【6】力無き手
月日は流れ、あれから4年。私達には子どもが生まれ、
皓が1歳を迎えるほんの2週間ほど前となった今日、柊は他国へと赴くために、出発の朝を迎えていた。
「じゃあ、行って来るよ」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「うん。じゃあ行ってくるね、皓」
柊は、私の腕の中で眠る皓に笑いかける。
「さあ、もうその辺にしとけよ、この万年新婚夫婦」
言いながら、帯は馬車の御者台に登った。
「まあいいじゃないの。夏濫、鳳凰の日までには戻れると思うわ」
椋珂が言う。鳳凰の日とは、この国の建国記念日の通称だ。そして、皓の誕生日でもある。
「うん。椋も気をつけてね。明と絽要君も待ってるからね」
苦笑しながら、明はやんわりと照れ隠しをする。
「夏濫様、私はそんな……」
柊の補佐官である湖 紫明と椋珂は、私達の結婚の少し後に式を挙げていて、皓より少し大きい絽要という男の子がいる。
「じゃあそろそろ出発するよ。夏濫、明、こっちは頼むね」
「はい。じゃあ待ってるわ」
柊と椋珂を乗せ、帯さんは馬車を進める。地平線へと、去っていく。
雪原を、静かに進む……。
鳳凰の日の前日。
城内はあわただしい。今日は、明日の準備と柊の帰国が重なっているので、みんな忙しそうにしている。
もともと崔繍では、鳳凰の日も、国王生誕の日も、まして王子や王妃の誕生日なんて、大げさに祝ったりしない。
それでも少しだけ儀礼的なものはあるらしく、いつもは比較的ひっそりとしている王族の居住区域も、あわただしさを感じる。いつもの内宮からは想像できないくらい、活気に満ちている。
「私も何か手伝った方がいいかしら」
部屋から出て階下に行ってみると、女たちは忙しくしている。
「夏濫様。いえ、お気になさらず」
「でも、暇なのよ」
「まあ。でしたら、そちらの……」
私がよく訪れる場所の女たちは、私がやりたがりなのを知っていて、こうして何かを頼んでくれることもしばしばだ。
私は邪魔にならないように隅のほうへ行き、長椅子に皓を寝かしつけた。
「柊、そろそろだ。そんなににやけるな」
「あれ? 顔に出てた?」
馬車の中、国境はもう越えた。あと1日と経たず、城へ帰り着くだろう。
そんな時、急に馬車が停まる。
「帯さん? どうかしましたか?」
「誰かいるんだ」
「こんなところに人が?」
言いながら身を乗り出して外を見る。確かに人がいた。
「お兄さん、誰かなぁ?」
少年、だろうか……ふっと上げた顔は、歪んだ笑いを浮かべていた。
「オレか?」
「やっぱりそうだ。お兄さんがそうだね。聞いたとおりの、銀色の目」
帯と椋珂さんが息を呑んだ。
次の瞬間、オレは本能的に剣を抜いていた。2人もいつの間にか臨戦態勢だ。
「死んで欲しいんだ、お兄さんに」
そして、少年は何か呪文を呟く。
「柊!!!」
空が、少し光った気がした。
「あら、雷でしょうか。たいへん、雪になるのかもしれませんね。夏濫様、少しはずしますが、よろしいですか?」
「えぇ。おとなしくここにいるから、心配しないで」
「では、失礼します」
女たちは忙しそうに出て行く。私は窓の外を見た。
空が、再び光った気がした。
「柊、お前は逃げろ!!」
とっさに剣を投げ、雷の軌道をそらしたとはいえ、大気に充満した雷の名残で、身体がしびれる。
でも、オレは立った。ぼろぼろになってオレを守ろうとする2人の前に。
「柊さん、お願い! 逃げて!!」
2人の声が少し遠く聞こえる。
少年は笑った。
「逃げるの? いいよ、代わりに2人に死んでもらうから。それに、お兄さんの居場所を探るくらい、簡単だからさ、すぐにまた見つけて、殺しにいける」
それは、だめだ。
オレは、守ると決めたのだ。
「柊さんっ!!」
「駄目だ、柊!!」
「時空よ、我が名の下、開け……我の望む地へ、彼の者らを導くがいい」
「柊、駄目だ、やめろぉっ!!」
「我が名は晟 柊。全ての力と引き換えに、叶えよ。――――後のことは考えなくていいから、頼むな」
「柊――――」
瞬間、2人の姿が消える。オレは、自分の中の何かが消えてしまったような感覚に襲われた。
『柊、すまん』
『いいんだ。これでいい。ありがとう、刻の支配者、ゼルディアス』
オレに力がなければいかに刻を統べるこの人ならぬ彼も、真の力を発揮できない。オレの力では、2人をここから別の場所に飛ばすことくらいが限界だ。
「ごめんね。夏濫、皓――――」
声は、もう出なかった。
はっと立ち上がる。
「しゅ、う……?」
全身が震える。これは、何だ?
分からない。そうだ、そんなはずはない。
「嘘よ」
視界がにじむ。
部屋を飛び出して走った。
柊の部屋へ飛び込むと、そこでひときわ目を引くオルゴールを開けてみる。私の作った曲は、ねじを巻いていなかったので、流れなかった。
「柊……嘘だと、言って……」
あなたがいない世界なんて、いらない。
いらないと、言ったのに……。
「あなた……!」
「あぁ。分かっている」
柊の両親である上王陛下と皇太后は、一瞬にして同時に凍りついた顔を上げた。
「どうされました」
側近である
「……あの子が……」
声が震える皇太后を引き継ぎ、言う。
「柊が、死んだ」
「……柊様……が?」
がたっと音をさせて立ち上がった宗は、思い出したように部屋の外へ行こうとする。
「宗、夏濫さんのところなら行かなくてもいい。もう、分かってしまっただろう。血統能力の呪いに巻き込まれた彼女に、柊のことが分からないはずがない」
「それよりも、どうやら椋珂と帯が戻ったようです。出迎えてきて。大丈夫なようなら話を」
「はい、すぐに」
宗が退出した部屋の中、静かに母として泣く彼女の傍で、上王もまた父として、わずかに声を震わせた。
「馬鹿息子め……」
それから少しして、帯と椋珂はそれぞれ国を出た。国境に近い街で、それぞれ暮らし始めたという。
私は時々、自分が生きているのか分からなくなる。
本当に、私はちゃんと生きている?
あの人は、いないのに……この世界のどこにも、いないのに。
「おいで、皓」
それでも、この子のために、私は生きなきゃいけないと思う。
生きて……――――。
「――――柊」
皓が私を見上げる。
見つからない。
そこに、意味がない。
私は、誓ったのだ。
国王と共に、歩むことを。
その隣で、ずっと。
あなたがいないのなら……。
「この命は、いらないのに」
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