Blue Blood 胡蝶の夢

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六話


 黒軍の構成員は現時点で百十二名。リディアールとフィリオを入れれば百十四名である。このうちほとんどが城内の宿舎もしくは城下に住んでいる。
 城の敷地内にある武道場は、闘技場のある射撃場と違って常に黒軍兵か城内の常駐軍兵がおり、鍛錬の場として使用されている。建物の大きさで言えば、闘技場の方が天井の高い分広く見えるが、床面積はほぼ同じでむしろ武道場の方が広い。鍛錬の場としての設備も格段に良かった。城の敷地のかなり外れに位置している闘技場とは逆に、武道場はかなり中心部に位置している。これもひと気の多い理由だった。
 元々この鉄の城はその名にもあるように王城というよりはむしろ城塞として築かれたもので、いたるところに軍事的要素が見受けられる。
 面白半分でイシルラは武道場に入り込み、今彼は木剣を手に誰かと打ち合いをしていた。
 辺りに人はまばらで、その様子を数人が見ている。
 と、その時、戸口にいた兵が言った。
「アスト様、何か……?」
 兵達の間でもアストの類稀なる美貌は知れ渡っていて、一瞬で視線が集中する。同時に打ち合いの音も止んだ。
「アスト? どうかしたのか?」
 見るもの全てが面白いというような、子どものようなくだけた表情で、イシルラは笑う。
「イシルラこそ、何をやっているの?」
「オレ? 暇だったからさ、魔族の武術って見てみたかったし」
「そう。話があるから、来て」
「うん、分かった。あ、邪魔して悪かったな」
 小走りに出て行くイシルラの後ろ姿を、投げ返された木剣を受け取った兵士とその周囲の兵士達が見送る。
 やがて、誰かが口を開いた。
「────強い……?」
 それは、まだ確信のない言葉だった。

「それで、話って何?」
「イシルラ、誰かを殺したことがある?」
 単刀直入に聞いた。
「ないぜ。それがどうかしたか?」
「それじゃあ、見殺しにしたことは?」
「……そうだな……見殺しって言っていいのか分かんないけど、それならないこともないかも。軍にいたこともあったし、実戦も何度かあったから」
 裏のなさそうな彼の言葉。本当に、真実なのか。
「どうしてあなたが壁を越えられたのか、不思議だったの」
「さぁなー。オレだって分かんない。魔族だって言われても、現実感なさすぎだしさ。だって思ってたより凶悪な顔してないし、拍子抜けするくらい人間と大差ない感じ」
 悪意のない者にしか通れない。そう言い伝えられてきた壁。
 イシルラは魔族を特別善良だと思っていたわけではない。
 それなのに、壁は彼を選んだ。
 イシルラには、打算も策略も疑心も欲望もないというのだろうか。悪意と呼べるものを持っていないと、そう言うのだろうか。
 そんなことがあり得るはずがない。人とは、そんなものだ。
 答えの出ない問答をするつもりはなかった。話を切り替える。
「強いのね」
「え? 何が?」
「さっきの打ち合い」
「あ、そうかな。ここの奴らってさ、人間とはちょっと違う戦い方するから面白いんだ。勉強になった。リディもそのうち倒せそうな気がしてきたよ」
「────リディアールを……どうして?」
「倒して欲しそうだったから」
 こともなげにイシルラは言う。
 倒して……欲しい? リディアールが?
「ありえないわ」
 ありえない……本当にそうだろうか。私はリディアールのことを何も知らない。知ろうとも思わないけれど。
「そっか? まぁどっちでもいいけどね。あ、そういえばフィリオって奴、あれから何かあった?」
「フィオなら、隣町のレルラで捕まってるみたい。これからどうするつもりなのかは良く知らないけど、リディアールは少なくともフィオを助ける気みたいだから……近いうちに黒軍が動くでしょうね」
「ふぅん。なぁ、レルラって町、なんでリディに仕掛けてるんだ?」
「確か……レルラの元領主のバーツェフ家は、表向き中立のようでもかなりの旧魔王寄りだったみたい。リディアールが政権を奪ってからは革命戦争にも参加せずにおとなしくしていたけれど、結局リディアールは領地を没収して爵位まで奪ったのよ。リディアールを良く思うわけがないわね」
 話が政治的だったので、イシルラは興味を感じなかったらしい。
 生返事をするイシルラの手に、武人特有の傷跡を見つける。
 やはりイシルラも、戦ったことがないわけではない。そうでなければ、どうして剣をああも容易く持ち、振れるだろうか。あれは、人殺しの道具に過ぎないのだ。そして、剣を持った者に非力な博愛主義を振りかざすことはできない。
「アストは行くのか? そのレルラって町」
 ならば、どうして壁は彼を通した。
「分からないわ。私は自分がどうしたいのか良く分からないの。イシルラは?」
 力は平和をもたらさない? 違う。時に力は平和へ導き、それを保つための抑止力となるのだ。
 私が、イシルラが、何もしなかったとして、戦いは終わらない。誰かが死んでいく。
 だとしたら、何もしないことは愚かしい。
 私が何かすることで変わったことなど、なかったけれど……。
 馬鹿みたいだ。結局私は自分の論理を正当化したいだけ。そして何もしてこなかった私を嘲りたいだけ。
 あの日・・・、何も出来なかった。
 それよりは今の方がいいはずだと、言い聞かせたいだけ。リディアールをまるで弁護するように。
「ま、リディしだいかな。来いって言うなら行くし、アストが行くなら行くぜ」
「そう」
 そうして決めたことが、取り返しのつかないものだったら? あなたは後悔しない?
 イシルラの考えに深いものも裏もないとしても、彼の言葉は私を揺らがせる。単調な日々を揺るがせる。
 それはただ、私の心を乱しているだけのような気がしていても、無視できない。
 イシルラが人間だからなのか、それとも悪意の壁を越えられたからなのか……イシルラだから、なのか。
「部屋に戻るから、あの扉開けてくれない?」
 誰かに何かを変えて欲しい。
 自分で動くのは、恐ろしいから。
 ねぇ……────私はこんなにも、醜いのに。
 壁はいつか、こんな私を選ぶだろうか。
 私はいつだって、ここから逃げてしまいたいのだ。

 議場の床に一人、短い金髪の女がいた。
 今ついたばかりのリディアール達は、下を向いている女に視線を注ぐ。
 ……この女が、使者?
「ストラール、銀白糸なわはいい。解いてやれ」
 王弟ストラールはかすかに右腕を動かした。すると女の身体から力が抜けたように見え、その顔が上がる。
 何の気負いもなく光る強い眼差し、口元のかすかな笑み。それはまるで────
「──────セナ、だと……?」
 我知らず、リディアールはそう口にしていた。それを見て女は微笑する。
「はじめまして。わたくしはマレーナ・シルシェドール。バーツェフ侯爵より書状をお預かりしております」
「ディオル、受け取れ」
 命じている間も、リディアールはずっと女の顔を見ていた。似ている……いや、似すぎている。死んだセナそのままだ。困惑するリディアールに、彼女は言った。
「双子だったことを、ご存知ありませんでしたか」
 目前の女は表情を崩さない。
 双子……そう、だったかもしれない。あの女は、確かマナという妹がいるのだと、そう言っていた。
「リディアール様、書状を」
「よい、読め。いまさら誰に聞かれたところで困らぬ」
 渡そうと差し出されたディオル将軍の手が、書状を持ちなおして封を切る。
 ややすると、将軍は言った。
「先日貴殿の腹心をお預かりした。取りに来るがよろしかろう。エルベルクス・バーツェフ」
 ディオル将軍はそれだけ読むと、手を出して催促するカリオに書状を渡す。リディアールもそれを咎めなかった。
「それだけか?」
「いえ、つまらない御託は省かせていただきました」
「あぁ、助かる」
 書状の内容を割愛するということは、普通に考えればおかしい。しかしリディアールは基本的に字が嫌いなのである。堅苦しく長ったらしい正式な書類の文面など、その極みだ。大抵の場合リディアールは近くにいる者に読ませているし、時候の挨拶を筆頭に内容の削除は珍しくなかった。
「バーツェフ家か。やはりレルラというからにはそうだろうが……嫌な相手だな」
 バーツェフ家当主、エルベルクス・バーツェフ。カリオのように性格が悪く、カリオと違ってリディアールを毛嫌いしている。侯爵位を剥奪したとはいえ、いまだ侯爵と呼んで差し支えない権力者だ。
「つまり、どうすればうちの息子あれは帰ってくるのかね。この書状ではそれが分からないが」
 カリオは敵方の使者に対しても、いつものように紳士的に問う。たたんだ書状はストラールに手渡した。
「お嬢さんが教えてくれるのかね?」
「わたくしは存じ上げませんわ」
「それで済むとでも思うか? 無事帰れると思っているのか?」
 リディアールは女、マナの首筋に<火雲>の刀身を突きつけた。不愉快極まりないといった様子のリディアールを前に、マナは怯まない。
「思うから、わたくしが来たのです。あなたにわたくしは殺せない」
「私が女を殺せぬとでも言うか」
「いいえ……言い方を変えましょう。あなたはフィオのために・・・・・・・、セナとそっくりなわたくしを殺せない。どんなにあなたがわたくしを殺したくとも、姉さまにそっくりなわたくしの死を、フィオに見せられるはずがない」
「……大した自信だな」
「わたくしの姉さまが守った存在ものを、あなたには壊せない。違っていますか?」
 強い光を宿す瞳も、本当にあの頃のセナに似ている……。
 苦笑する。言葉遣いこそ違っているものの、紛れもなくセナと同じ気質を備えて見える。
「もっと言いましょうか。あなたはフィオを苦しめるようなことはしない。そのために姉さまが守りたかったものを、易々と壊しはしない」
 リディアールは深々とため息をついた。
 そう。セナの守ったものを守ろうとしたのはフィリオ。だから、それを壊すことが出来るのはフィリオだけだ。
「分かった、もうよい……確かに私はお前を殺す気はない。それに今議論すべきは、フィリオとバーツェフ家の動向だ。問題はどうやってバーツェフに接触を図るか、フィリオに会うか、だが……」
「リディアール様」
「何だ、カリオ」
「一つ確認までに申し上げておきますが、私……というか、ゾルバ家は、今回の一件には不干渉ということでよろしいですね」
「……私軍を出すつもりはない、と言いたいのか?」
「そうですね、そういうことですかねぇ……何しろゾルバ家の領はシルシェドール領の隣で良好な関係とは言いがたい。当然バーツェフとも仲はよろしくない。むしろ、同じ侯爵家の当主として会う機会が多かっただけに、バーツェフ家の方がより対立も深い。エルベルクス・バーツェフは何かというと私を敵視していましてね。バーツェフ侯爵の影響力は、没落したからといって軽んじられるものではないと、お分かりいただけるでしょう。エルは本当に嫌な性格をしていましてね、おそらくはこの機会にゾルバ家をついでに潰してしまおうと、そう思っているのだろうと私は踏んでいる。もちろん、私は黙って潰される気はありません」
 そのためにも、余計な隙は見せたくない。カリオの言はそう取れた。
「────閣下、一つお聞きしたいのですが……ゾルバ家の没落には、その、フィリオ様を亡き者にするのが、一番の近道ではないのですか? フィリオ様はゾルバ家唯一の、直系の跡取りでいらっしゃる。それに、フィリオ様以外の後継候補の方々は、失礼ながらゾルバ家を継ぐには……」
「そうだよ、ニズレー君」
「でしたら────」
「それが、何だと言うのかね?」
「……は?」
「生憎私は、人並みの精神って物を持ち合わせていないのだよ。そんなこと、君が一番知っているだろう」
 カリオは人好きのしそうな笑顔で従者を見ている。
 ニズレーは己の向かい合う主人が誰であるのか、正しく思い出していた。
「卑しくも私は、魔族の住むこのサイル国において十分の一の領地を有し、それを統治するゾルバ家の当主。直系の跡取りを失ったくらいで家を潰すような馬鹿はやらんと思っているが、これは過大な自己評価かね?」
「……では、無礼を承知で申し上げますが……閣下は、フィリオ様の身の安全について、全く興味がおありでない、と?」
「そこまでは言っていないよ。だが、家か息子かと問われれば、常に私は家の存続を取る。そのくらいフィリオも分かっているさ。それに今のフィリオはゾルバ家の嫡子としてではなく、リディアール様の副官として動いている。ゾルバ家の感知するところではない」
「しかし……閣下のおっしゃることは分かります。ですがそれではフィリオ様が……それでは、あんまりです閣下。フィリオ様が心配ではないのですか?」
「心配ぐらいしているよ」
「し、失礼ながら、そうは見えません」
 勢いに任せて、彼は主人に真っ向から挑んだ。だが、返ってきたのは微笑み。
「ニズレー君、君に言っておこう。私はこの程度の騒ぎで命を落とすような無能に、家を継がせる気はない。そしてフィリオをそのような無能に育てた覚えもない」
 背筋が凍るほどに、その男の笑みは深く刻み込まれていた。
「────足手まといは必要ない・・・・・・・・・・んだよ」


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