【2】
“あの子は呪われている”
届いた風の噂。
“あんたなんかいなければ良かったのに”
まるでそう語る、母の背中。
『悪魔!』
オレは、いらない子供。
「オレがどうしてここにいようが、お前には関係のない話だ」
男は下を向いたまま、一言そう答えた。
無感動な響きの中に、強い拒絶が交じっていた。
微動だにしない男の姿に背を向け、オレは無言で外に出る。
西へ10分も歩いたころ、オレは足を止めて木の下に座り込んだ。
虚空を見つめて、もう何時間そうしていたか分からない。
夕日がいつもより大きく見えて、東の空にはいくつか星が輝いていた。
あの奇妙な男がオレを拾い、道まで教えた。
それは親切心からきたものだったろうか……否、これ以上近くをうろつくなという、警告に似た行動だ。
外気が寒い。だがそんなことはどうでもよかった。
ただ、あの男が気になっていた。
気がつくとオレは来た道を逆戻りし、あの男の家の前まで来ていた。
扉を叩く。返事が帰ってくる前に、扉を開ける。
室内はランプの1つもなく、薄暗かった。月明りだけを頼りにオレは進む。
部屋の中に、かすかに動く影があった。あの男だ……顔の輪郭かぼんやりと分かる。どうやら、昼間頭に巻きつけていた布は取っているようだった。
オレが何か言うより早く、男が口を開いた。
「昼の、ガキか」
なぜかさっきよりも弱々しく、その声は闇に響いた。
「なぜ戻ってきた……去れ」
男は自分の傍らにあった穴に、火をつけた。どうやら暖をとるためのものらしい。
その火と月明りが、男の顔を闇にくっきりと浮かび上がらせる。
オレがその時もし普通の人間の普通の精神状態だったなら、逃げ出していたに違いない。
「今すぐに立ち去れ」
だが……生憎オレは、普通ではなかったのだ。
「いやだよ……ねぇ、泊めてくれない?」
オレの目の前で話をしている相手……それはもはや人といえるだろうか。
ぼぅ……と浮かび上がったその人の形をしたものは、しかし人間の顔ではなかった。まるで紺碧の海よりも深い色の皮膚。太い血管が浮かび、その瞳は閉じられてはいたが、人の2倍ほどの大きさがあるようだ。
魔物、という生き物がごく稀に目にされるというが、まるでそれのように思えた。
少しとがった耳だけが、人間と同じ色をしていた。
「ねぇおねがい……泊めてよ」
男は一向に立ち去る様子のないオレを知ってか、無言でオレの傍まで来て戸を閉めた。
そしてよろよろとベッドに戻ると、そのまま眠ってしまった。
朝が来た。
男は横になったまま、動かなかった。
だが、男がとうに起きていることは何となく分かっていた。
そして……オレはどうしてだか、思いついたように彼に自分を吐露し始める。
オレの持つ呪いのこと。母親がオレを嫌っていたこと。オレには決して注がれることのなかった弟への愛情。オレへの態度。売られ、奴隷になり、こうして逃げ出してきたこと。
ぽつぽつと、オレは話した。
なぜこんなことを話したのか分からない。何となく、彼のその背中が……オレを見透かしているように思えたのかもしれない。隠しても、何の意味もないことだったのだから。
男は口を挟むことなく、無言で横たわったままだったけれど、オレはそれを聞いてくれていたと思っている。
「────だからオレは、1人だ……」
話の終わりに、オレはつぶやいた。
男はゆっくりと起き上がって、顔を隠すことなく巻かれた布を取る。
本当に綺麗な色だ……。
「お前は、いいな……」
しかしその男の顔よりも言葉のほうが不思議で、オレは訊ねた。
「なんで?」
「……お前は必要とされていたからさ」
「違うよ……みんな、オレを捨てたんだ」
「なぜ、そう言い切る?」
「────だって……母さんはオレを見もしなかった、父さんだってまるで無関心で、弟だってオレと口さえ利かなかったんだ。オレを売った奴隷商人も、買いとった女も、オレをただの道具としか見てくれなかった……」
オレは早口にまくしたてた。そして不安になる。
オレは、何か間違ったんだろうか?
「変わった、ガキだ」
男は声を発した。と言っても、口らしきものがよく分からなかったのだから、どうやって彼が話をしているのかは分からなかったが。
「オレが、怖くはないか?」
迷わず頷いた。
そして小さく息を漏らし、ベッドから降りて壁に寄りかかった。
「お前だけが話すのは不公平だからな……オレも昔話をしよう。────オレもな、お前と同じように孤独だと思っていた。だが、それはオレの思い違いだったのさ……オレはかつて一度、この世で必要とされたことがあった」
「一度……?」
「そうさ」
オレが黙ると、そっと男は語り始める。
「詳しいことは知らない……昔、ある村に1人の女がいた。女は身ごもっていて、だがお腹の子どもの父親が誰だか分からなかった。女は身よりもなく1人で子どもを産み、そして死んだ。残された赤ん坊をどうするか、という話になった。……当時村には“災い”が絶えなかった。村人たちは、生まれたばかりの赤ん坊にその災いを引き受けてもらうことにした。村人は災いを封じたその赤ん坊を、深い山の洞窟に閉じ込め、そうして長い年月が経った。村は平穏を取り戻し、赤ん坊は……オレは忘れられていった」
「……そ、れが、必要とされた時……?」
「そうだ。オレは村を災いから救う犠牲として、必要だった」
男は淡々と続ける。
「村人にとって誤算だったのは、死んだと思っていたオレが生きていたことだった。オレは暗い洞窟の中で、呪いのような力に囚われて成長し続けた。成長したオレはある日、山を下りた。愚かにも歓迎される、と思っていたのかもしれない……。村人はオレを化物でも見るような目で見て、必死で追い払った。そのはずだ、長い年月の間にオレを侵食した災いは、オレの外見を大きく変容させていた。この青い皮膚も、その1つだ。とにかく命からがら逃げ帰ったオレは、そこでようやく自分の姿が普通でないことに気づいたのさ。だがな、殺されそうになってもどうしても諦めきれなかったオレは、何度か村に近づいた。そんなある時、村人の話を聞いてしまった……」
「……話って?」
「それはオレに術をかける相談だった……オレのおぞましい姿を忘れようとした村人にとって、最善の方法だった」
おぞましい?
「オレは、全ての人に忘れられた……」
「わ……す、れる……?」
ほんの少し男は首肯する。
「オレは忘れられるという呪いのような術をかけられた。……オレの能力は風でな、オレは誰に聞かなくたって知りたくもないことを風に教えられた」
それは、オレと、同じ力。
「オレと会った人間は、オレの事を半日ほどで忘れる」
オレは何も言わなかった。
「たとえ忘れられてしまったとしても、オレは村を救った。それだけで生まれてきた意味があったと思っている。自己犠牲なんて立派な話じゃない、もし普通に生まれていたら、どんなにかよかったろうと何度も思ってきた。だがオレには人に忘れ去られようと森がある。オレは世界に、忘れられはしない」
あまりにもさらりと話されて、何も言えなかった。
「オレの姿を見た人間は、例外なく逃げ出した……今となれば、忘れてもらった方が都合がいいとさえ思えるのさ」
「……さみしく、ない……?」
口をついた問いに、男は「はは」と笑って、答えてくれなかった。
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