Secret 外伝

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3. Sing


【1】

 日の光を受けようと、大きく葉を広げた広葉樹の樹木。
 きらきらと輝く太陽の光を、その葉からわずかにこぼしている。
 あまりの眩しさに目を閉じると、鳥のさえずりが森中から聞こえていることに気付く。
 空は淡い青。
 もうすぐ南の空に達する太陽は、この豊かな大地をいっそう強く照らすのだろう。
 所々に薄くかかった雲が、長い時間をかけて形を変えていく。
 暖かい風に木の葉がそよぎ、この先の湖の水面を揺らす。
 水面に反射した陽光は、太陽に増して輝くだろう。

 やわらかな日差しがすべてを包み込むある日。
 この日がこれから先を大きく変えることになろうとは、思うはずもなかった。

 歌が、聴こえる──────。



「まぁたサボりかよ、飛炎ヒエン
 聞きなれた声に、木の下を覗く。そこにはオレの数少ない友人の1人がいた。彼の名はオン
 友人と言っても、軍の同期だったから何かと話す機会が多かっただけで、向こうがどう思っているかは知らないのだが。
「仕事なら片付けた」
「隊長が捜してたよ。別に急ぎって程ではなさそうだったけどね」
「……そうか、後で行く」
 オレがそう言うと、彼は大げさにため息をついてから返した。
「全く、オレの立場も考えろよ。いつも捜して来いって言われるのはこのオレなんだからさ。まぁ……今日のところは特別に許してやるから、早く帰って来いよ」
「……何か良いことでもあったのか、苑」
「んー、今日は天気も良いし、俺の気分も良いってとこかな」
 何か釈然としないものを感じて木の枝から飛び降りると、走り去ろうとする彼の背に声をかける。
「おい、苑」
 だが彼は振り向きもせずに走り去った。
 教えてくれてもよさそうなものだが……全く、意地の悪い奴だ。
 何かやり残したことがあっただろうか。
 そういえば今日は朝から予定をきちんと確認していなかった。
 とりあえず苑の向かったのとは少し違う方角に向かってオレは歩き出した。
 苑からはさぼりと言われたが、実際はここの見回りや警備自体もオレの任務だ。仕事をしていることにかわりはないが……特に何もしていないのだからさぼりと言われればそれまでだ。
 一通り見回ったら、帰ることにしよう。
 緑の空気を吸い込んで、オレは歩き出した。

 ここは紅龍の森。
 龍族は外界からの干渉を避けて人間世界と隔絶して久しい。だが、そもそも龍族は最も古い血脈を辿れば、その根本は人間と近しいところにある一族だ。人の目から見れば、龍の姿も魔物の姿も大差ないのかもしれないが、龍の姿になること────つまり“龍化”は、全ての龍族ができるわけではなく、いわゆる魔物と呼ばれる種と龍は全くの別種である。
 豊かな森に生息する生き物の中には、かつて人間世界に生きていた種も多く存在しているのだが、それらの殆どが今や人間世界では絶滅してしまったという。しかしそれも仕方のないことだ。人間世界には外敵が多く、人間同士の争いも絶えないのだから。
 ここ紅龍の森を始めとして、龍族の森は美しく、そしてどんな場所よりも平和だ。
 例えば仮に龍族間で諍いが起こったとしても、この森だけはその影響を受けることなどないだろう。
 未だ嘗て、この森に足を踏み入れてなおこの場所を蹂躙しようという龍族はいなかった。ここはとても神聖で、ある種の浄化作用があるのかもしれない。
 だが、人は違うのだという。
 だからこそ、龍族は人間と共に生きることを止めたのだから。
 人間は“心”の種族。良くも悪くも、龍族とは違った性質を持つらしい。
 オレはまだ、会ったこともない。
 いつからだろうか、オレは人間という種族に少し興味がある。龍族は100年を越える歳月をかけて人間で言う成人の姿にまで成長する。しかし人間はそれよりも遥かに短いわずか70年ほどの寿命しか持たないというのだ。たったそれだけの時間で、人間は一体どのような生き方をしているのだろう……。
 ごく稀に、龍族が人間世界に行くことがあるという。それは限られた龍族しか知ることのない、人間世界との歪みを越えていくことでたどり着く世界。オレの父──現紅龍皇は何度か人間世界に行ったことがあるらしい。
 西の方を見上げると、いつもより鳥が騒がしく飛んでいた。
 森が何かいつもと違う。ざわざわと、微かにゆれている。
 何かあったのだろうか……?
 自然と歩みも速まる。
 鳥たちの飛び回る場所を目指して近づけば近づくほど、奇妙だった。
 動物たちはただ集まるだけで、鳴くこともない。
 いつもなら滅多に姿を現さない動物たちまでが、その気配をさせている。しかし、警戒しているにしては明らかに無防備だ。
 この先は……湖か?
 オレはもう少し足を速める。そして、足を止めた。

「……歌……?」

 動物も木々も、そして風までも、その声に聴き入るように静まる。
 いや、オレがそう感じただけだったのかもしれない。
 だが確かにその瞬間、オレの耳はその声しか聞こえていなかった。まるで我を忘れたかのように、その歌を聴いていた。
 本当に微かな、それでいて何か力の感じられる声。
 導かれるようにオレは湖の方へ足を進める。
 視界が開けた。そこはきらめく水をたたえた、命の湖。水面に反射した眩しい光が、一瞬にしてオレから視力を奪う。
 眼帯に覆われていない左眼を細めて、声の主を捜す。
 遠く湖の向こう側の淵に、小さな木の幹に背をあずけている人影が見えた。
 考えるよりも前に、オレはその人影を目指した。
 近づく。その姿が、やがて鮮明になる。
 青みがかった濃い灰色の髪が肩口まで伸びた、それは色白の女だった。
 両足を湖に浸し、小さく肩で息をしている。露出した腕からは赤い血が流れていた。
 声をかけようとしたのに、何を言ったらいいのか分からなくなる。気がつくと、歌声は消えていた。
 黙ったまま立ち尽くしているオレの目の前で、閉じられていたその双眸がゆっくりとこちらを見る。
 唇が、言葉を紡ぐ。
「────あなた……だ、れ……?」
 そう言ったきり、女は再び瞼を下ろした。
 ……気づいた時には、その女を抱えて走り出していた。


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