第3話 白の王宮
古い石畳の道を抜けて、馬車は緩やかに停車した。
────白の王宮、崔繍城。
「到着でございます」
明がドアを開き、先立って降りる。
冷たい夜風が吹き込んできて、肌が痛いほどだった。
「到着……って……」
迅はオレと城を交互に見て、自己完結したように「ふぅん」とうなった。
「皓の、実家ですか?」
「……そうだ」
城が実家。
あぁ、つまりオレは使用人の息子か……なんていうオチでは、もちろんない。
重厚な門はそっと開かれた。
見覚えのある中央階段、枝分かれする通路。天井のシャンデリアはあまりに繊細で、触れれば崩れてしまいそうなほどだ。国の伝統工芸でもある刺繍の織り込まれた絨毯が、足下に広がっていた。
「お帰りなさいませ」
人気のないそこにただ1人、深々と頭を下げた白髪の老人がいた。
その人は懐かしい、かつての面影を残したままに老いている。
道中何を言おうか散々考えていたのに、結局出てきたのは平凡な一言だった。
「ただいま戻りました……。元気そうで良かった……
「皓様も、ご健勝で何よりです」
老いた人間独特の、穏やかでゆっくりと流れる空気。
オレはしばらくそんな空気に浸っていたかったけれど、口を開くことにした。
「
「陛下でしたら自室にいらっしゃるかと。しかし今日はもうお休みになられると仰っておりましたので、お会いになるのは明日がよろしいかと思います。何しろ、陛下は礼節を重んじられるお方ですから、このような時間はやはり……」
「そうだな、分かってる」
昔から、頑固な人だったしな。
「皓様のお部屋はそのままお使いになれますので、どうぞそちらでお休みください。長旅でお疲れでしょうからね。そちらのお2方は皓様のお客人ですか?」
「まぁ、そんなところだ」
「そうですか。では、こちらでお部屋をご用意いたします」
本当に彼は変わらない。誰もが安心させられるおおらかな優しさと、国を守る強さを併せ持った、オレの武道の師。
「……宗、ありがとう」
「いえ……何かございましたら、何なりとお申し付けください」
深く刻まれる笑いじわがなんだか懐かしくて、オレは久しぶりに心から安心して笑えた気がした。
今、帰ってきたのだ────あらためて実感した。
オレは帰ってきた。懐かしい、オレの家に。
「お客人はこちらにどうぞ。それではお休みなさいませ、皓様」
「あぁ、また明日」
2人が案内されていくのを見送ってから、オレは階段に足を乗せた。
ここで過ごした日々を、昨日の事のように思い出す。手すりに手をかけて微笑した。幼い頃、階段から落ちたオレを母や御祖母様が心配したっけ……。
この国の建国者である初代国王がそうしたのだという、白。下の階にはそれなりに色が使用されているものの、最上階だけは全く異質な空間だった。そこに立ち入ることが許されるのは、国王の一族とごくわずかな従者だけ。そんな国王の居住空間を全て白に統一したのは、初代国王が雪に魅せられていたからだ、というのは言い伝えである。
全てが白い……一見無機質なこの空間。だが、オレは案外ここが好きだった。ここは、崔繍国民のほとんどがそうである黒い髪がよくあっている。それこそ、雪の中に立っているかのようで、線が美しかった。
その不思議な空間に足を進めて、左側中央の部屋のドアノブにそっと手をかける。白と言うよりも半透明の、ひやりと冷たいガラス製のそれを回し、ドアを押し開けた。
オレの目には、次々に記憶の中の物が飛び込んできた。
鏡のついた小さめの机。今のオレでも届かない高い天井、そこから下がる球形のランプ。淵に装飾の施された美しい大きめの窓。子どもが寝るには無駄に大きなベッド。そして、白い石で造られた小さな暖炉。
見飽きたと思っていた雪のような白が、何というかとても大切で、懐かしくて、愛おしい。
全てが白く、わずかな影によって浮かび上がる部屋の輪郭。
物のないオレの部屋は、そのまま残っていた。
「ただいま……」
何となくつぶやく。
窓の外に灯る点々とした灯りが、雪雲の隠した星のようだった。
「失礼いたします」
ドアを叩く音がして、あぁ、と何気なく返す。宗だ。
「朝食の準備が整いました」
「あぁ……ここでもらうよ」
「お持ちいたしております」
そう言って、壁と同化していたテーブルにさっと朝食を並べた。
「服はクローゼットです。お食事を済まされましたら陛下の御自室にお願いいたします。ご友人もと仰られましたので、彼らは私がご案内いたします」
「分かった。ありがとう」
宗は会釈して出て行った。
さて、あのじいさんに会わなきゃいけない。
……正直言って、気が重い。何で今頃になって、オレは連れ戻されたのか。国の一大事、ではないはずだ。だとすると……やはり、オレの責任のことだろうか。
さっさと食事を済ませて着替えた後、考えたって始まらないから仕方なくオレはあの厳格な御祖父様に会いに部屋を出た。
ノックと同時に宗が中からドアを開く。
奥の1人掛けの椅子にそれぞれ祖父と祖母が、入って左の大きなソファに怜と迅が座っているのが見えた。
オレは祖父達の正面のソファに腰掛ける前に一礼する。
「よく戻りましたね」
祖母はやわらかく微笑んで、座るように促す。
「長い間……心配しましたよ」
ためらうように告げられて、オレはつい言葉につまる。
「────申し訳ありませんでした」
「……ふふ、あぁそうだわ、この間ね……────」
それから祖母は何ということもない雑談を続けた。
それにしても怜と迅の2人は、信じられないくらいマナーがいい。一体どこで覚えたんだか知らないが、元から礼儀正しい怜はともかく迅はどうしたわけだろう。やはり、情報屋という仕事柄だろうか。さすがに口数が少ないのは、丁寧にしゃべるのだけは苦手だから……というよりは、嫌いだからかもしれない。
かく言うオレも、話し上手とは言えない。時折あいづちを打ちながら、祖父母を見ていた。
昔と全く変わっていない祖父と祖母の姿があった。オレが家を出た当時まるでオレの実の両親のように若かった2人はそれなりに老いてはいるものの、表情が全く同じである。上品で気さくで、やさしいとしか言いようのない祖母と、いくら祖母が話しかけてもうんの一言も発しない祖父。もっとも祖父の性格をよく知る祖母のこと、始めから答えを返してくれることなど期待していないのだろうが。
小1時間ほど経っても、オレは2人の心の内が分からないでいた。
祖母が話すことといったら普通の出来事ばかりで、なぜオレをここに呼び出したのかについては全く触れない。
そんな時、祖母は急に声の調子を変えた。
「あなた、そういえば今日は確か会議があるのではなかったかしら。ねぇ、宗」
近くに控えていた宗に問う。
「はい、そろそろお時間です」
「そうね。……皓」
「はい」
「明日の朝、あなたの部屋に行ってもいいかしら?」
「私が参ります、御祖母様」
あわてて返すと、おっとりした声色で祖母は返した。
「いいのよ皓。私が行きたいわ……行かせてちょうだい」
「はい……分かりました。それでは明日、お待ちしております」
「今日は楽しかったわ。あなた、行きましょう」
祖父は咳払いをして立ち上がる。結局、一度もまともに声を出さなかった。
オレは立ち上がって退出する2人を見送り、それから怜と迅を連れてオレの部屋に戻った。
Copyright(c) 2007 Sui all rights reserved.