Blue Blood 胡蝶の夢

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八話



 ある時はその名声に。またある時は恐れに。
 人々はその名を呼ぶことをためらい、はばかり、新たな名を作り出す。
 “破壊の鉄騎”────それは強さと気高さを呼んだ名前。
 “痩身の拳銃使い”────それはいくつもの銃を自在に操ることを称え、畏れたための名前。
 しかし、この名前には人々が使うものとは別に、裏の意味が込められている。
 時の君主に背き、反乱を起こす簒奪者に与し、今や目前に立ちはだかる忌まわしき存在“破戒の敵騎”。
 父の名である“痩身の奇策士”になぞらえ、同じように何の心も持たぬ者“喪心の拳銃使い”。
 存在を皮肉り、責めるために。
 そして、己には敵わないと認めたくないがために。
 人は様々な意味と意思をもって、その名を呼ぶ。
 彼の者はフィリオ・ゾルバ────その名を知らぬ者はないと言われる、魔王の副官。


 はじめにリディアールの姿を確認した黒軍兵士は、目を疑った。
 波のようにざわめきが広がり、それが副将軍であるキドのところまで伝わってきた時、すでにリディアールは武道場の中央にいた。そしてキド副将軍も、他の黒軍兵士の例に漏れず目を見開く。
「リディアール様、どうかなさいましたか?」
 思わず声をかけたキド副将軍を見るリディアールの目は、手に持つ二振りの剣が冗談ではないことを告げている。すでに武道場に嫌な緊張感が漂い始めていて、自然と兵たちは壁際に後退した。
「イシルラは、いるな」
「オレに用なんだ」
 平然とリディアールに向かって歩いてくるイシルラの顔には、笑みさえも浮かんでいた。それだけで、見上げたものだ。最近ずっと武道場付近にいて、たびたびこうして武道場の中にいるらしい。
「剣を取れ、イシルラ」
「何で?」
「お前の実力を知りたい」
「────リディアール様、しかし……」
 キド副将軍はついに口を挟んだ。
 リディアールが本気で臨戦態勢を取れば、誰も止めることはできない。相手が強ければ強いほど、本気になる────手加減がきかなくなるのだ。
 リディアールは魔王だ。魔王とは、強さの代名詞に他ならない。キド自身やディオル将軍でさえ、敵わない。そのリディアールが自ら剣を持つほどに、イシルラが強いとは思えない。何よりも、なぜ今、この時に戦うのか、その理由が分からない。
「キド、下がるがいい」
 明らかな命令に、キド副将軍はためらった。リディアールがそれを見透かしたように告げる。
「命令だ。手を出すことは許さない」
 そう言われては、逆らう理由はなかった。
「御意」
 リディアールは再び、イシルラに剣を差し出す。何の迷いもなくそれを受け取ったイシルラは、笑って言った。
「本気で?」
「さぁな」
「ふぅん……ま、いっか。さっさとやろうぜ」
 何の飾り気もない二つの剣が、ゆらりと輝く。

「これがいい? それともこっちかしら……迷うわねぇ」
 ゾルバ邸の一室で、フィリオの母ユイスはたくさんのドレスを取り出していた。
「あ、これなんていいわ。どうかしら? アストさんなら何だって似合いそうだけれど」
「あの……何のことですか?」
「あら、服よ。リディアール様ももったいない方ね。鉄の城のドレスは全て売り払ってしまわれたから、アストさんに着せる服が残ってないみたい」
 なおもユイスは、髪飾りや多くの宝飾品を持ってきて、あれこれ迷っている。
「こちらに座ってくれるかしら?」
 言われるままにアストが座ると長い髪を結い始めた。
「私ね、本当は女の子が欲しかったのよ。フィリオときたら、あの人にいらない所が似てさっさと自分のしたいことをやり始めて、しかも家を出てしまうんだから。それに男の子は飾りがいがないもの。ねぇ」
「え、えぇ」
 返答に困る夫婦だなどと考えていると、ユイスは唐突に話し出した。
「“痩身の拳銃使い”って聞いたことある? フィリオの名前なのだけれど」
「はい、何度か」
「それじゃあ、“痩身の奇策士”というのも、知っているかしら。あの人が若い頃よくそう呼ばれていたの。今も変わらないけれど、あの人は本当に、気に障ることを言ったり、人の嫌がることを思いつくことにかけては、天才ね。本当は私、嫌いなのよ」
 冗談とも取れる軽い口調で、ユイスは続ける。
「カリオは若い頃ね、それはもう人気があったのよ。でもどうしてだか、私なんかを選んだの。あの人にとってはそれも策の内なのかもしれないわね」
「そんな──」
「いいのよ。でもね、あんな人でも一応いいところもあるわ。それに、美人が好きなの。アストさんは本当に綺麗ね……リディアール様が気にかけるのも、分かる気がするわね」
「それは、リディアールが私を傍に置く理由が、私の外見にあるということでしょうか」
 アストは思わず聞いていた。
 ずっと思っていた。リディアールがただの下級魔族の命を助け、今なお傍に置く理由。
「気になる?」
「え?」
「リディアール様よ。昔からあまり感情を表に出さないお方だったみたい。私は数えるほどしかお会いしたことがないのだけれど、前の王に比べると随分真面目そうに見えたわね。実際がどうなのかは分からないけれど……。でも、ねぇ、リディアール様は人を見る目があると思うのよ。母親の私が言うのもなんだけれど、フィリオは賢い子だし。そうねぇ、もしかしたら、リディアール様の周りに人が集まるのかしら」
 確かにリディアールの周囲では、フィリオをはじめとして将軍以下黒軍兵士が、何よりもリディアールのために動く。ただ無条件の忠誠を誓っているように思える。リディアールの意のままにならぬことなど、そうはない。
「だからアストさん……リディアール様は間違いなく、あなたのことを気にかけているわ。リディアール様が何の役にも立たない人を、たとえ肉親でも傍に置いたりすると思う? それがあなたのように美しい人だったとしても、ずっと傍に置いたりしないはずよ」
 フィリオの母、ユイスはそう言って手を動かし、アストの青銀の髪を束ねる。
 アストはそんな姿を鏡越しに眺めながら思う。
 リディアールは、たぶん私を覚えていた・・・・・。だから、私を人形にしたいのではないだろうか。
 そう、私はただの人形。全ての人の代わりになって、リディアールの罪を可視させるだけのもの。
 素直にリディアールの言葉を受け入れられない。
 ユイスの言葉にも頷けない。
 だって、ただの小娘であったなら……きっとリディアールは、私に執着したりはしなかった────。
 こんな思いだけが、渦を巻いて闇に消えていく。




 まだ夜の明けきらない空には、小さな星が輝いている。白みはじめた山の稜線が見えた。わずかに山から立ち上る朝もやが、青い山に霞をかけてゆく。
 ゾルバ家の外門には黒い一頭の騎獣がいた。門番に挨拶をして外に出ると、騎獣に乗ろうとする人影は、道の向こうから来る人影を認めて乗るのをやめる。
 珍しく一人、騎獣にまたがる彼女。こうして会うのは、二週間ぶりほどだろうか。
「おはよう、フィオ」
「おはよう。どうしたの? めずらしいね、朝から」
 騎獣を手綱で引いてセナのところまで行く。
「今日は出かけるって、聞いたから」
 フィリオは首を傾げる。出かけるのは確かだが、別に明日には帰るのだ。今すぐ伝える必要のあることがあったとも考えにくい。
「わざわざ見送りにでも来てくれた?」
「そうよ」
 冗談をあっさりと肯定され、フィリオは驚くしかない。
 するとセナは微笑して言った。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「え、うん……セナも、帰り気をつけて」
「分かってる……」
 フィリオは騎獣にまたがると、同じ視界になったセナに手を伸ばした。なぜか、無性にセナを手放したくなかった。
「……セナ、オレ……さ」
「何?」
「────……いや、いい。今度はゆっくり会おう」
「うん……ね、フィオ」
 朝日が逆光となって、セナの表情をぼかす。
「これ、あげるわ」
 そう言ってフィリオの手に渡されたのは、<深更>だった。包み込むように、セナはフィリオの手を握っている。
「好きにしてくれていいから。もう、私には必要ないし」
「でも────」
「いいから……ほら、はやくしないと仕事に遅れるわよ」
「あぁ……」
 フィリオは<深更>を懐にしまった。そしてそのまま、背を向ける。
「フィオ……」
 振り向いた。
「今度二人で、どこか行かない?」
「いいよ……? どこがいいか、考えとく」
「楽しみにしてるから……」
「──────セナ」
 フィリオは訳もなく彼女の名を呼んだ。ほんの少しの沈黙……そしてセナは、いつも通りの別れを告げる。
「じゃあね、フィオ」
「うん……また」
 遠くなりはじめた二人の距離を埋めるように、フィリオは口にする。
「また、今度」
 そしてただ、セナは笑って答えた。
「────じゃあね……フィオ」
 そして、二度と彼女と会うことはなかった。
 生きて・・・会うことは、永遠に……。


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