第6話 水晶の森
「水、という感覚があまりありませんね」
立ち止まった旬零が言った。
怜はそんな彼女の小さな手を握る。
「ええ、本当に……冷たくもありませんしねぇ……」
「どうなっているんでしょうか……」
「うーん……こうなったらもう、罠にはまるつもりで行きましょう。とにかく、今の状況から抜け出すためには前進あるのみです。私の手を離さないでくださいね、旬零さん」
「はい」
そして2人はゆっくりと踏み出した。
足には水圧の感覚だけが残る。
一歩、二歩────
「きゃ!!」
旬零の叫び声がしたかと思うと、急に怜の肩が引っ張られた。
「旬零さん!! 大丈夫ですか?!」
「あ、足を……取られて……」
次第に肩にかかる重みが増していく。少女1人と言うにはあまりに重い……何か他の力が、彼女を湖底へと引きずり込んでいる。
「怜さん……手、を……手を離してください……! このままだとあなたまで────!!」
怜に耐えられない重みではなかった。しかし、このままでは彼女自身の腕がもたない。
「怜さん!」
ふ、と、怜は冗談のように微笑した。
「すみません、1人残されてもさみしいので……」
そうして、2人の手はつながれたまま、暗い水底へと沈んでいく……否、落ちていく。そう、ゆっくりと、沈んでいるのか落ちているのか、そんなふうに……。
「旬零さん……大丈夫ですか────」
答えはない。
光さえ見えない。
やがて声は遠のく。
届かない、どこまでも暗い世界。
つないでいたはずの手の感触が感じられなくなった頃……意識までも、闇に取り込まれていった────。
「すごいな……」
思わず声を漏らしてしまうほど、そこは美しかった。
乱反射する虹色の光があふれかえり、目を細める。
「皓……これ、全部
巨木の穴からつながっていたのは、随分現実離れした光景だった。
ふと、飛炎がつぶやく。
「水晶の森か……」
「何? ここ、そんな名称なの? ていうか、何でそんなこと知ってんの?」
「龍族の言い伝えだ。人間の領域、神の棲める山の麓には失われた鉱石の眠る場所があるとな。水晶は神への捧げ物となっているらしいが」
「失われた……って、じゃあこれは──」
「すごいよ、皓……翅水晶は千年以上も前の遺産なんだ。世界中探したって、数えるほども残ってない」
見れば見るほど、水晶は妖しく美しい。
「なるほどねぇ。神への供物にこの水晶を捧げるつもりなんだったら、術者は神を呼び出したいとかそういうこと考えちゃってるわけだ」
「そう見ていいだろうな。お前たちの言う術者がどうやってこの伝承内容を知ったのかは知らないが、人間界にも似たような話くらい残っていたのだろう」
まてよ……捧げ物……水晶────
「そういえば……昔、何かの本で読んだ……水晶で清めた精霊と人間と龍族を捧げれば神が現れる、みたいな御伽話……確か、他にも何か条件があったような……」
神なんて本当にいるかどうかも怪しい。でも、ここは神の領域と畏れられてきた場所だ。神に会おうと、近づこうと思う奴がいたっておかしくない。
「だが、なぜわざわざ龍族の領域から人間を連れ出す必要があったんだ?」
「え……? 飛炎の探し人って龍族じゃないの?」
「違う。
人間……?? そういえば……迅が言っていたっけ。もう1人能力不保持者が捕まっているって。
「そうか……飛炎、あんたの探してる人はもしかすると何の能力も持っていないんじゃないのか?」
「能力? ああ、能力者かどうかということか。確かに琳は能力など持っていないが?」
「だとすれば、その人は器だ。神の降り立つためには、何の影響力もない器が必要だから」
「どうせ迷信だろ?」
そう聞いた迅の顔が、どこか真剣に見える。
「だと、思うけど……?」
「まぁ、気持ちが分からないでもないけどねー」
迅は軽い調子で言うと、水晶を検分しはじめる。
なんにしろ、術者の目的はこれである程度はっきりした。
おそらく精霊皇である旬零の母親と、飛炎の探している琳という能力不保持者は一緒にいる。
さらに、今の天境にはオレ達人間と龍族の飛炎がいる。
────そう、条件はそろった。
「先へ進もう。ここで議論していても、何も始まらない」
飛炎は薄暗い道の先頭を進む。
「行こう、迅」
なんとなく。
そう、ただなんとなく歩いている。
あんまり静かだから、口数も自然と少なくなった。
どうなっているのか、ここは天井の高い洞窟のような場所らしい。
靴音だけ、静かに響く。
静かすぎて不気味だ……。
「……何か、いるな」
ふいに、飛炎が言った。
目つきが急に険を帯び、腰に吊るした剣を抜き放つ。
コツン。と背中に迅の肩が当たった。
振り向くと迅は、らしくもなく驚きを隠さない表情をしている。
「迅、どうか……」
「────ぁ、さん……────?」
「えっ……?」
何だって? 今、迅は何て……。
そんなことを思っているうちに、迅は道を外れて奥へと進んでいく。
「あっ、おい迅! 待て!」
追いかけようとしたその時、突然迅はその場にくずおれた。
「迅!」
叫んだ自分の声が、なぜか遠く聞こえた。
そしているはずのない人が、オレの目に映し出された。
微笑んでいるあなたの顔を、最後に見たのは一体いつのことだったろう。
『ごめんなさい』
聞きたくない……。
でも、声を聞きたい。
『あの人に会いに行ってもいいの?』
嫌だ。
あぁ────なぜオレはあの時、そう言えなかったのだろう。
そうしていれば、もっと違った結果があったはずなのに。
それが、良いのかどうかは分からないけれど……。
貴女の辛そうな顔を見ていられなかった。
だから……オレが、────オレが確かにあの日、この手で……────
「皓」
こんなものはありえない。これが幻でなくてなんだという?
貴女はオレに、そんなふうには笑いかけない。
そうあって欲しいと、オレが願っていただけ。
だってもう、貴女はこの世界のどこにもいない。
「貴女は幻だ……」
その声と同時に崩壊していくオレの望みを、惜しいとは思わない。
偽りを手にしても無意味すぎるから。
それでも、偽りでも……もう少しだけ見ていたかったと思う。
貴女にも本当にこんな幸せそうな顔をして笑うことがあったと、信じたいから……。
「なんだ、2人も残ったんだ。めんどうだなぁ」
すぐ後ろからかけられた声に、オレは身構えた。
「動かないで。動いたら、殺すから」
「っ……迅!」
淡々と言い放った男は、ぐったりとした迅を抱えている。武器を手にしているわけでもないのに、殺すことに慣れきった冷めた目をしていた。
飛炎も剣を納め、動かない。
動いてはいけない、そう思う。
きっとこの男は、それこそ紙切れを切り刻むくらい簡単に、人を殺すのだ。
刹那、道が現れる。
「おいで」
促されるまま飛炎は進み、オレも後に続く。
「捜しものはこれだろう?」
突如そこに現れた、いくつもの巨大な水晶柱。
その中に、人影……────
「琳!」
飛炎の声が響く。
オレは呆然と水晶を見つめた。
「────怜……────」
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