Blue Blood 胡蝶の夢

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七話


「なぁ、ハカイのテッキって何のこと?」
 武道場の入口近くに座ってだらだらしているところを、アスト付きの侍女であるライナが通りかかった。何度か耳にしていて気になっていたことを訊ねる。かといって、特に興味があったわけでもないのだが。
「フィリオ様の二つ名ですわ」
「ふぅん。どういう意味?」
「私でよろしければお教えしますが……これからリディアール様に報告することがありますので、その後で。気になるのでしたら、黒軍の方に聞くといいですわ。どなたでもご存知ですから」
「リディにはないのか?」
「リディアール様にはございませんが、あえて申し上げるなら魔王という称号と、戦いの王という方もおりますわ。では、私はこれで」
 ライナは足早に通り過ぎた。
 二つ名。人間の軍隊に所属しているときにも、そんなものがあったなと思う。
 ライナがいなくなってから、随分イシルラはそこに座っていた。
 ここも変わらない。
 魔族の世界も、人間の世界も、戦いに勝ったものが世界を支配している。
 強いものに、名声が与えられる。

 楽園はどこにもない。
 探せるはずもない。
 ……分かっていたから、オレはここにいるのかもしれないな……。




 本当に信頼しているから、過信ではないと思えるから、互いに銃口を向けられる。
 広い射撃場に、時折銃声がこだました。
 危うく兆弾が手元をかすめるが、予想されたことなのかフィリオの動作にはためらいも動揺も伺えない。
 物陰からお互いを伺う二つの吐息が、静寂をぬってわずかに空気を震わせていた。
 瞬間、飛び出した二人の視線が合うか合わないかというとき、引き金を絞る。その銃声をかき消すように、辺りには鈴に似た音が響き、床に伏せて構えを取ったままの二人は笑った。
「危なかったよ」
「え? 何が?」
「オレ、そろそろ弾切れだったから」
「そうなの? あーあ、せっかく勝てるチャンスだったのに」
 セナは立ち上がると、<深更>をホルスターにおさめる。時間切れを告げる鈴は、もう鳴り止んでいた。
 ここはゾルバ侯爵家本家にある射撃場だ。
 壁際で座り込むフィリオのもとへセナは行き、隣に腰を下ろす。
「ねぇ……前から思っていたんだけど、それ、高そうねぇ」
「これのこと?」
 フィリオは手元の<紅雪>を少し持ち上げた。細部まで通常の銃とは違う印象で、銃としても魅力があり、何より装飾品としても一級品なのがグリップ部分の文様だった。
「分からないけど、安物じゃないだろうな。父さんのコレクションからもらったんだ。確か、かなり古いって」
「そうそう、なんだかそんなのを本で見たことあるもの」
「この銃みたいな?」
「そうじゃなくて、この模様のほう。百年は前のじゃない?」
「あぁ、そうだったかもしれないな。物置に眠ってたんだって、父さん言ってたから」
「それにしては、新しいような感じもあるわね」
 古ぼけているとは言い難い銃を見て、セナは言う。
「銃は昔の方が性能もよかったっていうからね。まぁ、そのかわりほとんど一点ものだから、残ってないらしいけど。それを集めるのが父さんの趣味だから、オレはその恩恵にあずかってるわけ」
「あら、おじさんよくくれたわね」
「それはオレも少し疑問なんだけど、父さんいいかげんだから、気にしないことにしてる」
 フィリオは<紅雪>に弾を込めなおしながら、傍らのセナをそっと見た。
 出会った頃よりいくらか背の伸びたフィリオは、セナを少し見下ろすことになる。
 たったの一年。しかし子どもの頃の一年は、とてつもなく長い。あっという間に過ぎていった日々が、かえって深みを増していた。
 少しだけ女らしくなったセナを、いつからかフィリオは綺麗だと思うようになっていた。
「フィオ、来年は城に行くの? ほら、成人でしょ?」
「そうなるだろうね。一応オレは貴族の長男だし、父さんの立場上あそこの仕事を手伝うことになるんだと思う」
「そっか……じゃああんまり会えなくなるわねぇ。グレベール王に目、つけられちゃ駄目よ?」
「大丈夫、父さんに学んだから」
「それは……何だか不安ね」
「それもそうだね」
 二人でひとしきり笑って、思い出したようにフィリオは言った。
「そういえば、オレと同い年の魔王の息子がいるんだ。なんて言ったかな……確か、リディ……まぁ、いいか。そのリディって、一度見たことあるんだよ。遠征の帰りにゾルバ家の領内を通ったんだったかな。でね、彼は他の息子たちとは違うと思う」
「何が違うの?」
「何となく、かなぁ。オレと気が合いそうな気がした」
「じゃあ大変じゃない。素直じゃない者同士で」
「そうかなぁ……」
 苦笑して、一瞬後には笑っていた。そんな明るい笑い声がする射撃場に入ってきたのは、小柄な女性──フィリオの母親ユイス・ゾルバだ。
「フィリオ、いつまでもそんなところにいないで、ちゃんとこっちで話しなさいね。いらっしゃい、セナさん」
「お邪魔してます」
「ごゆっくりどうぞ。ねぇフィリオ、あの人を見なかった?」
「父さんなら、さっき外出してたけど?」
「あら、そうなの? また勝手に出かけて……見かけたら、ニズレーが呼んでいたって言っておいてくれるかしら」
「分かった」
「それからフィリオ、髪くらいはきちんとしなさい。最近少し長いでしょう」
「あぁ、うん」
「それじゃあね」
 パタンと閉じたドアの向こうに、フィリオは何かを言いかけた。そしてため息をつく。
「結べって言われてもね……」
「はい」
 見ると、セナが真っ青に染め上げられた紐を持っている。
「あげるわ。これで結んだら?」
「……何で持ってたの?」
「さぁ。教えてあげない」
 少しうつむいたセナの頬がわずかに赤く、照れたように笑っている。髪の短いセナがこんなものを持っているはずはない。つまり、フィリオのために用意されたものなのだ。それが分かった上で、あえてそれ以上の追求はしなかった。
「ありがとう、セナ」
「どういたしまして」
 そしてもう一度顔を見合わせて、笑いあった。




 日の沈みかけた空が、天井付近についている小さな窓からのぞいていた。
 一人、壁に背をあずけてフィリオは座り込んでいる。
 室内は小さな明かりが灯っていて、それなりに清潔な印象だった。捕虜の牢にしては、かなりいい待遇だ。
 傷のせいなのか、それとも川の水で風邪でも引いたのか、フィリオは微熱によるだるさを断続的に感じている。余計な感傷が、それに拍車をかける。
 否が応にも思い出す、セナの顔。ずっとそうしていられると信じた日々。
 そして、どこかにうごめいていた不安────。
 と、フィリオは人の気配を感じて、そこで思考を断ち切った。
 ノックもなしに開け放たれる扉の前に、何人かの若い男と老人がいた。
「……これはこれは……バーツェフ侯爵自らお越しいただけるとは、思っておりませんでした。こんな状態ですから、立って挨拶できなくて申し訳ない」
 形の良い口元に冷笑を刻むフィリオに、バーツェフ侯爵は満足げに笑む。
「わしとて、このような場所で会うとは思うておらなんだ……のう、破壊の鉄騎。いや、痩身の拳銃使いと呼んだ方が良いか?」
「悪いんですが、そういう呼ばれ方は好きではありませんね。ところで、バーツェフ侯爵。オレに何の用です?」
「何を白々しい。言わずとも知れよう?」
「オレは、独断はしない主義ですから」
「まぁ、良かろう。わしは何もお主が憎いわけではないからの。多少のことは気にせぬよ」
「それはありがたい。どうもオレは口の利き方がなっていないものでね」
 社交辞令的な顔を貼り付けた会話の端々に、控えるバーツェフ侯爵の駒たちは侯爵家に属する二人の男の圧力を感じて、冷や汗をかいていた。
 彼らはその時まで、フィリオを侮っていた。ただの貴族の御曹司くらいにしか捉えていなかった。最強の名である魔王の副官が、いかなる地位であるのかを、図り違えていた。怪我をし、武器すら持たない目の前の男が、恐ろしい。
「これへ持て」
 バーツェフ侯爵の言葉でようやく金縛りから逃れた部下は、フィリオの前に小さな包みを置いた。
「銃だ」
「どうして欲しいのか……とは、聞かないでおきましょう。どうせ弾は入っていないんでしょう?」
「協力せぬとは、言わせんよ。わしはお主を殺したくはないのでのう」
 その言葉が、言外に今は殺さないと言っていることくらい、誰にでも分かった。
「えぇ。無駄な抵抗をする気はありませんから、ご安心を。明らかに不利な状況で馬鹿なことをするほど、オレは馬鹿ではありませんから。ただ、一つだけお願いがあります」
「何だ?」
「服をお返しいただきたい。やはり、格好くらいはつけないと、オレの矜持が許さないのでね」
「────よかろう」
「ついでに他の銃と弾もあると、助かるんですけどね」
 のどを鳴らしてバーツェフ侯爵は笑った。
「残念ながら、わしは怪我人に武器を持たせて戦わせるほど鬼ではない」
「そうでしょうね。お噂はかねがね聞いております」
 一瞬消えたように見えた笑みは、次の瞬間にはうす寒い笑みに変わってバーツェフ侯爵の権威を主張していた。
「わしは、お主が気に入ったよ。“破戒の敵騎”」
「奇遇ですね。オレもあなたが意外と好きですよ、バーツェフ侯」
 フィリオは苦笑して、心中でこう付け加えた。
 父さんの言ったとおり、扱いやすいお方のようですから、と。



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