔は人そのもの。
魔王など、人の作った絶対悪であるだけ。
神も魔も、人が作ったもの。
それならば、人を作ったのは?
人を作ったのもまた、人。
そしてオレを形成したのは他ならぬ人間。
オレは殺人鬼という名の、最も魔に近い存在であるだけだ。
人は影を作った。
大きな、影を作り出した。
やがて人は影に身を隠し、溶けていき、影そのものとなる。
神も魔も何もかも、人が作ったもの。
そして人は作り続ける。
時に、オレのような失敗作を残して。
全ての罪を犯すための“人”を、置き去りにして。
夜、他に人の乗っていない乗合馬車に、オレは独りで座っていた。
それもそのはず、わざわざこんな遅くに移動しようと思うのは、よほど急ぎの人間だけだ。この馬車も、たまたま荷を運ぶ用があっただけ。それがなければ明日まで待たされていただろう。
窓の外は深い森が広がっているだけの、真っ暗な空間。
広々とした席に、小さな荷物だけを置いていた。その中から書類を取り出す。
薄闇の中、備え付けのランプに火を灯し、目を通す。
─指令─
目標: 晟 皓 <セイコウ> 男 17歳
薄く安っぽい赤茶けた色で記してあった。続きを見る。
剣術及び武術に秀でる。
1週間以内に実行し、死体は回収せよ。 以上
そして書類を元に戻しかけ、手を止めてもう一度その顔を見る。
漆黒の髪と、男にしては大きな灰の瞳。その瞳は奇妙な光を放っている。
女とも取れる、中性的である程度整った顔立ちの少年だ。いや、青年と言うべきだろうか。
その時、静かな雨音がする。
見ると、窓には雨が伝っていた。次第に雨足は強まり、大粒の雨が窓に叩きつけられる。
こんな日が、オレは好きだ。雨は、全ての気配を希薄にし、オレという存在を消してくれる。誰かを殺すにはこれ以上の日はない。何しろ、晴れた日は“あいつ”がひどくうるさい。耳障りな、もう1人のオレ。
だが、どうやらこの雨が止むまでに指令を実行するのは難しそうだった。
揺れる静かな馬車があの町に着くのは、明日の朝方なのだから。
明るい太陽の下で、幸せそうに笑う。
その庭には、大きな木と花壇いっぱいの花。
1人は木陰で眠り、走ってくる幼い子どもに誰かが手を振る。
そしてそこに、私はいる。
そこにいるのが、まるで当たり前のように。
────あぁ、また夢だ。
いつからだろう、こんな幻を見るようになったのは。
レンと代わって、外の世界と直接に関わることはなくなった。けれど、時折レンの見る現実が、私の中にも流れ込んでくる。それは私の見る夢とはかけ離れていて、私は辛い。
意識でしかない私が、夢と現実の区別をつけられるようになったのはいつのことだろう。それすら思い出せないほど、私は現実の時間をもう長い間生きていない。
ねぇ、あなたはまた私の知らないところで、冷たい雨の降る夜にこの手を血で染めているのでしょうか。
逃げた私に、今更言えることではないけれど……でも、もうこれ以上殺さないでください。
私はあなたの悲しい顔なんて、見たくない。
はっと、目を開けた。
あいつから流れてきた意識の断片。
うっとうしい、もう1人の自分。
悲しい?
理解できない。あいつの考えることは、昔から意味が分からなかった。あいつはオレであって、全く違う存在でもある。
窓の外、東の空は次第に明るくなりつつあった。もうすぐ目的地にも到着するだろう。移動に時間を取られたが、指令の期限まではまだ少しある。とりあえずは奴を捜さなければならない。
やがて馬車は速度を緩め、停まった。停車した場所は広く、今朝は市が開かれている。早朝だというのに、通りは人であふれていた。行きかう人々には活気があり、そこが栄えた町だということを示す。
その人ごみに紛れるように、オレは街を進んだ。
陰になった建物の壁に背をあずけ、行きかう人を眺める。
標的の姿は見当たらなかった。
建物の間を吹き抜ける風に、髪がなびいてうっとうしい。肩よりも長くなった髪は邪魔だった。もう切ったほうがいいのかもしれない。
しばらく待ってみたが、人通りが少なくなってきたので移動することにする。
そもそも指令状には普通、標的の住む家の住所や職場が記してある。それがなかったということは、今回の標的は定住せず、定職にもついていない人物である可能性が高い。そんな人間をどうして暗殺する必要があるのかは知らないが、どうせオレが知っても仕方のないことだ。
ほんの2歩、大通りに向かって歩いた。
「いてぇなぁ。おい、責任取ってもらおうか?」
明らかに待ち伏せしていたタイミングでオレにぶつかったのは、どこの町にもいそうな品のない人種だった。
「ちょっと来てもらおうか」
彼の後ろから、ぞろぞろと仲間が現れる。その数は──5人。
特に抵抗をしないでいると、オレは細い路地に引き込まれ、そのままどんどん人気のない奥へと導かれる。
「金、持ってるよな。ないとか抜かすなら、身体に教えてやるぜ? どうせこんな場所、誰も助けに来ちゃくれねぇんだ。おとなしく────」
「おい」
オレは男の言葉を遮った。
人が来ない、か。
「…………え?」
オレにとっては、都合がいい状況でしかない。男たちは一瞬目を見開いたその顔のまま、肉塊と化す。
オレなんかに構わなければ、もう少し長生きできたものを。
足下で緋色の雫が跳ねる。
そこに転がった手や足、そして頭部が、まさに今まで生きていたことを主張するように流す血潮で地を染める。
ばらばらになった5人のうちの誰かの腕が血溜まりに落ち、跳ねた血が俺の指先を濡らした。
殺すことは、オレにとって快楽でも何でもない。しかし、かといって嫌だとは思わない。
つまらない。
ただ、オレは生きているのがつまらない。
そして、生きている人間達が気にくわない。
人間ごとき、オレがほんの少し指先を動かせば、ほんの少し能力を利用して殴れば、あっけなく死ぬのだ。
だが、生きていて何になる?
生きていようが死んでいようが、大差ない。ただの肉の塊でしかない。
余計なことを口にせず余計な罪を犯さないだけ、死体のほうがいくらかましだ。
そう────オレのように。
手の中の鋼糸をしまってから、何気なく髪を払った。
赤い血が髪にまとわりつく。
「……うっとうしい」
とりあえずこの血をどこかで流してしまおう。余計なことで目を引いて、時間を無駄にする気はない。
────そういえば、昔暗殺の標的に言われたことがある。『貴様からは血のにおいがする』と。
この身は、きっと今も……
「……バカらしい」
そんなことを知ったって、何にもなりはしない。
ただ確かなのは、この手で奪った命の数が、ほんの少し増えたということだけ。血のにおいは染み付いたまま、さらに強まるのだろう。
この手を濡らす赤い赤い血が、その存在を主張するようにオレを染め上げる。
私はもしかしたらあの日、死んだのかもしれない。
そう、死ぬべきだった。
私の命が奪われないように、心が壊れてしまわないように、あの人が……レンがこの身の奥底に眠っていると知っていたら、私はとっくに自分から死を選んでいた。
ごめんなさい。
あなたを目覚めさせたのは、紛れもなく私なのです。
血に飢えた“殺人鬼”。闇に住む“魔物”。愚かしい“罪人”。
ほんとうに罪深いのはこの私。
こうしてあなたの所業を止めることすらできず、その現実を全て見ることすら叶わない私のこと。
現実から目を背けた、私こそが罪深い……。
レンは、あなたです。
では、私は……?
私の名前は「怜」。
あまりにも不確かで、弱々しい存在。
ワタシハ、ダレ?
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