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3章


第9話 静かな言葉

『皓様、あの方が空様です』
 ある日、何の前触れもなく、その少女はやってきた。
 城へ続く道を歩く。綺麗な黒髪が、風に踊っていた。
 宗がオレに言う。
『あなたの妻となるかもしれないお方です』
 妻というのがどんなものなのか、そして王の妻がどれくらい大切なのか、良く分かっていなかったかもしれない。そう思う。ただ、母のように、父だけを見つめるのは、何か違うと思っていた。そうだとしたら、いらないと思った。
 そして、あの少女が自分のためにこれから縛られていくのだろうかと、漠然と理解した。
 かわいそうだと思った。
 いらない、と、思った。

 あの時、そう、偶然に。
 独りでいる少女を見つけた。
 どうしてか、少女に近づいた。
 少女はこちらに気がつくと、立ち上がって膝をつき、頭を下げる。初めて会う他の誰もが、そうするように。
 それは、妻が一体何なのか分からなくなった瞬間だった。
 理由なんかない。けれどこんなもののはずがないと、否定した。
 それから少女は立ち上がる。
 長い沈黙が流れた。
 深緑の瞳が、まるで底のない湖のように全てを引き込む。
 赤い唇が、動く。


 決まっている。

「今死んだら、後悔するからだ」
 そして、死んでもいいと思うことは覚悟なんかじゃないと思ったから。
「ほぅ……」
 4号は楽しそうに笑う。やはり、不思議と笑っているようには見えない。
 その時、剣を取り出した。オレの剣だった。
 それを意識のない空に持たせる。
「行きなさい」
 空にささやきかける。空は何のためらいもなく、オレの剣を手に迫ってきた。
 その時、空の瞼が持ち上がった。
「皓ちゃん……?」
 オレは笑った。彼女を不安にさせたくなかった。そして彼女が異変に気づく前に、その腕は驚異的な速さでオレの短剣をかわす。オレの懐まで入り込む。
 一瞬の出来事だ。
 空の腕は、その手に握られた刻の剣は、オレの脇腹をかすめる。いや……かすめるというには、傷が深すぎるかもしれない。
 自分の手が信じられなくて、空は目を見開いた。
「皓、ちゃ……」
 これは、チャンスだ。剣をつかんで叫ぶ。
「ゼル!」
 邪魔な剣は溶けるように消え、変わりにゼルディアスが現れる。
「止めてくれ」
「分かった」
 呆然とする空を担ぎ上げる。
 能力を使う反動で体力まで失われるのが分かったが、まだ大丈夫だ。
「皓様!!」
 キラの声に振り返る。4号の投じたナイフが、キラの足に1本刺さっていた。オレや空、そして怜をかばってくれたのだ。
「っ、お怪我は?」
「平気だ。ゼルっ!」
『────発動する』
 オレが言ったのとほぼ同時に、あの奇妙な声で彼は一言そう言った。
 4号と6号の動きが、完全に止まる。
 と言っても、もともと6号は微動だにしていなかったのだから、動きを止めたのは4号だ。
 しかし、0号だけは違った。
 動かないというよりは、動こうとしていないような……。
「さすがは、刻の王……ということか?」
 微笑を湛え、言葉を発する。
「……見逃そう、刻の王よ」
 悠然と言い放った彼女に、オレは逆に笑ってやる。
「違うな」
 ゼルディアスが怜を抱える。キラが足を引きずって、オレの傍まで来る。
「オレの、勝ちだ」
 術が発動し、オレ達を力の引き起こす風が取り巻く。
「ふっ……そうだな……」


「おい、大丈夫か? キラ」
 そこは見渡す限りの草原。おそらく、崔繍の東に広がる土地だろう。小さな村が点在し、商隊が時折通り過ぎるだけの、人の手が入らない場所だ。
 とりあえず移動はしたものの、オレは大人数を自分の力だけで移動させたことで、そしてキラは足の他にもあちこち負傷していることで、ひどく消耗していた。
「すみません……皓様、今度は私の力も使って、何とか国まで────」
「やめておけ」
 力を貸すという申し出を、ゼルディアスは一言で制した。
「一度涸れた能力を再生することはできない」
「そう、なのか?」
 聞いたことのない事実に、オレは問う。
「そうだ。もっとも、涸れるほどに大きな術を用いることができる人間は少ないだろう。ほとんどは支配者の領域の術だ。例えば皓、お前は簡単に移動や静止の術をわしに発動させているが、お前の父親だったならばとうに力を使い切っているだろうさ。それほどわしら支配者の術には能力が要る」
「それは、父さんの力が弱かったって事か?」
「それもあるが、どちらかというとお前能力の強さのほうが珍しい。ある意味異常だな」
「……つまり、キラの力を使うのは良くない、ってことだな?」
「そういうことだ。ついでに、今の状態でお前が力を使うのも、好ましくはないな」
 首筋と左の脇腹を生暖かい血が伝う。特に腹部の傷はまずい。
「わしの力では、お前の傷を癒すことは無意味だ」
 分かっている。血を止めて傷を治そうとすればオレ自身が消耗して、何の意味もない。かえって疲れるだけだ。
「とりあえず、あまり動くな」
「あぁ……」
 あれこれ雑談をしている場合ではない。自分でも、放っておけば致命傷なのも分かっている。
 空と怜はまだ気を失っている。
「皓様……どうすれば……」
「せめて、もう少し人気のあるところに出ればよかったんだけどな…場所なんか選んでいられなかったし────」
 ふと、風が強くなった。かと思うと、すぐにそれもやむ。
「皓?」
 突然聞き覚えのある声が降ってくる。文字通り、頭上から。
「お前達……何をやっているんだ」
 女性を抱えて何気なく地上に降り立った男は、尋問するかのような無表情で言った。
「何、と言われてもね……」
 どう答えてよいものか……。男──龍族の飛炎はわずかに考え込んだかと思うと、淡々と言う。
「大丈夫か?」
「もう、そんなわけないでしょう!」
 女性のもっともな指摘に少しひるんだように、飛炎は口をつぐんだ。
「飛炎、早く手当てをしてあげなきゃ」
「そうか……オレの城へ連れて行こうか?」
「それは、崔繍の王都とどっちが近い?」
「この先にある町のことか? そちらならすぐだ」
「それなら……そこに、いいか?」
「乗れ」
 飛炎は少しオレ達から離れる。
「王都の、どこだ」
 龍化する前に、飛炎は言った。
 ゼルディアスが空と怜を乗せている間に、慣れた様子で女性が乗る。オレとキラはゼルディアスの手を借りながら、何とか自力で乗った。
「城だ。崔繍城へ────」
 オレ達がしっかり乗りこんだのを確認し、ゼルディアスは姿を消す。それを見て、女性は驚くというよりは単に疑問に思ったのか、そんな調子で言った。
「何で、消えたの?」
 答えるほど元気のないオレは、半分遠のきかけた意識の中で、あきれたような、それでいてどこかあたたかい飛炎のため息を聞く。どうやら龍の状態で会話をすることは出来ないらしい。
 そうして、龍は飛び立った。


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