【5】
栖夜と弓夜を先頭に城の門をくぐった軍勢は、勝利を王に報告するために数日後に凱旋式を行うことになっていた。
栖夜は父王に、そこで婚約者を発表してはどうかと言われていた。
「お父様、1つ確認しておきたいことがあるのですが」
父の居室を訪れた栖夜は言う。
「私の婚約者候補は、私と結婚することに関して、どなたも否とおっしゃらなかったのですよね」
「あ、あぁ。身辺も調査済みだ。権力欲だけの輩などいないはずだ」
「そうですか。ならば結構です。それでお父様、凱旋式の日程ですが……────」
話を強制的に打ち切った栖夜は、事務的な報告を始めた。
だから父は栖夜に必要以上の詮索はせず、とうとう栖夜は父にも相手の名を告げないままだった。
凱旋式には主だった将が出席し、玉座のある広間に整然と列を成していた。
一通りの式次第が終わると、将軍の席から栖夜と弓夜が玉座の横へ移動する。軍の礼服の丈の長い上着を脱ぐと、その下に栖夜と弓夜は美しいドレスをまとっている。
娘が支度を終えたことを見て取り、一度は座った王が立ち上がった。
「皆の者に、私的なことだが栖夜の婚約について発表がある」
きっとあるだろうと思っていたのか、婚約者候補は一様に神妙な顔をしている。
そんな男達を視界に捉えながら、栖夜は絨毯の敷かれた中央の通路を進む。
栖夜はこの日、礼服の上着以外は軍の将軍の盛装ではなく、王女としての盛装に身を包んでいた。
勝気な美貌にほどこした化粧は、彼女のわずかに残っていた幼さを打ち消し、艶っぽさを強調する。
衆目を集める中、迷いのない足取りで、ぼさっと突っ立っている男の前まで行く。
1人あらぬほうを見つめていた邱瑯は、栖夜が正面に立ってはじめて、その存在を意識したようだった。つくづく失礼な男だなと思う。
邱瑯をじっと見つめた。今日も相変わらずの、覇気のなさだ。
自分の前で立ち止まった栖夜を、彼はきょとんと見つめている。
栖夜は優雅にドレスをつまんでお辞儀をしてみせた。
艶やかに微笑み、真紅の薔薇のような唇に声をのせる。
「邱瑯様、貴公を我が伴侶に」
場内がざわめく。いや、どよめいたともいえた。
彼は、はっきり言って存在感の薄い人物だ。
覇気に欠けるという正しい評価はともかく、悪い噂はこれといってない。しかし同時に、よい噂もこれといってない。
つまり、噂にも上らない程度の、あまり他人から注目されない男なのだ。
だから栖夜がそんな男に発した言葉は、信じられなかったに違いない。栖夜の性格からして、あまり邱瑯のようなタイプは好きではないと、皆思っていたのだ。無理もない、栖夜自身そう思っていたのだから。
当の本人はしかし、そんなざわめきさえ耳に入らないらしい。邱瑯は完全に呆けていた。瞠目したまま硬直している。
なぜ自分なのか、まるで見当がつかない。言葉を聞き違えただろうか。そんな顔をしている。
「私の夫は、不満か?」
栖夜はしてやったりと思いながら、今度は不敵に笑う。
ややくだけた栖夜の口調に、彼はようやく表情を取り戻すと、慌てた声で弁解する。
「あ、えぇ、いえ……決してそういうことではございません」
かりかりと頬を掻いて、深呼吸をする。姿勢を正すと、一応彼にしてはきりりとした顔つきになった。
緊張しているのか、一度口を開いたものの閉じて考え込む。
やがて、周囲のざわめきがようやく静まった頃に、邱瑯は考えた時間の割には月並みなことを言った。
「謹んで、お受けいたします、栖夜姫」
普通プロポーズは男のほうからさせるのだったかと、栖夜は思い至る。だが、まあ自分らしくていいだろう。
何より、この男からまともなプロポーズなど期待できそうにない。
男は膝を折り、栖夜の手をとって口付けた。
何ともぎこちない口付けに満足しながら、栖夜は一歩下がる。
ふわりと少し膨らんだドレスの間に潜ませておいた儀礼用の短剣を取り出すと、軍で誓いを立てるように、剣を顔の前に掲げる。
「この剣に誓い、命を賭して、私は国と貴公を守ろう」
軍人である栖夜にとっては当然で、唯一の誓いの方法だ。
邱瑯も同じように剣を掲げるのかと思ったのだが、彼はどうやら軍の凱旋式であるにも関わらず、短剣を持ち合わせなかったらしい。
少し懐を探った後、彼は白い羽ペンを取り出した。それは随分古いらしく、もはや実用品ではないようだった。これが彼の祖父の形見だったことは、後に知ることである。
学者になりたかったと言っていた彼には、確かに剣などよりよほど似つかわしい。
「この羽に誓い、命を賭して、私は国とあなたを守り、愛します」
それはやや戸惑いがちに、しかしはっきりと意志の定まった瞳をしていた。
張りのない声は、万人を魅了することなど不可能なもの。
どうしたことか、栖夜は年頃の少女のように頬を染めてしまう。
衆目のあるところで、愛だなんてずいぶん恥ずかしげもなく言って……。
と思ったのだが、もう一度見れば邱瑯は困ったような絶妙な顔をしていた。どうやら慣れないことをして照れているらしい。
この男は全くどうしようもないが、それでも悪くないなんて、栖夜は言い訳のように思っていた。
了
Copyright(c) 2008 Sui all rights reserved.