【T】
浅いと言うには長く、長いというには短いサイル国の歴史。その国暦百六十三年。
時は第六代国王シャルデル・ダリの治世。
荒廃の進む地方は、無用となれば滅びる運命を負う、そんな時代であった。
生き残るために必要なのは、何をおいても強さだ。そして強い魔力を有する上級魔族は、貴族位と領地を与えられている。
その中でもとりわけ繁栄を見せている貴族四家がある。
人々は、彼らを四大貴族あるいは四大侯爵と称し、王に次ぐ権力者として据えていた。
彼らは総じて王より侯爵位を賜っている。その中で最も長い歴史を持つのが、王都サイラスの北東に領地を有する一族だ。
その中心にタールテールの都を据え、実に国土の十分の一に及ぶ広大な領地を治めるのが、言わずと知れたゾルバ家である。
その歴史は古く、三百二十余年。サイル国よりはるかに歴史が長い。現在この大貴族の当主を務めるシェリオ・ゾルバは、当主になってわずかに三年という、当主としてはまだ若輩だ。しかし彼は生来身体が弱く、その邸宅から外に出ることもままならないといえる。
現実的な問題として、当主の代理人が必要だった。
代理人とはいえ、その力が手に入ればサイル国屈指の権力者である。水面下の抗争が続く中、シェリオ・ゾルバはそんなことは知らぬ顔をして、事実上の代理人として十年来の従者にして補佐官、キエフェルノ男爵家当主の実弟の第三子である、クリュエラジェルベート・キエフェルノを据えている。
絶大な権力をあろうことか他家の手に握らせてしまうなど、本来ならありえない。けれど、互いの思惑はどうあれゾルバ家とキエフェルノ家は長きに渡って友好関係にあり、一族内の不満を押さえ込む程度の手腕はシェリオにもあった。
まして、シェリオ・ゾルバの実姉がキエフェルノ家に嫁いでいることもある。男爵家ごときに侯爵家の令嬢が嫁ぐこともまた異例中の異例なのだが、とにかく常識を逸脱することをすんなりやってのけるのもゾルバ家のお家芸であった。当主の実姉がいるのだ、あまり安くは扱えないということで、ゾルバ家は納得している。
そんな常識はずれな状態でも少しも揺らぐことのないゾルバ家の統治は、さすがというより他にないだろう。
とはいえ、現当主があまり長くはないのも暗黙の事実である。それでなくとも、一族外の者が当主の代理人をしている状況はあまりよろしくはない。
次期当主のことをゾルバ家が考えるのは、ごく自然なことと言えた。
その候補者として、現在二人の名が挙がっている。
一人は、現当主シェリオの実弟、ジオラ・ゾルバ。あまり権力欲のない、温厚な、しかし責任感のある男だ。
そして、本来一番に名が挙がるべき者が、二人目……。
「カリオ様、いらっしゃいませんか?」
「ここだ、ベート」
ゾルバ家当主代理人、クリュエラジェルベート・キエフェルノ――ベートは、頭上を仰いだ。
広い書庫の上層から、手すりを乗り出すように、年若い美丈夫が顔をのぞかせる。
「カリオ様、シェリオ様がお呼びです。降りていらしてください」
冷静沈着なキエフェルノ家の家風と違うことなく、抑揚に乏しい声で彼は言った。
「父さん? 大した用はないんだろう? 代わりに聞いてくれていい」
「それは出来かねます」
ベートが言い終わるかどうかという時、カリオは手すりを軽々と越えて宙に身を躍らせ、書庫の一階部分に飛び降りた。着地は静かで、実に優雅だ。
下手をすれば大怪我という暴挙にも、滅多に動じることのないベートの顔色は変わらなかった。
「お前ならそう言うと思った。それで、父さんは?」
「本日はお加減がよろしいようで、執務室に」
「珍しいな」
硬質な回廊に足音を響かせて、カリオは執務室へ急ぐ。書庫からはすぐだ。
カリオは執務室の扉を三回叩き、声をかけた。
「父さん、お呼びですか?」
「カリオか……入れ」
扉を一枚隔てて聞こえてきた声は、落ち着きを感じさせる。
絶妙にベートが開けた扉の向こうに、大きな執務机がある。黒光りするそれの向こうには、果たしてゾルバ家十八代目当主、シェリオ・ゾルバがいた。
外出が極端に少ないためにまるで令嬢のように青白い肌と、病のために痩せた肩――――それは、“痩身の奇策士”と呼ばれ始めていたカリオのそれとは性質の違う線の細さであり、カリオよりもはるかに痩せた印象であった。
「話がある。そこに座ってくれ。あぁ、ベート、お前もだ」
そっと立ち上がり、傍らのソファを示す。カリオが言われるままに座ると、自分はその正面に腰を下ろした。
ベートは少し離れた壁際の椅子にかけた。
「カリオ、話というのはな……」
「家督についてでしょう?」
言い澱んだわずかな間に、カリオはあっさりと言った。
「あぁ……そうだ」
「どうするんです? 別に父さんが長生きさえしてくれれば、済むことですが」
「あぁ、すまないな……」
次期当主の有力候補ジオラ・ゾルバよりもシェリオが長生きすれば、他に直系の男子はカリオしかいないのだから、問題はなにもない。
本来家督とは当主の嫡男が取るものと決まっている。それを、カリオが若すぎるという実にくだらない難癖をつけ、ジオラを推す者がいるのだ。彼は次男とはいえ間違いなく直系男子なので、条件としては悪くない。
ところがそれが面白くないのは、もう一人の当事者カリオである。
「ジオラは、お前に、と言っている」
「でしょうね。叔父さんは人を動かすのが上手くない……というか、あまり好きではないみたいでしたから。本人達がそれで良いと言っているのに、通らないなんて全く馬鹿げていますが、どうせ文句の根源はロット伯あたりでしょう?」
ロット伯爵の愛娘は、ジオラの十歳年下の奥方だ。ゾルバ家現当主とその弟が温厚なのをいいことに、たびたびロット伯は助言と称した干渉をしてきている。もちろん、そんなものはうまく受け流してきているが。
「ところで聞いていませんでしたが、父さんはどう思っているんです?」
「お前に譲りたいと思っているよ。ジオラもそれが最良だと言っている。迷う理由もない。ジオラに譲ったところで、ロット伯が増長するだけだ」
微苦笑を浮かべ、シェリオは息子を見る。
その視線を正確に読み取ると、カリオは言う。
「つまり、私に何か良い案がないだろうかと、そう言っているんですね?」
「まぁ、そうだ。すまないな、頼りない父親で」
「良いですよ」
頼りないというところは否定しない。しかし、シェリオの言うことを端的に言えば、ロット伯をはじめとする反対派を黙らせる方法を考えろ、というところだ。
「私が若いというところを問題にしているのでしょう? それは時間が解決することですから、本来問題にもなりませんが、今回はそうはいかないと。それであれば、若いということが問題にもならないような権力があればいいかと思います。私の場合、ゾルバ家の嫡男と言うこれ以上にない地位がありますから、もう一つ二つ、中央で役職でも取ってきましょうか? そうすれば人脈も広がりますし」
「あぁ、人脈か……それなら役職などという面倒なことをするまでもなく、簡単な方法があるな。カリオ、丁度いい。そろそろお前も身を固めてはどうだ?」
「……父上、私は十九ですよ? 少し早いのでは?」
「それは分かっている。だが、早すぎると言うこともあるまい。婚約くらいしてもいいだろう」
「それは……まぁ、そうですね。それなりの方がいれば、私はいつでも構いませんが」
そのような女性はいませんよ、という心情をありありと表し、カリオは嘆息した。
しかしいい思い付きだと思ったシェリオは引き下がらない。引き下がったが最後、息子に勝てるはずがないのは身に染みて知っていた。
「カリオ、物は試しだ。今度私の代わりにパーティに出席してきてくれないか? ベートだけに頼むつもりだったが、お前が行けば先方も喜ぶだろう」
「ベートと私が一緒にいれば、私が後継だと言ったようなものですよ?」
「そのつもりなのだ、構わないさ。ロット伯には……まぁ何とか言おう。お前の見合いがてらだとか、あぁ嘘ではないからそれがいいか……」
シェリオは疲れたように言った。どうやらロット伯との会話は相当にこたえるらしい。
そんな父親の様子を見て、カリオは心を決めた。
「良いでしょう……いつですか?」
「ベート」
シェリオに呼ばれて、それまで空気のように控えていたベートは言った。
「三日後です」
不敵に笑って、カリオは立ち上がった。
ゾルバ家次期当主のもう一人の候補者、カリオ・ゾルバ――――ただ一人のシェリオの息子にして、“痩身の奇策士”の異名を取る、若き策謀家だ。
だが、貴族社会ではいかんせん若すぎた。だから若造が何をしようとも、頭の固い貴族の当主達は、まだ歯牙にもかけていないのだった。
伯爵主催のパーティと言っても、社交界に出始めたばかりの若い年代も出席する類のものである。
さらに、カリオが出席するという噂のせいか、常よりも若い女性が多い。
スフォルト伯爵家には、次々に貴族が集まっていた。
そんな中、ざわざわという声が小さくなり、開け放たれたままのメインホールの入口に視線が集まる。
直接的ではないものの、好奇の視線を一身に浴びてそこに立っていたのは、地味なグレーの衣装をまとった青年、カリオだった。
「ベート、後で」
「はい」
衆目など気にもせず、カリオは従者に声をかけ、一人でホールを平然と進んでいく。
平静をよそおった会話を続けながら、誰もがカリオを見ていた。
カリオの向かっていたテーブルから、カリオの前に進み出た男性がいた。彼がこの屋敷の主にして主催者、スフォルト伯爵だ。
「これはスフォルト伯爵、お会いできて光栄です」
カリオは人のよさそうな、それでいて若い女性を魅了してやまない笑顔で応える。
「ゾルバ侯はお元気ですかな?」
気難しそうな顔のまま、スフォルト伯爵は言う。
「おかげ様で」
「それは何より」
そのすぐ傍らにいた少女が、ほんの少し自分の存在を主張するように前へ出た。
「あぁ――――姪です」
「サーティと申します、カリオ様」
つぼみがほころぶかのように、頬を染めて少女は笑った。カリオは一段と優しげな笑顔を返す。
それからも、次から次へと紹介されるうら若い淑女達と言葉を交わしていく。貴族の娘達は、皆それなりに美しい。
カリオの目にとまれば、それは侯爵家との繋がりを得るということ。つまり取り入る糸口をつかめると、そう思っている父兄も、カリオを下にも置かない状況である。余計にカリオは休まる暇がなく、分かっていたとは言え話を切り上げるのも一苦労である。
というのも、四大貴族と称される侯爵家の中でも、また有力な伯爵家を含めたとしても、丁度いい年回りで婚約していないのは、カリオくらいなものだからだ。
未婚の婚約していない娘を持つ家は、カリオを得ようと躍起になっているらしかった。
そんなわけで、不本意ながら今回のパーティの中心とも言うべき存在となっているカリオは、ようやく壁際にたどり着くことが出来ていた。顔にこそ出さないが、既にパーティへの興味はなくしていた。
黒髪で地味ないでたちである今日のカリオは、特に目立つ要素はない。玉のような碧眼は確かに目を引くが、珍しいと言うほどではない。しかし、カリオは十分すぎる存在感と、堂々とした気品があった。それもそのはず、際立って彼は美しい。カリオを端的に表すならば、眉目秀麗、文武両道という冗談のような言葉を並べることになる。加えて文句なしの名家の嫡男で、次期当主と目されるとあっては、非の打ち所がない。
しかし――――
「カリオ様」
グラスを手に、ベートがカリオの元に歩いてきた、今日のベートはカリオの従者でありながら、ゾルバ侯爵の名代でもあり、この場における身分は従者ではなく正式な客人だ。しかし、元々控えめなベートは地位に興味はなく、今もあえて従者のように振舞っている。
そのベートは無言のまま、灰色の視線だけでカリオに、どうですか、と問いかけている。
カリオもまた無言で、グラスを取った。ベートに向けられた中身のない微笑の意味するところは、一つだ。
――――全然駄目だな。
ベートはやはり、という思いを持ちながらも、それならばここから帰る手配を始めなくてはと冷静に考えていた。
それなりの美しさや賢さなど、カリオは全く興味がない。
それでは、“つまらない”からだ。
彼の唯一の欠点……それは、性格に大いに問題がある、ということなのだ。
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