Secret 外伝

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10.Love Story


【2】今以上の幸せを

「遅かったのね」
「ごめんね、実はさっきそこで川に落ちた人がいて……」
「え? うそ、この時期に? まだかなり冷たいのに」
「うん。だからとりあえず服を貸してあげて、それで遅くなっちゃった」
「そっか。……それでー? 男の子?」
 にやっと笑って、彼女は問う。
「……男の人、だけど……それが、どうかした?」
「かっこいい人だった?」
「な、もう、そんなの関係ないでしょ!」
「あ、照れた」
「違うったら!!」
「むきになるところがあやしいわよ、夏濫」
「もう、椋!」
 知らないんだからとそっぽを向くと、低姿勢になって私を拝みだす。
「ごめんなさい夏濫サマ。この通り、許してください」
「許しません」
「そんな事いわないで、ね? 私の卒業がかかってるのよ」
 椋珂は決して頭が悪いわけではない。ただ、私達の通う国立学習院の水準が高すぎるだけだ。それに、どちらかというと彼女は運動が得意なのである。
「大丈夫よ、椋が無理でも私は卒業できるもの」
「ひどいわ、夏濫。友達を見捨てるのね」
 泣きまねをする椋珂に、私は言う。
「はいはい。じゃあおしゃべりはここまでにして、机に向かうこと」
 素直に机について、彼女は勉強を始める。
 卒業試験を控え、今が追い込みだ。試験が終わり、合格点が取れていれば、ほどなく卒業という運びである。
 この国の学校では私達の通う学習院が一番上の教育水準で、卒業後の進路は、学習院に残って研究者として研究を続けるなどの道もあるのだが、今のところはっきりとした進路は決まっていない。
 私は一応主席で、家庭教師としては最適だ。
「夏濫、ここは?」
「あぁ、それは────」
 学生でいられる時間は残り少ない。こんな、当たり前の日々がもうすぐ終わる。
 私はこれからどうしたらいいのだろう。
 父と生きることだけ、ただそれだけを目標に、願い、今日まで来た。
 けれど、それはもう叶わない。
 幸せになれと父は言った。でも、幸せってどんなものだろう。
 今、こうしていることが幸せ。
 これ以上のことは、望んではいけないと思う。
 だから分からない。私はどうすればいいのかが。


 薄暗い店内で、酒を飲みながら彼は尋ねてきた。
「前々から思ってなんだがな、お前オレに何か隠してるだろう」
「何を今更。それに、隠し事のない関係なんて、気持ち悪いと思わない?」
「またお前はそうやって、話をそらす」
「別にそらしてるわけじゃないって」
 答えないのも隠しているのも事実。でも、核心以外ならば必要以上に話をそらす気はない。
「しょうがないな、特別に、タイの質問に1つだけ答えてあげる」
「お前の素性」
「それ1つじゃないし。それに、知ってるじゃない」
「馬鹿言え。お前の年だってオレは知らん」
 大柄な彼はオレを見下ろして言う。
「年? 24だよ」
「は?! に、にじゅう……あ、お前もしかして今のが1つか?」
「当たり前でしょ」
「卑怯だぞ! いや、それより24歳だと?! オレはもっと────」
「よく言われるんだ、若々しいですね、って」
 酒を飲み干しながら笑う。
「馬鹿。そりゃあ童顔ですねってこった」
「そうとも言うかな。もう1杯もらえるかな」
 そんなオレを見てうなだれる。
「どうかした?」
「やたら酒好きなガキだなとは思っていたんだがな」
「昔からお酒は好きだけどね」
 火酒をあおりながら、オレは言う。
「そんなに衝撃的だった? 驚かせたなら悪かったって。しょうがないから今日はオレがおごってあげるから、機嫌直してよ。別に年齢なんてたいして重要なことじゃないから、言わなかったんだ。それにさ、帯が年上なことはかわりないじゃない」
「2つだけだけどな」
 オレは店内の壁掛け時計に目をやり、立ち上がる。
「店長、払いは?」
「何だ、もう帰るのか?」
「うん、ちょっとね。帯はもう少しいる? あ、そうだ、明日も来る?」
「あぁ、たぶんな」
「そっか。じゃあまた明日ね」


 椋珂の家を後にして、夕飯の買い物をするために市場へ足を向けた。
 椋珂の家はとてもあたたかい。ご両親も、私のことをとても気にかけてくださる。でも、今以上に甘えてしまうことはいけないと思う。
 どうしよう。
 考えていると、また誰かにぶつかった。
「ごめんなさい、考え事を……あ」
「あ」
 ぶつかったのは、ついさっきの柊という少年だった。
「こちらこそぼうっとしててすみません」
 謝りつつも、彼は笑った。
「偶然ですね」
「そうかな、オレはきっとまた会うと思ってた。買い物?」
 頷くと、自然と彼は私に歩調を合わせる。込み合った市場では、肩が触れ合うほどに近い。
 通りを歩きながら、私はふと目にとまるものがあって立ち止まる。それは小さく白い小箱。繊細な彫りと色彩の、どうやらオルゴールだ。
「何かあった?」
 いきなりのぞき込まれて、私は顔を赤くしてしまう。とっさに首を振ったが、彼は目ざとく私の視線の先にあったそれを見つけた。店主が商売っ気を発揮して、取り出してくる。
「綺麗だね」
 そう言って、彼はオルゴールのふたを開ける。中からは初めて聞く旋律が響いた。
「わぁ……綺麗」
 言ってしまってから、値札を見て目を見張る。とても買える桁ではない。
「買ってあげる、って言いたいこところなんだけど、ごめん、さすがにちょっと……」
「気にしないでください! 私も、こんな高価なもの貰えないわ」
 少しだけ名残惜しいけれど、店の人に返してしまった。
「ねぇ、じゃあ、いつか必ず贈るよ」
「そんな、いいんです、私には不相応なものだから」
「オレが勝手に贈りたいんだから、いいでしょ?」
 そして彼は人でごった返し始めた夕方の市を抜けようと、私の手を取った。
「あの、柊さん!」
「柊でいいよ、夏濫さん」
「え? あの、じゃあ私も夏濫で構わない……じゃなくて、あの──」
「ねぇ夏濫さん」
 彼は振り返って輝くように笑った。
 子どもみたいな人だ。
「ねぇ、また会えないかな」
「え?」
「せっかく知り合えたんだから、どうかな?」
 市場を抜けたところで、彼は立ち止まる。
「来週もオレはここに来るから、よかったらまた会おう! 今日はこれからちょっと用があってさ、ごめんね、急ぐからこれで……じゃあ、きっとまた!」
 行ってしまうのを見送り、再び市場へ戻る。
 結局夕食の買い物は終わっていない。
 何だが、今日はあの人に驚かされっぱなしだった。
 彼の言葉を思い出す。
「来週、かぁ……」


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