見た目は小さな洋館、中は質素な家庭的住宅という印象のその家は、しかしどことなくフィリオの家に似ていた。
小さな川の傍にあるそれが、シルシェドール分家であるセナの自宅だった。
大きさで言えば、ゾルバ家の本家は、それこそ鉄の城に匹敵するほどのもので、この家など十分の一にも満たないだろう。それでも似ていると感じることが出来るのは、この時世にあっても保たれる、気の抜けるような雰囲気のせいかもしれなかった。
そして意外なことに、この小さな家には小さな射撃場があった。庭の端で花壇に囲まれた建物は、通常射撃場と聞いてイメージする無機質な空間ではなく、花壇にぴったりのレンガ造りで、内装も期待を裏切らないかわいらしい明るい部屋だ。一つ射撃場らしいところがあるとすれば、的が備え付けられていることくらいなものだった。
セナはフィリオにその射撃場を案内した後で、庭先で花に水をやっていた女性に手を振る。
「ただいま、お母さん」
「お帰りなさい、セナ。……お友達かしら?」
「そうねぇ……そうかな?」
首をかしげてフィリオを見る。
「そう、かな……はじめまして、フィリオ・ゾルバです」
「まあ! あなたがそうなの? 義兄さんもずいぶん大げさに言ったものねぇ」
「え?」
実はセナの伯父は、フィリオのことを化け物の息子だとか、悪の化身だとか、それはもう散々に言っていたのだが、これをフィリオが知るのはもう少し先のことである。
「あら、いいのよ、気にしないでね。……でも、思ったより小さいのね、想像していたのと大分違うわ。セナと同じくらいかしら? 確か年は、セナより一つ下よね」
フィリオとセナは、このころ背格好が良く似ていた。フィリオの背が標準より低かったと言うよりは、セナの背が高かったのだ。そのころはフィリオもセナも髪が短く、同じような髪型に見えたせいなのか、つい今会ったばかりなのに違和感なく仲のいい友達に見えた。
「セナをよろしくね」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
「ねえお母さん、もういいから中に入らない? お母さんの話、いつも長いんだから。フィオが困ってるじゃない」
そう言われたことで余計に困っているフィリオに、セナの母親は上品に笑いかけた。
「ごめんなさい、いつもセナに言われているのだけど……。立ち話は短くしないとだめね。入りましょうか。どうぞ
あぁ、セナは母親に似たのか。フィリオはそう思わずにおれなかった。
*
「あれが屋敷だよ、アスト君」
そう言ってカリオが指差した先には、広い庭やいくつもの建物が立ち並ぶ広大な敷地が見える。
「広すぎるくらいですね」
あまりの大きさに、アストは思わず言っていた。だが無理もない。敷地いっぱいに施設の隣立する鉄の城と違い、ゾルバ邸は紛れもなく“城”と言えるものだった。魔族一の大貴族にふさわしい、機能とそれ以上のさりげない美を追求するものだ。
「広いね。私も滅多に行かない場所ばかりさ。だが、ここのおかげで領民の仕事もいくらか増えているのだよ。何しろこれだけのものをたった三人の家族で大変だろう? それに、本館はさすがにやすやすと入れないようにしてあるが、庭は公園のようなものさ。この真下が本館で、あのあたりまでが公園だ」
飛龍はゆっくりと旋回し、速度を落として降下する。やがて、カリオが本館だといったひときわ壮麗な館の前に降り立った。
「お帰りなさいませ」
使用人が数人、カリオを出迎える。
「ただいま。ユイスはいるかね?」
「はい、ご在宅です」
若い女性はにこやかな笑顔で答えると、自分の仕事に戻っていく。カリオの手をかりてアストが飛龍から降りたところで、正面玄関の両扉がゆっくり開いた。
明るい室内には多くの人が行き交っているが、誰もがカリオの姿を認めると、丁寧に会釈する。
落ち着いた色調の絨毯と、アンティークの調度品。両側からなだらかな線を描く階段は、あたたかみの中に重厚さがある。
実はカリオに会釈した後の使用人達の視線はアストに釘付けになっていたのだが、アストのほうはそれに気づきもしなかった。生まれ持った容姿のおかげで他人の視線にはなれているから、悪意のない視線は気にならないのだ。
アストはゾルバ邸を観察する。
リディアールに出会った頃の“鉄の城”は、趣味は悪くとも贅が尽くしてあった。だが、これはあんな単なる財力の誇示とは違っている。鉄の城に欠けていて、ここにあるもの────それは、何気なく引き継がれた、歴史だ。アストはこれにひきつけられていた。
ゾルバ家はサイル国が建国される以前よりこの地を領有し、領地を広げたり奪われたりしながらも続いてきた。前王の支配が広まった時代も、カリオの力でその地位は決して落ちることがなかった。魔王リディアールが直接統治する城下町サイラスは今復興して豊かになっているが、そのくらいの豊かさはこのゾルバ家の領地ではごく普通のことで、長らくの繁栄を続けている。
リディアールの治世の史書、そのはじめの貢に曰く、第二の都。
事実そのころのサイラスはとても首都と呼べるものではなく、多くの難民を受け入れたのはここゾルバ家の都タールテールをはじめとするゾルバ侯爵領だった。
「アスト君、上へ行くよ」
常よりの紳士ぶりで、カリオはアストの手をさりげなく取る。
そんな時、頭上から声がした。
「あら、もう帰っていらして? 少し早すぎるでしょうに……もう、フィリオのことは解決したのかしら?」
「そう言うな。アスト君、我が妻ユイスだ」
そこに立つのは、美しい笑顔の小柄な淑女だった。
「やられたな……」
リディアールは自室の椅子に疲れきった顔で座った。
「まぁ、何かするとは思っていましたけれど、これは僕も気づかなかったですね」
ストラールは苦笑して、机上のメモを確認する。
「アストは?」
「いませんよ。どうせカリオさんの仕業でしょう。あの方はこういう人ですから」
「それもそうだが、もう少しやり方があるだろう」
「仕方ありませんよ。言ったら兄さん反対するでしょう?」
カリオとアストの姿が見えないことに気が付いたのは、夕方近くだった。おまけに飛龍の姿もないとあって、不審に思った矢先に見つけた書置き。一度家に帰らせていだたく、と、それだけだ。
「まぁいい。カリオと一緒ならば心配はないからな。それよりディオルはどうした」
「ディオル将軍でしたら、黒軍に通達にいっているみたいですよ。その後こっちに来るって言っていました。それからキド副将軍は、昼過ぎから城下へ情報収集だったかと思いますよ。今のところ、フィリオさんが捕まったという類の噂は流れていないようです」
「まぁ、そうだろうな。フィリオが囚われるなど、その目で見なければ信じ難い話だ。いらぬ混乱を招いて困るのはあちら側だろう」
「えぇ、それにたぶん、フィリオさんだからですね。ゾルバ侯爵の長男で、しかも普段から兄さんと違って人当たりもいいし、城下では結構な人気者です。若い女性には、特に」
「あぁ……なるほどな」
フィリオは、誰に似たとは言わないが優しくとても紳士で、しかも優しげで整った顔立ちと気取らない笑顔の持ち主だ。さらに長身で、外見は非の打ち所がない好青年である。さらには大貴族、魔王の副官となる程の強さと実力を持ち合わせているとあっては、女性は放っておかない。
フィリオがもう少し身分の低い家柄であったなら、遠巻きにしている世の女性たちはかなり積極的だったに違いない。
「……ストラール、私はそんなに近寄りにくいのか?」
真剣な顔をして言った兄を見て、ストラールは思わずもれそうになった笑い声をこらえる。まさか兄が人間関係を気にしていたとは知らなかった。
「さぁ……僕はそこまで思いませんけど、兄さんは少なくともフィリオさんほど親切ではありませんし……あとそうですね、兄さんは機嫌が悪いことが多いですから、怒らせたくないんでしょう」
いわれて見れば、リディアールには反論できない。王になってから、作り笑いは極端に苦手になっていた。
嘆息する兄に微笑しながら、ストラールは言った。
「僕はその方が兄さんらしくていいと思いますよ。……それで、結局カリオさんの帰りを待ってから出発するつもりですか?」
「あぁ、いや……明日の昼ごろまで待つ。いくらなんでも帰るだろう。飛龍で行ったのならとうにあちらへ着いているはずだからな。それ以上は待たない。私はそんなに気が長くない」
「では、そのように手配しておきましょう」
足早に出て行く弟の姿を見送ると、リディアールは立ち上がった。
傾く日に、もう室内は少し暗くなっている。
腰に下げた<火雲>を壁際の<月華>に並べて置き、その時離れた位置に置いてある銃が目に入る。使いやすいから、気が向いたら使ってみるといいと、フィリオが置いていったものだ。
本当に銃器のことなら何を聞いてもフィリオは答えられる。
銃器のみならず、あらゆる武器のことも、戦略においても、そして他のどんな他愛のない言葉にも、フィリオは答えてくれる。
フィリオは、本当はとても優しいのだ。
だが、手にした銃を誰かに向けるとき、あまりにも真剣なその表情は、見ようによっては冷たくもあるのかもしれなかった。
「破壊の鉄騎、か……」
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