Blue Blood 胡蝶の夢

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七話



 このままだといけない。
 きっと、シルシェドール家はグレベール王に滅ぼされてしまう……一人残らず。
 そんなことは、あたしが許さない。
 何があっても、それだけは阻まなければ。
 あたしの大切な人も、そうでない人も、決してそんなことで死なせはしない。

 他に道なんてない……。

「リディ、久しぶりね」
「セナ、か? 珍しいな、この城に来るなんて……」
「ちょっと、用があったの。リディはどこ行くの?」
「射撃場だ。兄が見物させたいらしい」
「あたしも行っていい?」
「構わないが、フィリオはいないぞ。今日は地方で仕事だからな」
「知ってる。今朝出掛けに会ったから」
「そうか……」
 ふと、リディアールはセナに目を奪われた。
 ぞっとする程に、彼女が美しく見えた。
 その瞳に宿るのは、何か強い意思。そして唇には、はかなげな笑み。
 そう、まるで……消えてしまいそうな程の危うい美しさ。
「セナ……」
「なぁに?」
「────いや、何でもない」
 何を言いたかったのか分からず、リディアールは口ごもる。
「ねぇリディ、フィオのこと好き?」
「……あぁ、まあ、そうだな」
「良かった」
 一つ年上の女は、リディアールから見るととてもそうは見えない。まるで少女のようだった。ただどうしてかその時だけは、ひどく大人びて見えた。
「セナ」
 焦るように呼んだから、セナは不思議そうに答える。
「何? どうかした?」
「あぁ、いや、何でもない……」
 再び口ごもるリディアールに、セナは微笑する。
「ありがとう、リディ」
 言い知れぬ不安が、リディアールを満たしていった。

 いつかきっと、リディとフィオはこの国を変えてくれる。
 だから大丈夫。あたしがいなくたって、二人はきっと大丈夫。
 ごめんね、シルシェドールを取る私を、許してね。
 あたしは二人のことが好きだったわ。二人でいるときのリディとフィオの顔が、一番好きだった。
 リディが本当はちゃんと優しいことも、フィオがあたしを好きでいてくれることも、本当にうれしかった。
 あたしはこれでいいの。こうなることが、あたしの望み。
 リディはつまらない自己犠牲だって笑うかな。
 でも、あたし一人でみんなが生きていられるなら、構わない。
 ただフィオ……きっとあなたを、悲しませてしまう。
 それだけが、あたしの心残り────。


 射撃場には、リディアールが立ち尽くしていた。
 数時間前にディオルが来て、ここにはもう何もない。
『リディ……アール、様……』
『ディオルか……すまないが、棺を用意してくれないか。それから、装束を』
 そんな会話をした気がする。
 きれいになった射撃場は、驚くほどいつもと変わりなかった。
 だが、紅い血に染まる大理石の床を、鮮明に覚えている。
 数発の銃声と、その先にいた女。
 避ける素振りさえ見せなかった。
 呼吸をしなくなった彼女の身体を、人目をはばからず抱き上げ、射撃場を後にした。
 自室の寝台に横たえたけれど、次第に冷たくなっていくその身体は逃れようもない死をリディアールに突きつける。
 ────人の命一つがどうしたというのだ?
 そんなもの、いくらでも奪ってきた。どんな死も、私には皆同じ事で、何の変化も与えてくれなかった。
 では……なぜこんなにも、セナの死が大きい?
 私にとって、どれほどこの女が特別だったというのだろうか……。
 そして、空にあった日が沈む頃、ようやく気がついた。
 確かにリディアールにとって、セナは特別だったのだ。フィリオの大切なひとだという、ただその一点において。
 あぁ……私はフィリオにどんな顔をして会えばいい?
 何と、説明すればいい?
 私が怖いのはそれだけだったのだ……ただ、フィリオの絶望が見たくないだけ。
 彼女がフィリオにとってどれほどの存在であるのか、きっと本人以上に分かっているからこそ……。
 セナの青白い顔に、穏やかな微笑みが浮かんでいた。
 とても、満足そうな、優しい顔だった。
 ────あぁ、そうか……。だから、あんなにも不安だったのだ。
 これが、死を覚悟した女の笑顔だと、どこかで感じていたから。
 射撃場を後にし、霊廟を訪れ、そこに安置された棺の中の死化粧をした姿を、ただただ見つめていた。このまま時が過ぎなければ……せめて、フィリオにこんな姿を見せずにやり過ごすことができたら、どんなにかいいだろう。




 リディアールは射撃場に立っていた。
 フィリオのいないそこは、とても静かだ。
 ほんの数年前の記憶をなぞって、美しかった女を思い出す。
 それは、まだ過去というには近すぎる記憶。
 静かな射撃場にその痕跡が残っているはずもなく、鮮明な過去の映像が、冗談のようによみがえる。
 この場所で、フィリオはどんな思いで銃を構えていたのだろう。
 ここは、彼女の死んだ場所。
 けれどフィリオは、そのことについて何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。
 ────私はあのときから、何か成長したろうか?
 数え切れないほどの命を消し、最高の地位を手に入れ、全てを破壊して秩序を保ってきた。
 それでも、私は……セナ、お前の命だけは、失いたくはなかった。そしていまだに取り戻したい。
 まだ強くはなかったフィリオが、何の気負いもなくいられたころの、懐かしい時間。
 フィリオを副官として縛らずにはいられなかった。それ程に、私にとっていつの間にかフィリオの存在が大きくなりすぎていた。
 いつもフィリオは、私の願いを叶えようとしてくれていて────私には、返せるものなどないというのに。
 ……ただ、今願っている。
 叶わないからこそ、願わずにはいられない。
 フィリオ、お前にとって何よりも大切だった時間が、戻ればいい、と。




「セナ……?」
 静けさが耳に痛い。
「────……セ、ナ……?」
 答えて欲しい。
 ねぇ、お願いだから……一度でいい、だから。
「セ……ナ……セナ……────セナ……っ」
 あぁ、これはきっと、悪い夢だ。
 違う? 何が違う? これが、現実だと?
 あぁ、ねぇ、どうして?
「どうして?」
 どうして冷たい。
 どうして笑ってくれない。
 どうして、いつものように迎えてくれない。
 どうして、動かない……?
 お願いだから、目を開けてくれ。オレの命に、全てに代えたって構わないのに────!
 どうして、どうしていつも、オレは無力なのだろう。

 セナ、オレはどうしたら良かった?

 ねぇ、教えて……。

「────どうして────?」


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