第7話 吐露
その日、何事もなかったように、ふらっと戻ってきた。
「あ、迅さん」
「ただいまー」
キラと空が出かけた直後だったから、家にはオレと怜しかいない。
「おかえりなさい。何か飲みますか?」
「いや、いいや」
「おかえり、迅」
オレはそう言って、迅をじっと見つめる。
まるきりいつものような迅だ。
……戻った、のか?
「あ、皓、迅さん、私これから少し出かけますね」
「何だ、用事か?」
「今日は町内の清掃ですよ」
そういえばそんなことも言っていた。
「留守番をよろしくお願いしますね」
怜が外出すると、オレと迅だけが広い家に取り残される。迅は無言で2階に上がって行った。その背中が、ついて来てくれと言っている気がして、オレは吸い寄せられるように後に続く。迅はオレの部屋に入ると、ベッドの上に腰掛けた。オレもその横にすとんと腰を下ろす。
迅は遠くを見つめていた。
そして、唐突に口を開いた。
「オレさ、まだ、迷ってるんだ」
何を? そう問い返さずに、オレは言う。
「迅、オレは一体何が出来る?」
「……それ、は…………」
言いよどむ迅をふと見る。そして次の瞬間、オレは固まってしまった。
迅が、泣きそうな顔をしている。あの、迅が。
「お前は、きっと……困るから……」
「迅、お前、一体……」
「何が、なんて、オレは……」
「オレに何が出来ると思ってるわけじゃないんだ。でも、知らないままで後悔はしたくないんだよ。だって、再会してからのお前は特に、ずっと、変だったから……だから、そんなにお前が悩むことを、知らずにいるのはオレが嫌なんだ。おせっかいかもしれないけど」
「────あぁ、もう……皓には、敵わないなぁ……。ずっと、普通にしようとしてたのに、なぁ……」
「……迅……」
「皓」
オレを不意に呼んだのは、ゼルディアスだ。複雑な表情でオレと迅を見つめている。
「ゼル……」
「じい、いいよ。もう、いい」
「……いいんだな?」
「うん。オレはやっぱり弱いから、卑怯者になることにするよ」
ゼルディアスは難しい顔のまま頷き、壁際に下がった。
それを見て、迅は意を決したように顔を上げる。
「皓、オレは、本当は誰にも言う気はなかったんだ。どうにもならないことを、知ってたから……だから、もうそれでいいって思っていた。納得したつもりだった。でも、結構そんなものは、簡単に揺らぐ程度の、つまらない決意でしかなくて、逃げ道が見つかったとたんに、逃げたくなった」
何のことだ?
「そりゃあ、人間はそんなもんだろう」
オレが言うと、迅は苦笑する。
「オレとお前が亜良で再会した時、
「どうして」
「神なら、オレの願いを叶えてくれるかもしれない……そう思った。思いたかった。最後の悪あがきのつもりで、神なんてものにすがろうとした。でも、結局神なんて現れなかった」
「そうまでして叶えたいお前の願いは、何なんだ?」
「神にしか叶えられないような願いだ……もう、完全に諦めたつもりだった。でも、お前がいた」
……オレ……?
「お前が、お前だけが……オレの……願いを、叶えられる。この世界で、オレの願いを叶えられるのは、お前だけなんだ、皓……」
「そんなわけ……」
「お前は、刻の王だから」
刻の王、だから? 刻の力が、迅の救いになるということなのだろうか。
「オレはお前が崔繍の出身だってことも、知らなかった。ましてお前があの崔繍王家の人間だなんて、思いもしなかった。それだけ崔繍王家は閉鎖的で、外部に情報が流れてこないんだ。そしてオレの願いが叶えられるとしたら、神か刻の王くらいだった」
つまり、いるかどうかも分からない神以外には、もうオレだけだということだ。
「皓、オレには呪いがかかっているんだ」
『皓、オレがいなくなったらどうする?』
ふと、昔の迅と重なった。
「そもそもはオレの親が買った恨みだったらしい。でも呪いは、その時母親の腹の中にいたオレに移ってしまった。そしてそのせいで、呪いは本来の発動条件とはずれを生じることになった。発動は、予定より大幅に遅れた。効力を発揮してから23年後……それも、もうすぐ過ぎる」
迅の誕生日が……明日だ。効力というのが、迅が生まれたときからだとしたら……?
「どんないきさつでどんな恨みを買ったのかオレは知らないし、知ろうとも思わなかった。でも、親を恨んだこともあったよ。勝手に恨みを買って、呪いだけオレに押し付けて、最後はオレを捨てたんだから。でも今は、オレでよかったのかもしれないって思える。両親やオレの弟じゃなくてよかったって」
初めて迅が自分の血のつながった家族の話をしている。弟がいるなんて、知らなかった。
「弟なんていたんだな」
「うん、確か2つ下だったかな」
その弟は、今も両親のもとにいるのだろうか。
「もし呪いが弟に移っていたら、オレは嫌だったと思う。それに、もしオレに移らなければあのまま母さんが呪いを抱えていたと思えば、これでよかったのかもしれないとも思う。母さんにはきっと、耐えられない。オレは、おかげで、お前にも会えたからこうやって正気でいられる」
まるでオレが希望か何かのように、迅は目を細めた。
「────それは、オレに、何かが出来るってこと、だな?」
迅は答えない。立ち上がると、窓を開け放った。吹き抜けていく心地よい風に、金糸の髪を躍らせている。
一体どれだけのものを、秘めてきたのか。
どれだけの嘘を、つき通されていたのか。
オレが崔繍王子だということを誰にも明かさなかった、それ以上に、背負うには重すぎる迅の嘘。嘘で固められた、美しい笑顔。
「迅、オレは────」
何が出来る?
「お前の呪いを、解きたい」
「解けるよ」
あまりにもあっさり言われて、オレははっと迅を見た。
窓辺に立つ迅の顔は逆光で見えにくいのに、表情が手に取るようにわかるほど、それは悲痛な声だった。
「皓……オレは、お前が好きなんだ。ちょっと変で、頭が良くて、おれにからかわれてくれる、お前が……。つまらないことで笑えたから、お前がそんな風だから、ずっと皓が好きだった。今も、好きだよ」
好きだという声が、かすれている。大切な友達だと率直な言葉で言われたのは、初めてだったと気付く。
「お前に亜良で再会できたときは、嬉しかった。もう会うことはないと思ってたしね。でも、皓が刻の王だって分かったら、会わないほうが良かったと思った。どうしようもないな……オレは、お前から逃げたかったんだ。でも逃げられない。お前しか、オレには残ってなかった」
オレに会えたことは嬉しいのに、刻の王のオレではだめ……?
「逃げたいのに逃げられなかった。お前の傍は居心地がよかったんだ。呪いなんて忘れていられた。それに、おまえがいるならまだ大丈夫だと思えた。他にもきっと逃げ道があると思い込めた」
「オレが逃げ道になるなら、すればいいだろう? どうして逃げようとするんだよ」
「オレは、お前だけは嫌だと思った。今も思ってる。それでも、オレの呪いを解けるのは結局、お前だけ。皓しかいない……オレが一番、オレの呪いに巻き込みたくないと思い続けてきたお前しか────」
「だったら……」
どうして、何をためらうのだろう。呪いは解けるのだ。
オレの心中を察してか、迅が首を振る。
「皓、オレにかかっているのは、普通の呪いじゃない。お前しか解けないような、呪いなんだ」
オレに向かって歩いてくる。傍で、すぐ目の前で、迅はオレの瞳を射抜いた。目がそらせない。
「オレがかかっている呪いは、死ねない呪いだ」
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