【1】
涼しい風が通り抜けていく。
つい木の上で、昼寝をしていた。
夢を見た。
もう忘れてしまったのだが、悪くはない夢だった気がする。
「飛炎、降りて来いよ」
木の下から、軍の同期で唯一オレの友人らしい友人、苑の声がする。
着地すると、あまり軍人には見えない温和な彼の顔があった。オレと苑は、紅龍皇護衛軍中央本部、機動第一部隊所属で、部隊の副隊長を務めている。
「あのさぁ、勝手に消えるの、やめてくれる?」
「いいだろう、別に」
「オレが疲れるんだよ」
特に用事がないからこうして抜けているのだが、苑は律儀に探しに来るのである。
道の向こうからは隊長がこちらへ向かっている。そして、傍らにいるのは彼女だ。
「飛炎!」
駆け寄ってくる人間は、オレを呼ぶ。
「琳さん。こんなところに、どうしたんですか?」
「飛炎を呼びに来たの」
「オレを?」
すると、隊長がオレを見て言う。
「そういうことだから、飛炎、今日はもう上がっていい」
「?」
「龍皇陛下がお呼びだそうだ」
「父上が?」
「あぁ。どの道今日はもう、特に仕事もない」
「分かりました。行こうか、琳」
「えぇ」
「隊長……もしかして、あのこと、でしょうか?」
「だろうな」
苑の問いに、第一機動部隊隊長
「あの時の飛炎は、驚くくらい慌ててましたよね」
「あぁ。あそこまで顔に出るなんて、ただ事じゃなかったな」
2人の後姿を見送りながら、笑う。
無愛想で冷静な、感情を滅多に出さないことで知られる第2皇子飛炎が、他の全てを放り出してしまった出来事が、つい10日ほど前のことだ。ただ1人を探すために何の報告もせずに飛び出したというのだから、彼を知る周囲は耳を疑った。
それが、たった今一緒に行ってしまった琳という人間のためだったことは、もはや飛炎に近しい人には有名な話である。
「そうだ、隊長。琳さんの歌、聴いたことあります?」
「あぁ、少しだけな」
飛炎は、彼女の歌が好きだと言っていた。
よく見ないと気づかないけれど、彼女といるときは、いつでも少しだけ笑っているようだった。
「お帰り、飛炎。父さんなら部屋で待っているよ。琳さんもこんにちは。そういえば琳さんのことは、母さんが呼んでいたよ。庭にいるはずだから、行ってみて」
城に入ると、オレの兄、つまり第1皇子の
「玖煉様、ありがとうございます。それじゃあ飛炎、また後でね」
琳を見送り奥へ行こうとしたとき、兄と目が合う。じっと見られている気がしたのだ。
「あの、兄上……何か?」
「何でもないよ。ほら、急いで」
何があったのか知らないが、兄はオレの背を押した。
「父上、私です。入ります」
「どうぞ」
扉の向こうには、紅龍の若き龍皇がいる。オレの父だ。
オレが座るのを待って、父はなぜか正面ではなく隣に腰掛けた。
「ねぇ、飛炎」
「はい」
口調で、今日の話が息子としてのオレに向けられていることが分かる。
「この間、自分が何をしたか覚えてますか?」
父の言うこの間とは、龍族の領域を出て人間界へ行き、しかも人間界でも異郷の“天境”と呼ばれる場所にまで、琳を探しに行ったことだろう。
「……その件でしたら、すみませんでした。軽率なことをしたと思っています」
「お前らしくなかったね、飛炎。私も、さすがに不問にはできないよ」
「おしかりは、如何様にも」
言いながら、10日も前のことをなぜ、とも思う。
報告を怠ったことは確実に自分の非なので、謝るしかない。
「では、この際はっきりしてもらおうかな」
「は?」
「飛炎、お前今年でいくつになる?」
「215だったかと」
「私がお前の歳の頃には、もう玖煉がいたよ」
にっこりと笑う父に、意図を悟った。
「――――父上……私は……」
「飛炎、罰だよ」
しまった、と思う。父は、なにかにつけて琳のことを聞き出そうとしていた。オレが彼女を初めに成り行き上の恋人として紹介したことに始まり、時折彼女と歩いていたりするところを見られたりする折々に。聞かれては逃げてきたので、父は手を焼いていると聞いたことがある。
琳がここに来たのは数年前になるだろうか。偶然見つけて城へ連れてきてしまってから、彼女は何となく傍にいる。
そのまま数年だ。
「飛炎、どうして彼女を探しに行った?」
「当たり前でしょう。さらわれた形跡があったのですから」
「どうして?」
「どうして……とは……父上、私は、誰がいなくなっても同じように探しに行きます」
「でもね、あれほど無鉄砲に飛び出したりしないはずでしょう」
言いたいことの意図は分かっている。黙ってしまった。
父は急に、真摯に言う。
「いいかい飛炎。人は、私達よりもずっと早く死ぬ。お前はまだ、数百年先まで生きる。でもね、人間なんて、長くてもあと数十年もすれば死んでしまうんだ」
「知っています」
つい、きつい口調で言っていた。
「それが、何だというのですか、父上」
「だから飛炎、はっきりするべきだと言っているんだよ。時間は、有限だ」
父が何を言いたいのか、本当は分かる。痛いほどに。
「父上、私はしたいようにするだけです」
立ち上がり、庭を見下ろす。彼女がいる。
「でも飛炎……お前は、それでいいのか? 先を生きていけるのか? 忘れることができるか?」
忘れる、なんて。
「できませんよ。忘れるなんて。だからと言って、今更違う選択をすることなど、無理ですよ」
父の顔を見ずに、庭へと飛び降りた。
「飛炎、危ないわ」
飛び降りた先の着地点の傍にいた琳は、その手に何かを持っている。
「どうかしたの?」
「琳……」
「何?」
穏やかな、いつもの彼女だ。何を言ったらいいのだろうか……。
「ねぇ飛炎」
「?」
彼女は、オレの手を取った。それから頬に唇を寄せる。オレは、眼帯に隠れていない左目を見開いて、彼女を見つめる。
「私は、あなたの恋人よね」
「あぁ……今度は、妻になって欲しい」
今度は彼女が目を見張り、頷いてからオレの手を引いていく。
今オレは、はっきりさせたんだろうか……。あまりにあっさりとしていて、実感がない。
飛炎のいなくなった惺緋龍皇の部屋に、しばらくすると真皇妃が入ってきた。
「惺緋、結婚式の準備をしないとね」
「……結婚って、誰の……飛炎?」
「他にはいないわよ」
「本当に?」
「えぇ、きっと」
「きっと?」
「見てきたわけではないの。でも、間違いないでしょう」
惺緋としては、なぜそんなに自信があるのか訊ねてみたいところなのだが、いつも特別な根拠があるわけではないことだと知っているし、外れたことなどないのでいいことにする。
妻の言葉を受けて、惺緋は窓の外を見た。飛炎が逃げるように出て行った窓からは庭が見え、話の渦中の2人が一緒に歩いていた。それを見て、表情を曇らせる。
「私は少し心配なんですよ。はるか昔、まだ人間の世界とここが近かった頃は、人間とのつながりはそれほど珍しいことではなかったと言いますが……やはり、人というのはあまりに儚い生き物です。飛炎は、彼女がいなくなったら……」
「そんなこと、まだ先の話でしょう。それに、飛炎は私達の息子です」
「それはそうですけど……でも、飛炎はいつも無理をする」
心配性の龍皇は、誰より飛炎のことを気にかけていた。
「ほら、惺緋」
真皇妃も、惺緋龍皇の傍らに来て、2人の姿を見ている。龍皇も、その視線の先を追った。
「私達がほとんど見たこともなかった飛炎の表情を、彼女はほんの数年であんなに引き出してしまったのだから。少し親としては悔しいけれど、でも、それだけ大きな存在なのよ、きっと」
視線の先で華のような笑顔を向けられ、微笑んでいるのは、このおよそ200年もの長い間、誰一人として笑顔と呼べるほどのものを見たことがなかった皇子。慌て、呆れ、笑い……その全てが、彼女の、琳という人間のためのものなのだった。
そして、彼女以外にも、最近はずいぶん表情を見せるようになった。とてもわずかなものだが、それは劇的な変化だったのだ。
「そうだね……。そうだ、結婚式はいつがいいだろう?」
「気が早いわよ。ちゃんと飛炎に確かめて、決めましょう」
「あれが自分から言ってくると思うのかい?」
「そうね。私から、琳さんに聞いておくわね」
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