第1話 特別だった日常
静かな朝だ。
目が覚めて階段を下る。
不眠症だったオレだが、最近は全くそんなことはなくなった。原因ははっきりしている。ゼルディアスがいるせいだ。彼がオレの強すぎる力を全て引き受けてくれているからだ。強すぎる力ゆえに、オレは神経過敏になっていたらしい。おかげで今は快適な目覚めだ。
台所にはこれまでのようにこの家の主、醒希 怜が立ち、朝食を作っている。作ってはいるが、それはもはや起きたらそうしなければならない、という条件反射のようなもので、本人にその気はない。第一、まだ頭のほうが目覚めていないのだ。起きてしばらくありえないくらい寝ぼけている怜に、オレはあえて声をかけないことにしている。
庭の花に水を遣るべく外へと出る。庭の花達は、度重なるオレ達の長期外出にくじけることなく、枯れずにしたたかに伸びている。その青々とした葉に朝露が今も光っているのは、きっと近所の花好きな人が世話をしてくれていたおかげだろう。でなければそもそも、雑草が伸び放題になっているはずだった。
そんな庭に、一番意外な人物を見つける。
「あ、お早う皓」
「早いな」
庭で水を撒いていたのは軌流 迅。オレの知る限り、早起きは嫌いだったはずだ。嫌いなだけで別に苦手なわけではないのだが。
その宝石のような碧眼が、朝日に輝く。
「どうかしたのか、迅?」
「別に? 怜と一緒に目が覚めただけ」
あぁ成る程と、オレは少し納得する。
この家には寝室になりそうな部屋が3部屋ある。初めはオレと怜が一部屋ずつ使っていたからよかったのだが、迅が住み着き、今度はまた2人増えたために、部屋数は当然足りなくなった。迅の、オレと婚約者である湖 空が一緒の部屋でいいじゃんという提案は秒速で却下して、結局空が一人部屋、男4人はオレと良 葵沂ことキラ、そして怜と迅が同室ということで落ち着いた。
「……迅、お前、何か最近変だぞ」
「うん、知ってる」
早起きしたことは、まあいいとしよう。
でも、迅は最近毎日こうだ。つまり、家にいるのである。朝帰りが当然のこの男が、このところずっと家にいる。
「だから……そうじゃなくてなぁ──」
「あ、お早う、じい」
迅の視線はオレを通り越して、奥を見ている。
振り返ると立っていたのは、2メートルはあろうかという長身で、ゆるく巻いた長い金髪の大男。刻の支配者──ゼルディアスだ。こちらの時間では1万年以上存在しているらしい。生きているといっていいのかは知らないが、とにかく長生きなので、見た目年齢が40歳に届かないかというところなのに、妙にじじくさいのである。それを面白がってか、迅はゼルディアスをじいと命名し、呼んでいる。
「どうかしたのか、ゼル」
「別に用はない。わしも暇だったのでな」
彼は最近、オレの刻の能力を使って勝手にこちらの世界に現れる。普段は彼の支配するところの、時間の幾重もの連なりにいると、城にあった本の中に書いてあった気がする。ゼルディアスはそこを、時空の狭間だとか刻の狭間だとか言っているようだ。
「用もないのに、オレの力を勝手に使って……」
「けちけちするな。どうせ持て余すほどあり余っているだろうが」
そんな不思議な存在である彼だが、オレの見た限り人間っぽく、人と見分けはつかない。
また彼は、オレの思っていることをどうも見透かす。心を読むという芸当は出来ないらしいが、オレの考えていることは不思議とふと分かったりするらしい。
どうやら彼は代々の崔繍国王、つまりオレの父親や祖父や先祖も同じように近くで見守ってきたらしいから、オレなんかよりもよっぽど国のことにもオレの肉親のことにも詳しく、性格も把握しているのだろう。
父親のことをいつか話してやると以前ゼルディアスが言っていたが、あえて聞いていない。それは、知らないままでも構わないと最近思い始めているからだ。知りたくなったらその時に聞けばいいし、ゼルディアスが話す気になれば分かることだ。
考え事をしながら、花壇に水を遣る。
この地方は、春のような気候が一年の大半を占める温暖で住みやすい土地だ。その上、適度に乾燥していて、天候に関しては飛鳥大陸の中でも有数だ。今も心地よい風が庭を吹き抜けている。そんな土地にも関わらず、この町が大都市でないのは、話せば長い歴史的なものがあるのだが、そのおかげでオレ達のような一般人が住めるのだから良かったと思う。
少し見上げた空から視線を戻す途中で、オレは2階の窓にまばゆいばかりに笑っている彼女を見つける。
オレが彼女に気がつくと、彼女は軽く手を振った。
風に流れる黒髪を押さえながら、彼女は部屋へと消えていく。
「皓様、朝食の準備が整いました」
「あぁ、今行く」
いつの間にやら怜を手伝っていたキラが、窓からオレを呼ぶ。開け放たれた窓からは、朝食のいい香りが漂ってきた。
玄関に立ったときに、オレはふとした疑問に立ち止まる。
振り返って、オレの背後にいた金髪の大男を見上げた。
「お前も食べるのか?」
ゼルディアスはさも当然だと言う風に口を開いた。
「当たり前だ。わしを何だと思っておる?」
玄関を閉めて室内に入ってから、彼はこう付けたす。
「まぁ、食べなくてもさしたる影響はないがな」
オレはため息をつくと、彼に言う。
「暇だから、だな」
「いや、どちらかというとこれは、わしの趣味だな」
嘆息しながらテーブルに向かう。趣味があったとは、また新しい発見だ。
「じいって、皓のこと好きだよねぇ」
先に席についていた迅が唐突に言った言葉に、オレは怪訝な顔をした。ところがゼルディアスは何やら迅と視線を交わすと、いたずらが見つかった子どものような楽しげな表情で、かなり低い位置にある迅の頭の上をぽんとたたく。
「お前ほどでもなかろうよ」
「そんなに褒められると、照れるよ」
わけの分からない者同士、気が会うのか知らないが、オレには理解不能だ。放っておくことにしてオレは台所へ向かう。
「怜、それ取ってくれ」
どうやら寝ぼけている状態は過ぎたらしい彼は、分厚い眼鏡を押し上げながらオレにコップを渡すと、薄茶色の髪を束ねながらテーブルにつく。
そんな様子を見ながら、この家が無駄に広々としていてよかったなと思う。
長身の男が4人もいるのだ。もし狭かったら、暑苦しくてしかたがなかっただろう。
とその時、暑苦しさの一番の原因ゼルディアスが、空よりも背の低い迅と一緒に何かを話し込みながら席につく。
台所でオレは水を汲み、飲もうと口をつけた。時を同じくして、オレの背後から足音が近づく。
「皓ちゃん!」
言いながら飛びつき、オレの首を絞めるという奇襲に、オレは水を飲み損ねて思い切りむせる。
「あ、ごめんね」
と言う彼女は、間違いなくこうなることを予想の上でオレに仕掛けたのだろう。すぐに差し出されたタオルが、それを物語っていた。
涙目になりながら息を整えて、婚約者のかわいらしいいたずらを広大な海のような心で許すと、オレは水の入ったコップを手に持ったままダイニングテーブルの空席につく。
こうした穏やかな朝が過ぎた日に限って、何かしらの波瀾が待っているような気がしてしまう、ちょっとかわいそうなくらい疑心暗鬼のオレだ。そもそもまず、これを穏やかだと言えるかどうかが問題だ。むしろ、穏やかだと言ってしまった自分がむなしくなる。
すっかり民間人にしか見えない、もはやほとんど民間人のオレは、飛鳥大陸最大の王国崔繍の王家の生まれで、今も唯一の王の息子であるオレは、なぜか知らないが本来は王子である。刻の力を持つ崔繍王家に仕えるゼルディアスは、今はオレの傍にいて、オレは刻の王と呼ばれる立場にもある。
世界の王とも言われるその地位にあるせいなのか、オレが不幸なだけなのか、とにかく毎日オレの気苦労は絶えないのだった。
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