初めて見たとき、人形が話をしたのかと思った。
でも、笑った顔はとてもあたたかくて、人間以外の何であろうはずもなかった。
彼は、誰にでも優しかった。
でも決して、誰にも心を許さなかった。
時折、ふと笑みの消えた彼は、淋しげに見えた。
そして、それに気がついていたのは、たぶん私だけだったのだと思う。
「どうしたの?」
「何でもないわ……」
あなたがあんまり綺麗だから、見とれていただけ。
太陽の下で、光をたくさん浴びて――――夜の街だというのに、あなたはいつも、明るい時間から会いに来てくれる。
「
私よりも、ほんの少しだけ高い目線で、彼はさりげなく口付ける。
彼は誰にでもこんなことをする。この街の誰だって、彼のことを知っているし、彼はみんなの名前を知っている。
私のことも、例外ではない。彼にとっては、ただの、遊び。
「ねぇ、何だが元気がないわ」
「そう?」
嘘が上手ね。でも、自惚れかもしれないけれど、分かるの、あなたが嘘をついていること。
「そういえば、しばらく来てくれなかったのね。淋しかった。どこに行ってたの?」
「色んな場所に……昨日は、海に行ったよ」
確かなことは何にも言わないのね。
きっと、訊いても言ってくれないのね。
でも、だけど、好きよ。
「ねぇ……迅、どうしたの……?」
あなたは私のことを、あんまり知らないわ。
でも、私はあなたのことを全然知らない。
みんな、知らない。あなたは教えてくれないから。
ちょっとだけ、私を見て。
一緒にいる間だけ。
「槊、オレさ……」
「なぁに?」
私を見ていない碧い瞳。怖いくらいに、綺麗で――――。
「何でもない」
そう言って笑って、琥珀色のグラスを空ける。
珍しいのね、いつもはほとんど、飲まないのに。
「酔ってるの?」
「うん、ちょっとね」
少し薔薇色に染まった頬。馬鹿みたいだけど、あなたがこの世のものではないみたいで、私は目がそらせない。
でもね、危うくて、壊れそうで、いつだって恐れているの。
あなたは、消えてしまいそう。
どうして笑うの?
何となくね、分かるわ。あなたが笑っているのは、私達に見せてくれる表側だけ。
笑わなくてもいいのよ。
あなたは、人形じゃない。笑って欲しいけれど、いつも笑っていなくても、いいの。
それでもどんなときも、私達に微笑んでくれるけれど。
時々、あなたは子どもの頃の話をしたわ。
朝日が差し込む、まぶしい時間が多かった。
たいていは、あなたは夢から醒める前の、まどろみの中だった。
そんなときのあなたは、本当にうれしそうに目を細めていた。
ただ、決まって最後に、昔のことだけどねと苦い顔をする。
聞いたことがあった。
「戻りたい?」
「いや、もう、戻りたいわけじゃないよ。戻ったら、きっとオレは泣いちゃうだろうけど」
あなたは軽く笑って、いつもの調子で言ったけれど……。
泣いていたように見えた。
「迅、もう、そのくらいにしたほうがいいわ」
本当に今日は、珍しい。彼は完全に酔いが回ってしまったのか、グラスを手にしたまま、机に崩れている。そういえば、いつもはしない煙草の香りがする。
「ほら、迅……そんなところで寝たら、風邪を引いてしまうわ」
言っても動きそうにない彼に、私は掛布を手に立ち上がる。そっとかけようとすると、急に彼は私にしがみついた。
「――――会いたい……」
「……誰に……?」
答えは返ってこない。
冷たい雫が手のひらに落ちてきて、私ははっとした。
「ごめんなさい……ごめん……さ、い……――――ごめん、こ、う……」
宝石よりも煌くほどに、そっと、いくつも零れていった。
彼は、そのまま眠りに落ちていった。
「あぁ、おはよう槊」
翌朝、私が目を覚ましたときには、彼はもう旅支度を済ませて窓辺で外を眺めていた。
「行くの?」
「うん」
あぁ……あなたはもう、帰ってこないのかもしれない。
何となくそう思う。
「ねぇ迅……連れて行って」
自分でも思いもかけない言葉を、私は言っていた。
彼は、太陽もかすむほどまぶしく笑う。
「ごめんね、槊」
返事は、聞かなくても分かっていた。でも、やっぱり悲しい。
「オレはずるいから」
ふと、訊いてみたくなった。
「――――誰に、会いたいの?」
私が訊くと驚いた顔をした。
「オレ、何か言ったのかな……。うん、あのね、会いたいのはずっと昔、オレを捨てた両親」
「どうしても、会えないの?」
「そうだね……オレには、会いに行く勇気がないから」
けれど迅は、言葉に反してすがすがしい表情をしている。
「でも、今から親友に会いに行くつもりなんだ」
「親友って?」
「オレのただ1人生き残った友達。誰より大切な親友……皓に」
こう。あなたが謝っていた、ひとり。
「ねぇ……」
その人のところへ、行ってしまうのね。
「今度来た時は……」
きっと、帰ってこない。
「その人のこと、聞かせてくれる?」
もう、行くのね、迅。
「うん、約束する」
分かるの。
分かっていたの。
ねぇ、お願い、行かないで。
あなたは嘘が、上手だから。
あなたの嘘は、いつでも、悲しいから。
「またね、迅」
「さよなら、槊。またね」
あなたは嘘吐きだわ。
もう二度とここに来ないと思っているのに。
ねぇ、それでも私、あなたが好きよ。
知ってるわ。
あなたは、もう死んでしまうのね。
私には、時々人の強い想いが見えてしまうから。
さようなら。
とても、綺麗なあなた。
さようなら……――――。
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