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3章


第10話 果たすべき約束

「皓ちゃん!」
「……ぁ……?」
 目が覚めかけた瞬間のいきなりの大声で、少しぼおっとする頭が一応働く。オレの返事に反応して、空は息を詰まらせた。
「……っ、皓ちゃん!!」
「ま、待て、痛い」
 抱きつこうとした彼女を制し、オレは自然としまりのない笑顔になる。貧血で思考力が低下している気もする。
「大丈夫?」
「あぁ」
 言った空は、深い自責の念に駆られているようだった。
「ごめんなさい…………私、結局何の役にも立たなかったわ」
「そうでもないよ。おかげで、みんな帰ってこれた」
「でも、私────」
 怜を取り戻さなければいけないと思っていた。そして、空を絶対に無事に帰してあげなければいけないと、強く思った。
 待ってくれていた彼女を、悲しませたくなかった。生きて、伝えなければいけないと思ったから。
 だからオレは、帰ってこられたのかもしれない。
「傷は、どう?」
「このくらいなら、すぐに治る。それより空は? 何ともないか?」
「うん」
 操られていたとはいえ、自分のせいで目を覚まさないオレの傍で、彼女はどんなに不安だっただろう。
 そこは崔繍城の最上階、王子に与えられる真っ白な部屋。窓辺を見やれば、オレの部屋から見える外はかすかに雪が降っている。町並みはもう雪に覆われているかもしれない。
 静かな時間だけが過ぎる。
 ふと、言わなければ、と思う。
 死ねない、そう思った瞬間に、鮮やかに蘇った彼女の声。
 そうだ。きっとあの時から、彼女は特別になった。
「空」

『わたし、コウちゃんキライよ』

「オレ、空のことが好きだと思う」
 自分で言っておいて、何だか変な響きだと思った。
「──────うそ」
 断定されて窓辺から彼女に視線を移し、ぎょっとする。
 彼女は見開いた大きな瞳から、涙をこぼしていた。
「え……空?」
 オレはあわてるしかない。
「だって……だって、私、ずっと嫌われてると思ってた。会ってもくれなくて、何も言わずにいなくなって、それに、やっと……やっと帰ってきてくれたのに、すぐに私を置いていなくなろうとするから……」
 さすがに泣いている彼女を見て、オレの頭はここではっきり覚醒する。
 おかしい。嫌われてるのは、オレじゃないのか?
「空、オレに、嫌いだって……」
「それは……皓ちゃんが、謝ったから……」
 ────うそ……覚えがない。謝ったって、何でだ?
「ごめんって言われた時に、私この人にとって何でもないんだって思ったから……それに、私のことかわいそうだって思ってるって、分かったもの。じゃあ私はどうすればいいのって思ったら、思わず……」
 嫌いだと言ってしまった、ということだろうか。
 大粒の涙をこぼす彼女は、顔を隠すようにうつむいた。
 意表をつかれた。
 まさか泣かれるなんて、思ってもみなかった……どうしよう。
 オレの中で、彼女はオレなんかよりもずっと強くて、オレのことなんか気にもかけずにいるはずだった。オレを探しているのも、馬鹿な男を振るためだと思っていた。
 けれど、そう思う反面オレは、彼女に期待していたのかもしれない。
 オレを、求めてくれるかもしれないと。
 今オレのせいで泣いてくれる、そんな彼女を。
 言われてみれば────ごめんと言ったかもしれない。王家に囚われて、オレに縛られて生きることを決められた少女を、確かにオレはかわいそうだと感じていた。
 でも、今目の前で泣いている彼女は、ただ囚われているわけではない。
 自分の意思で、オレのところにいてくれる。
「空…………」
 長い黒髪が、さらりと顔を隠していた。それを振り払うように顔を上げて、彼女は涙をぬぐう。笑う。
「ありがとう、皓ちゃん」
 美しく、やさしい瞳。
 不意にはにかんだ笑みに変わって、彼女は視線をそらした。
 急にオレまで照れてくる。
 気まずくならないうちにか、彼女は立ち上がった。
「えっと、じゃあ私キラを呼びに行ってくるわ」
「あ、待って」
 今言わないと、恥ずかしくて一生言えない気がしたから、オレは彼女を呼び止める。
 半身を起こし、傷口を気遣いながらベッドを出る。どうにもしまりのない格好だが、しかたない。
 緊張に変な顔をしているだろうオレを、空は戸惑い気味に見つめ返す。
 乾きかけた唇で、言った。
「オレと、結婚してください」
 言う必要もないかもしれない。空は予想もしなかったのか、驚いている。
 確認するまでもなく、オレ達は婚約者なのだ。でも、だからこそ聞いておきたかった。空が自分の意思で、オレの傍にいてくれる、その確証が欲しかった。怖かったのだ。義務で傍にいてくれるというのなら、いつか重荷でしかなくなるだろうから。
 だって、オレと結婚すれば────オレが王になれば、いずれ王妃になる。それは、刻の力に影響されること。いつかオレが、彼女を……この、手に。
「はい」
 不安なんか微塵も感じさせない、確たる声。
 空はきっと知っている。血統能力である刻の力がもたらす呪い。オレの不安も、自信のない駄目なところも。
 それでもいい。あなたに殺されるなら、構わない。
 そう言われた気がした。
「皓ちゃん、約束して。私を、幸せにするって」
 約束。人を縛る、言葉。
 父は約束を守れず、母は約束の果たされる日を求め続けた。
 だから、約束はできない。果たされないとき、どんなにつらいか分かっているから。
 オレのそんな心まで知っているのだろうか。空は祈るようにオレを見つめ続ける。
「ね?」
 大丈夫だ。そう思わせる何かが空の瞳にあった。決して彼女をおいていったりしない。悲しませはしない。
「あぁ……うん。約束する」
 言ってしまえば何のことはない。これでよかったのだと思える。
 その時無遠慮に鳴ったノックの音に、空ははっとしてドアを開けに行った。
「あ、キラ」
「皓様は……って、皓様?!」
 室内を見るなり、キラは血相を変える。入室するキラと入れ替わりに、足早に空は出て行った。
「何をなさっているんです! 少しは安静にしてて下さいっ!!」
「分かった分かった」
 ベッドに戻りながら、オレは今更ながら思い出す。
 肩の力が抜ける。急に照れてきて、オレはキラに背を向けた。

 キラの目を盗んで、俺はようやく部屋を抜け出した。ここまで運んでくれた飛炎達を一応引き止めてあるというので、はやいうちにお礼を言っておかなければいけないと思っていたのだ。
 しかし、歩けば傷口が傷むし、階段を降りれば立ちくらみがする。
 立っているのもきついな、と思ったが、耐えられないほどではなかった。
 何とか歩いていると、吹き抜けの階下に怜の姿が見えた。いや……あれはきっと、レンだ。
 声をかけるべきか迷いながら、結局は先に飛炎達の部屋の前にたどりつく。
 客室になっているそこは、崔繍城の中でもかなり色の多い場所だ。
 磨かれて光沢のある木製のドアを、オレは叩いた。
「入っていいか?」
「どうぞ」
 落ち着きのある飛炎の声がしたすぐ後に、触れる前にドアは開かれる。青みを帯びた変わった髪の女性が、オレを招きいれた。
「座るといい」
 飛炎はオレに気を遣ったのか、立ち上がって椅子を持ってきてくれた。自分の近くに座りなおす。
「ありがとう。それから、ここまで運んでくれて。感謝してる」
「いや、たいしたことじゃない」
 隻眼でオレを見ると、そっけなく彼は言った。
 しかし対照的に、彼の燃えるような橙の髪は、雪の中でも損なわれはしないというほどに鮮烈な輝きを放って見えた。さすがは炎の一族の皇子だ。
「かえって世話になった。琳が気に入ったようでな」
「綺麗ね、ここは」
 窓辺で彼女はこちらを振り向く。そう、琳さんだったな、と思いながら、オレは彼女の顔を見つめた。
 お世辞のない、素直な気持ちだと分かる。
「気に入ってもらえて、光栄だよ」
 この国を好きになってくれたことが、純粋にうれしい。
 そんな時、あぁ、オレはこの国の人間なんだと感じる。
「皓、ひとつ聞きたいのだが」
「あぁ」
 彼の左の黒瞳が、迷いなくオレに問う。
 実のところ、何を問われるか予想はついていた。
「お前は、誰だ?」
「飛炎、それはちょっと変よ」
 すかさず琳さんが笑いながら言った。
 口下手だったなと、オレもつられて笑ってしまう。
「いや、いいんだ。意味は分かる」
 どうせもう答えは分かっていて、確認のために飛炎は質問したのだろう。隠す必要も、その意味もない。
「オレの本名は晟 皓。この国の王子だ」
「……この国は、代々第1王子しかいないと記憶しているが?」
「そうらしいね……だからオレは、いずれこの国の王になる」
 そんな資格はない。分かっていても、王になろうと思う。
「そうか……では、お前はあの、刻の王になるのだな」
 納得したような、完結したような感じにうなずいて、飛炎は黙ってしまった。
 刻の王という呼び名は、世界に広く知られている。崔繍が大国であることからなのか、刻の王のことを世界の王と呼ぶ人もいる。
 けれどまさか、龍族まで刻の王という呼称を知っているとは……。
 意外であると同時に、崔繍という国の底の深さ、計り知れなさを垣間見た気がした。
「ゆっくりしてもらって構わないけど、どうする?」
 オレは口を開く気がなさそうな飛炎を見て、話は終わったのだろうと聞いた。
「あぁ……琳、どうする」
「もうちょっと、見てみたいわ」
「だ、そうだ」
「分かった。何かあったら遠慮なく聞いてくれ。城っていうには人が少ないから、不便かもしれないけど」
「問題ない。ちょうどいい」
 龍族の皇子だというが、彼は皇族という感じではないから、人が少ないくらいが落ち着くのかもしれない。世話をやかれても単調な返事しかしない飛炎が、容易に想像できる。
「部屋のものは適当に使ってくれていい。帰るときは、オレかキラ……分かるか?」
「あぁ、何度か来たな」
「うん、適当に言ってくれれば助かるかな。まぁ、急ぎのときは書置きくらいしてくれ」
「そうしよう」
 それじゃあと立つオレを、戸口まで飛炎は見送る。
 それから飛炎は、琳さんの近くへ行った。
「どうかしたの、飛炎?」
「いや…………こんなに深い雪は、はじめてみると思ってな」
「そうね、私も、たぶんはじめてだと思うわ」
 そんな会話を耳に、オレは部屋を後にした。
 雪は、そっと、舞い落ちている。


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