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2章


第1話 訪問者

 いつものように賑わう市場付近。
 オレは1人で夕食の買い物に訪れていた。
 男3人での生活は、そこそこ食費もかかる。当然買い物の荷物も少なくはないので荷物持ちについてきて欲しくないこともないのだが、あの2人がいるとかえって面倒ごとが増えて疲れるので、この際自分で全部やったほうがまだ楽だ。そう気がついてからはオレは1人で買い物に来ることにしている。
 まだ午前中なので、気温はそう高くない。この地方は年中20度前後と温暖な気候で、かなり過ごしやすい。
 店の開店に合わせて買い物客が増えていた。そんな中、ごった返す人ごみに紛れてオレはあらかじめ用意した買い物のメモを見る。
 しかし、そこには書いてあるはずの食材の名前はなく、おどけた調子でこう書いてあった。
『買い物がんばってねー』
 ……迅だ。やられた……。
 オレは脱力しそうになりながら、こんな事態に怒る気にもならない自分にあきれる。
 迅がオレ同様怜の家に居候を始めて、もう数ヶ月になる。
 この程度の迅のいたずらは日常茶飯事で、そんな迅の性格を知っていたから怒るだけ無駄だというのは百も承知だった。
 仕方がないからオレは店先をのぞいてみる。
 今日作ろうと思っていたのは確か────。
 などと考えてながら歩いていると、誰かがオレの肩をぽんと叩く。
 何気なく振り向いた、その瞬間────
「……っ、こほっ…」
 いきなりみぞおちを殴られた。
 しゃべれねぇ……。
 いきなりずいぶんな仕打ちだ。オレ何かしたっけ……?
 そう思い、顔をゆっくりと上げる。そこには穏やかに笑う1人の小柄な男性がいた。
「お久しぶりでございます、皓様」
 その顔に見覚えがある。
 彼がここにいる、と言うことは、だ。
 ────気が遠くなりそうだ。

 結局オレは市場に何をしに行ったのか、買い物をしないまま怜の家に帰宅中だ。横には、先刻の男性がオレの腕をしっかりと掴んで離さない。
 堅苦しいしゃべり方をしている彼に合わせるべきかとも思ったが、家に帰ってからもそれを続ける自信はなかったので早々に諦めた。第一、こんな街中で不自然極まりない。
「不意打ちなんて、らしくない」
「申し訳ございませんでした。皓様の実力を少し図ってみたかったのでございます。どうぞお許しを……しかし皓様、しばらくの間に腕を落とされましたか?」
 むかつくことを言ってくれる。ただ、平和ボケしていることは確かだが。
「腕、そろそろ離したらどうだ?」
「あぁ、そうですね。絶対に連れ帰れとの命でございましたので、万が一にも皓様を見失ってはと、つい」
 あぁ左様で。もうなんでもいいよ、全く。
「ここだ」
 怜の家の前まで来ると、オレは言った。オレは玄関を開く。
「では、失礼いたします」
 入ってすぐのところには、迅。
 しばしの沈黙が流れる。
「…………皓、誰?」
 迅の声に重なるように階段をとんとんと下りてくる音がして、怜が顔を覗かせた。
 この状況をどう説明しよう……はぁ、面倒だ……。

「お構いなく」
 お茶を準備する怜に言うと、彼はオレのすすめた席に座った。
「それで、どちら様ですか?」
 怜の問はオレに向けられている。
「この人は…………なぁ……」
「……お初にお目にかかります。私は湖 紫明コシメイと申します。明とでもお呼びください」
 オレが詰まっているのを察して彼、明は勝手にそう名乗った。
 落ち着いた茶の髪をした壮年の男性は、上品な立ち居振る舞いと優しげな顔立ちをしている。
「これはご丁寧に。私は醒希 怜と申します」
 怜はこの家の家主で、超近眼の優男だ。
「こちらは?」
 明は迅の方を見て聞く。
「オレは斬流 迅。ところで明、だっけ?」
 迅は並大抵の女では敵わないくらい整った容姿をしている。金髪碧眼、童顔美形……しかし性格はというと、全くかわいくない。
「名前は分かったよ。何でここに来たわけ? 皓とどんな関係?」
 年長者を敬おうという精神はほぼない迅は、いたって軽い調子で明に問う。
「私は皓様の教育係、とでもいったところでしょうか……。この度は旦那様より皓様をお連れするよう仰せつかり、参りました。皓様がお世話になっている方がいらっしゃると先程お聞きし、ご挨拶に」
 様とかつけるなよ……。
「はぁ……あの、それは皓を、実家に連れ戻す、ということですよね?」
 オレが様呼ばわりされているのがそんなに面白かったのか、にやにやと笑っている迅の横で、怜は頭に疑問符を浮かべながら重ねた。
「その実家はどちらなのでしょう」
 すると今度は明が思案顔をする。
「何も、明かしていらっしゃらないのですか?」
「特に必要なかったからな」
「そうですか……」
 名は何やら考え込んでいたが、今更だと思ったのかそのまま続けた。
「皓様のご実家は、崔繍です」
「へぇ、あのでかい国? 確かかなり寒いんだろ」
 崔繍は1年のほとんどを雪に覆われた極寒の国だ。中でも王都の寒さは相当なもので、たぶん年間平均気温はマイナスだろう。雪が溶ける季節は、ほんの一瞬だ。
「それは遠いところから……ここからでしたら1週間はかかるのではないですか? どうやってここまで?」
 ちなみに一週間というのは一番国境に近い町のことである。
 明は「あぁ」と口を動かした。
「馬車で参りました。今は預けております」
 そうですかと頷く怜の横に座っていた迅は、立ち上がって窓際のソファに座りなおし、剣の手入れを始める。もう話には飽きたらしい。
 明はコホンと1つ咳払いをしてから、改めて怜を見た。
「そういった訳ですので、皓様をしばらくの間、国にお連れしたいのです。よろしいでしょうか?」
 オレの意見は聞かないくせに、怜には一応聞くわけね。
「嫌です」
「「は?」」
 オレと明の声が重なった。
 何で怜が反対するんだよ、ここで。
「あ、いえ、そうではなくて……私も皓の実家にお邪魔させていただけないかと思いまして。崔繍には、まだ行ったことがありませんし。だめですか?」
 ……それはつまり、ついてくるってことだよな。
 明は即答しかねるようで、困ったようにオレを見る。
 オレは肩をすくめた。
「……分かりました、ご一緒にどうぞ。見るとどうやら皓様が今までお世話になった方のようですし、構わないでしょう」
 いいのか。
「ありがとうございます」
 笑って言う怜に、明も笑顔で応じた。
「これからの季節は特に寒くなりますから、できるだけ防寒対策をなさってください……といっても、ここに住んでいるのでは大した防寒具もお持ちではないでしょうね……途中で調達しましょう」
「あ、はい」
 怜が支度をしようと立ち上がった、その瞬間。
 迅が窓の外を向いたまま言い放った。
「オレも行く」
 ……怜といい、何でついてきたいんだよ。
「ついて行く」
 有無を言わさぬ口調だった。さすが迅、といったところだろうか。
「────はい、分かりました……」
 明の声にも、力がない。
 彼のこんな表情は初めて見た気がする。
 全く、大した目的もないのについてこないでくれ。オレが疲れる……。

 馬車の旅も5日目、そろそろ付近もかなり寒くなってきた。
 オレ達どころか、馬も防寒具を身につけている。
 昨日宿をとった町で馬を取り替えた。ここから先の道は、寒帯に住む馬でなくては厳しい道のりになるからだ。明の話では、佳永から馬車を牽いてきた馬は実は借り物で、こっちの馬のほうが本来飼っている馬だということだ。
 しかしまぁ、こんな暇な旅も5日目となると、話好きの怜も情報通の迅も話題が尽きてきたらしい。迅の場合はただ単に話をすることに飽きたともいえる。そんな訳で、オレ達は黙って窓の外を眺めていた。
 もう、国境を抜けて崔繍に入った。ここから先はゆるやかな丘がある以外、広大な平野を進む。
「ねぇ、ところで聞きたかったんだけどさー」
 久しぶりに迅が口を開いた。
「何だ?」
「皓の実家ってどの辺り? この国広すぎて、さすがのオレもまだ行ったことない場所ばっかなんだけど」
 それはつまり大抵の国は行ったことがあるって意味だろうか。一体どういう生活してたらそうなるのか見当もつかないな。
「でさ、明さんが皓様とか呼ぶくらいだし、やっぱり貴族階級だったりするだろ?」
 ……ノーコメント。
 そんなオレが答える気がないことを察して、迅はくるりと方向転換した。
 そして明に問う。
「ねぇ、どこ?」
 明に聞くとは……そうきたか。
「雪渓でございます」
「ふぅん……そう」
 しつこく聞きたがった割には意外とあっさり食い下がった迅は、まるで興味をなくしたようにあくびをした。
 あぁ、かわいい顔が台無し。男だからいいけどね。
 話に加わらない怜に目をやると、彼はなにやら楽しそうに外を眺めている。
「怜、何かあったか?」
「えっ、あぁいえ、特に何がということでもないんですけど……私、雪を初めて見たもので」
 あぁ、そうか。見慣れていたから何とも思わなかったけど、そういえばオレも雪を見るのは久しぶりのことだった。
「綺麗ですね」
 窓の外は一面雪だった。確かに綺麗だ。
「ここから先はどうせずっと雪だ。嫌って言うほど見れるよ」
 馬の足が埋まる深さから、まだ積雪量は10センチくらいだろう。
 王都の雪は放っておけば数メートルになるのだから、このくらいはまだ序の口だ。
 冬は、これからが本番なのだから。
「それにしても、良かったですよ。この分だとそうかからずに王都に到着できそうです。今年は例年より雪の降り始めるのが遅めでしたから」
 明は御車台を覗いて言った。
 馬のはく息も白い。
「あ……」
 不意に迅が声を上げた。
「何だ? どうかしたか、迅」
 期待もしていなかったが、案の定返答はない。
 その代わりと言うか、怜が視線で窓の外を示して言った。
「雪ですね」
 声が嬉しそうに車内を包む。
 外をちらちらと舞い降りる雪が見えた。
 なんて綺麗な、雪。

『雪が降ってきたから、部屋に戻りましょう』

 確かにあったのは、あの日の母の微笑み。

「────────雪、か」


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