第8話 刻の王
崘──それは、飛鳥大陸で崔繍に次ぐ、東の大国だ。
一同が絶句している中、弓夜さんは笑っている。
「そんなに驚くことはありませんわ」
だが、驚かないわけがない。崘の双子の王女といえば、王女にして一国の軍を束ねる将軍の地位にある方として有名だ。そして、何より戦争の天才として、その名を知られている。その2人が、この国を直々に訪ねる理由は……。
「ど、どうしてこの国へ?」
キラが問う。
「別に、大した用ではない」
彼女、栖夜さんは意味ありげにオレに視線を向ける。
「私としては、そんなことを知りたがるお前の方が不思議だ。この私に、真っ向から質問をする者も珍しい」
とは、キラを平民と仮定して言ったのだろう。
「し、失礼いたしました」
キラは彼女の声だけで完全に押し黙る。
彼女の言葉ひとつひとつに、ただならぬ威圧感がある。押さえようともしていないのだから、当然だ。彼女は正統な王族、それも長女で軍を統括する将軍でもある。確か子どももいるはずだ。どう考えても、オレより上手だ。オレに振り回されているキラに、敵うはずもない。
「知りたくはないのか?」
「えっ?」
「私がなぜ、この国を訪れたのか」
真面目な顔で、オレを見つめたまま言う。
一介の国民が、国家の機密にもなりうるかもしれない情報を知りたがるだろうか。それに相手は雲の上の地位──王族だ。平伏してもおかしくない。他国の王に対して平伏する習慣はないし、崔繍では王族に対してそれほど厳しく礼儀を求めないので、さすがにやらないが。
「いえ……結構です。王都に行かれるのでしたら、ここからまっすぐ行ったところで馬車が借りられます。そちらに行かれるといいのではないかと思います」
「────そうか。ありがとう」
妹とは正反対の、男装の麗人とでも言おうその長身を翻して妹の手を取ると、彼女はそのまま歩き出そうとする。
「まぁ、待ってお姉様」
そう言って微笑む弓夜さんは、姉とはまた違った独特の空気をまとっていた。先ほどまでの育ちのいいお嬢様という感覚に、静かな気高さが加えられたような雰囲気だ。穏やかに見えて、むしろ有無を言わさない雰囲気は弓夜さんの方が上かもしれない。
「お世話になりました、皆さんもお気をつけて」
「ありがとうございます。お気をつけください……」
オレはふと、栖夜さんを見た。
視線が合う。彼女はオレを……否、オレの瞳を射抜くように見ていた。
「美しいな」
「えぇ、そうですわね」
姉妹は唐突にそんなやりとりをする。
わけも分からず呆けたような顔でいると、弓夜さんはくすりと笑った。
「またお会いしましょうね」
「次に会うときは……是非月下での輝きにお目にかかりたい」
月下────美しく輝くのは、銀の瞳だと、母さんが言っていた。
このオレの瞳だ、と。
気づかれたな。
そう思ったのが顔に出ていたのか、姉妹は悠然としている。
「また会おう────王よ」
栖夜さんは聞こえるかどうかと言う声で告げると、すぐに足早に去る。弓夜さんも軽くお辞儀をすると、それに続いた。
二人が見えなくなる頃、キラはようやく声を上げる。
「皓様、もしかして────」
「十中八九、ばれてるだろうな」
証である銀の瞳も、日中は銀というよりは薄い灰色をしている。気づくのは、ほぼ不可能だというのに……さすがは名高き崘の王女。容姿の特徴を知っていたとしても、見抜かれたのは意外だった。何かばれるようなことを……
「あ」
そういえば弓夜さんの前で、思いっきり能力を使ったな。
「あんなにおおっぴらに力を使えば、ばれても仕方ないか」
「そういえば、皓思いっきり使いましたねぇ」
相手は何と言っても、切れ者と有名な双子の王女。少ない情報をつなぎ合わせて予想することくらい造作もないだろう。
「てことは、キラ、お前はかまをかけられたんだ」
「は?」
「オレ達は王都から来たなんて一言も言ってない。それなのに、王城に馬車が付けられるかどうかなんて、聞くか?」
「あぁ、成る程ねぇ」
面白そうに迅が同意する。
「相手は崘の王女だ。考えがなくて言ったと考えるのは、無理がある。分かっていてかまをかけたんだ」
「馬鹿ねぇキラ。簡単に引っかかるなんて」
容赦のない空に、キラは落ち込む。
そういえば、オレが城にいないことは完全にばれたのか。
「参ったな……」
完全に向こうのペースだったわけだ。もしかすると、弓夜さんがオレ達に声をかけてきたことさえ、全て彼女達の思惑のうちだったのかもしれない。
「でもさー」
考え込むオレに、迅がふと懐かしそうに言った。
「オレも、綺麗だと思った」
「何だ、いきなり」
「気づくなってほうが、難しいくらいなんじゃない?」
「ば……何言ってんだよ」
男に褒められたって嬉しくない。そんな風に軽口で応じる。
だが、軽口で済まされない何かを感じる。
違和感────やはり、迅は昔と“違う”。
他愛のない言葉さえ、どこか不自然に感じる。
長い間離れていたのだ。そのくらいの違和感は当然かもしれない。でも……何かが引っかかる。
「なぁ、迅……お前──」
言おうとした時、ゼルディアスが現れた。
「あ、どうかしたか?」
「うわぁ! し、心臓に悪いですよ!」
相変わらず驚くキラはともかく、迅は初めて会ったはずのゼルディアスと見て、不敵に笑った。
「はじめまして」
「あぁ……」
ゼルディアスも当然のように応じた。いぶかしく思いながらも、迅に紹介する。
「……迅。こいつはゼルディアスだ」
「へぇ。それは、知らなかったよ」
「それで、えー、こいつはなんていうか……」
何て説明すればいいんだ?
「いいよ皓、だいたい知ってるから」
「知ってる、って……?」
「オレの情報網を侮るなよ? 刻の王に仕える者。存在くらいなら知ってたよ」
いや、待て。そんなに知られているはずのないことだ。
「心配しなくても、情報屋だったからって誰でも知ってたわけじゃない。たぶん亜良で知ってたのはオレくらいかな。それも、どうにも信憑性に欠ける伝説的な話だったから、信じる奴なんて滅多にいないだろうね」
オレの心中を察してか、迅は言う。
「大体、オレはお前のその目がこの国で特別な意味を持ってることすら、知らなかったんだよ? この国の中では知ろうと思えば難なく手に入る情報なんだろうけど、逆に外には漏れなくなってる。知ったのは数年前だけど、だからってまさかお前が本当にそうだなんて、信じられなかったしね」
「そうですね。私も変わった色だとは思っていましたが」
怜も同意のようだ。
「この色は、こいつの家系にしか出ないからな」
ゼルディアスはオレの頭をぽんとなでながら言う。
オレよりも少し背の高い怜よりも、さらに頭一つ分高いために、完全に見下ろされている。
「ゼル……」
どうにも子ども扱いされている気がするのは気のせいだろうか。
「ところでゼル? そんなにしょっちゅうこっちにいるわけ? 異空間に棲んでるって話だったけど」
迅はかなり高い位置にあるゼルディアスの顔を見上げて問う。
「いや、これほど頻繁にこちら側に来るのは、千年……いや、一万年ぶりか。なに、わしも退屈しておってな」
一万年というと、確かこの国が出来た頃ではないのだろうか。歴史書も残っていないから定かではないが、ゼルディアスは知っているのかもしれない。
「でも、何で? 退屈だろ、こっちも」
「そんなこともない。お前は面白いからな」
「はぁ?」
「あぁ、言えてる」
「そうね、確かにちょっと皓ちゃんってずれてるもの」
「そうですねぇ」
おい、それをお前達が言うのか……?
「キラ、オレって変わってるのか?」
口々に同意する3人に多少むっとしつつ、キラに話を振る。
「────いえ、その……まぁ、少し」
……なんとも自分に正直な従者だ。
「オレが少し変だとすると、お前らは相当だな」
「あはは、それは否定できない」
「私は違うわよ?」
「私も、普通だと思いますけど」
空と怜はあくまでも認めないつもりらしい。
だが、世間一般の普通からは、確かに全員外れているだろう。そういう生き方を選んだ。
「はぁ。とにかく帰るか」
「そうですね」
怜が先行するのに、みんなが続く。
ゼルディアスとオレが最後に残った。
「なぁ、皓よ」
「ん?」
「実のところ、お前には世界を揺るがすだけの力があるのだが、でもな、お前はそんなこと気にする必要はない。ただの皓だ、王位だとかくだらないことにこだわるな」
「……何だ、いきなり」
どうやらオレがうだうだ悩んでいたのを、お見通しだったようだ。それにしたって言い方が遠まわしだ。案外口下手なのかもしれない。
「お前は真面目すぎるんだ。お前の親父なんか、それは適当な奴だったぞ」
「そうなのか?」
「あぁ……いつか、暇なときにでも聞かせてやる」
向こうのほうで、空がはやくと手招きをしている。
オレが歩き出すと、ゼルディアスはすっと消えた。
刻の王。それは飛鳥大陸西の大国崔繍の王にして、その友好国や協定国においても大きな力を持つ、全世界のおよそ半分を治めることを可能とする者。まさに、世界の王。
それが……このオレだ。
自分のことで精一杯で、余裕なんて全くない。
ただの、ごく普通の人間だ。
だから実感はない。自分が何者なのかなんて、分かるわけがない。
ただ欲しいのは、大切なものを失わないだけの力。
それで十分だと今は思う。
それが身に過ぎた望みでも。
「待たせたな」
「いえ……どちらへ?」
「少し、な」
「えぇ、とても珍しい方にお会いしていましたの」
姉妹は顔を見合わせる。
「どうされました」
「いや、行こうか」
「承知しました」
男は馬車のドアを恭しく開ける。
「でもお姉様、あの方を敵に回すのは、得策とは言えない気がいたしましたわ」
「確かにな……だが、黙っていては我が民に示しがつかんよ」
「えぇ」
「ならば、選ぶべきは1つだ」
馬車に乗り込みながら、栖夜は問う。
「お前はどうしたい」
「わたくし? わたくしは、お姉様が正しいと思われたことに従いますわ」
「そうか」
静かに馬車は、雪原を行く。
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