Blue Blood 胡蝶の夢

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五話






 オレは強くなりたい。

 一つ年上のセナとオレの関係は、いつまで経っても微妙だった。
 仲は良かったし、オレにとって当時ほぼ唯一の友達だったことは確かなのだけれど。
 次第にオレは彼女を自分とは違う女性だと認識していった。それは彼女も少しは同じだと思う。
 十五歳になってオレが形式上成人すると、両家の関係上表立って会うことは少なくなっていき、貴族の嫡子であるオレは仕事に追われて彼女と会う時間を取る余裕もなかった。
 言い訳にしかならないけれど、オレには経験が絶対的に不足していた。
 翌年セナがオレ同様城にあがるようになって、たまに会うようになったとき、オレはまだセナを十五歳以前の状態でしか考えていなかった。
 たいしたこともなかった力の差が、そんなに大きくなっているとは思いもしなかった。
 彼女と試合をする機会なんてなかったから、いつまでもオレの中のセナは、オレに守られるまでもなく強いままでいた。
 決して銃を持たないその意図も、最後に渡された<深更>の意味さえも、分かってやれなかった。
 そして今でも分からない。
 最後のさよならの言葉の意味。

 確かにオレは強かった。
 セナの、十六歳のまま止まってしまったに等しい強さに比べれば、彼女の死んだ頃のオレはどれほど強かったことだろう。
 それでもオレには、本気で強さを極めようなんて気はさらさらなかった。オレの強さなんて、魔族の男、それも貴族の生まれとしては、その他大勢と大差なかった。
 オレはいつだってセナやリディアールや、父さんに守られていたんだと思う。そんなこと、知らなかった。
 どうしても守りたいと思った。強くなって、けれどその時にはもう守りたいひとはいない。
 強くなりたい。
 守りたい。
 守りたい……?
 何を────何を守るというのだろう……?
 オレは、何のために強くなる……?


 迷いはそのままにオレの神経を伝って、この両腕に届いた。
 空を裂く音と共にリディアールの残像がかすみ、反応した右腕はもう間に合わない。
 背筋が危険を察知しても、上がりかけた銃口をそれ以上動かすことは出来なかった。
 闘技場の中央、オレの頭上に振り下ろされる<火雲>の巨大な刃。
 やはりオレは、リディアールには勝てなかった……。
 そして、刃はオレに届く直前唐突に軌道をそれる。
 硬質な床に落下した<火雲>が、深く亀裂を生み出す。
 剣を手放したリディアールの拳が、オレの肩を叩いた。
 背中越しに、その表情は分からない。だから、その意図が分からない。
 強く、リディアールはオレの両肩をつかんだ。オレの肩にリディアールの長い金髪がかかる。
「────リディ……?」
 思わず聞いた。そして、声がかすかに、オレの背に響いた。
「なぜ、私より弱い……」
 その声があまりにも泣きそうに聞こえて、オレは耳を疑う。振り返れない。
「なぜ……私を超えられない? 私より、強くない……?!」
 痛いくらいに肩をつかむ手に力をこめて、続いた言葉はかすれていた。
「なぜ私が魔王なのだ?!」
 その一言で、オレはようやく理解する。
 あぁ、そうか……君は、強さが重いんだ。他でもない……“最強ではない”ことを、証明したかった。
 あがいて、もがいて、強さを欲するオレとは違う。強さも、最強の名もいらないのだ。
「……ねぇリディ、オレはまだ、これから強くなる。リディよりもっともっと強くなる。いつか、オレがリディを魔王から引きずり下ろしてやるから」
 <紅雪>を握る手に、力が戻る。
「オレがお前を、超えてやる」
 ねぇ、オレ達は似ていると思わないか? この国で最強の名を持っていて、最高の地位を持っていて、他の誰が見ても十分過ぎる強さを持っているのに、こんなにも不完全。
 本当に、思い通りにならないことばかりだ。
 いらないものはいくらでも手に入るのに、大切なものだけ手に入れられない。喪っていく。
 リディアール、君がオレに与えてくれたものに報いるために、誓おう。
 ただ、今を生きる理由を見出すためだけに。
「約束するから。だから、ちょっと待っててくれ」
 強くなる理由を、君がくれた。だから守るものがなくても、オレはきっと強くなれる。他の誰でもなく、君との約束のために──。
「────あぁ、約束だ」
 力を抜いたようにオレの肩から手を離して、少し先に落ちていた<火雲>を拾ったリディアールは微笑している。
「フィリオ」
「何?」
 時刻は、丁度式典開始四十分前を指していた。
「約束を守るまで……私より先に死ぬことは許さない」
 入口方向から走ってくるディオル将軍の方へ、二人で肩を並べて歩きながら、オレはまじめな顔をしているリディアールに返す。
「そんなこと、分かってるよ、リディ」
 生きよう。ただ、強さの証明のために。
 守れるように、なるために。
 そう──矛盾しているけれど、オレは自分より強い君を、いつだって守っていたいのだから。


 サイル国暦百八十九年七月十日。この日、サイル国第八代国王が即位する。
 位と生まれを冠した正式な彼の名を、リディアール・サイリ・ダリ・サイル。先王の第三子であり、自ら玉座を奪ったその強さは正に魔王と呼ぶにふさわしいものだ。
 先王の時代まで続いた狂王たる面は見受けられないまでも、中にはこの王をどの王より恐れる者がいる。
 “戦いの王”と称される王。
 その名の通り、戦う王は誰よりも美しく、脅威そのものだった。


 いつの間にかオレはリディアールのことなら大抵のことは分かるようになり、唯一無二の相棒を家族よりも大切だと思うことさえある。
 オレは強くなった。でも、まだ足りない。
 こんなオレでも、今ならば分かるだろうか……。
 セナにとって、オレがどんな存在だったのかも。オレはどうすればよかったのかも。何も、かもを……。




 フィリオが消息を絶ってから三日目の朝、二騎の騎獣に乗った人物が城門を叩いた。
 その片方、黒髪で壮年の男性は、あくびをしつつ城門が開くのを待つ。
「おやめ下さい、閣下。不謹慎です」
「いいじゃないか……全く、君は真面目だねぇ」
 男性は、従者らしき気の弱そうな男を見て面白そうに笑う。
「笑っている場合でもありません」
「まぁ、そうあせることもないよ、ニズレー君」
 男は気楽に鉄の城を見上げた。その高貴な印象を醸す表情に、あせりは微塵も見当たらない。
「急いては事を仕損じる……と言うだろう? 何事も余裕ってものが大切なのだよ。そうは思わないかね?」
 音を立てて開く重厚な門を、彼は騎獣を降りてすたすたと通り抜ける。やや慌ててそんな主人についていく男は、あまりの落ち着きようにただ呆れるしかない。
「さて、リディアール様はどうしていることやら……ねぇ、ニズレー君?」
 主人の軽口はいつものことなのか、従者からの返答はない。
「やはり私としては、少しくらいは落ち込んでいて欲しい、と思うべきかな?」
「────……閣下」
 たしなめるように言ったが、どうにも声に力が足りない。案の定主人には通じなかった。
「何だね?」
「……私は先に行って到着の旨を報告して参ります」
「あぁ、そうだね。よろしく頼むよ」
 長い道の向こう側へ消える従者の姿をのんびりと追いながら、彼は辺りを見回した。
 手入れに金のかからない木々や花の植えられた庭は、数年前までの華々しい花壇よりはむしろ美しい。リディアールの趣味は悪くないと、いつも彼は思っている。
 だが、そんな木々の緑など意味を成さぬほどに、城内は何ともいえない緊迫感に満たされている。二年前、文字通り陸の孤島という城塞となった鉄の城でも、こんな空気にはなっていなかった。
「おや?」
 彼はそんな城の中で、少し違った気配を感じて目をやった。良く日の当たる東塔のすぐ外、柱の影になっているところに人影がある。少し移動してその姿を見れば、見事な青銀髪と燃えるような瞳の、絵の中のように美しい女性が座っていた。
「綺麗な御嬢さん」
 空を見上げていた女性、アストは、声の主が自分を見て言っていることに気がつく。
「もしや、アスト・ヴィクタールというのは貴女かな?」
「……えぇ……?」
 いぶかしげに首を傾げるアストに、彼は構わず続けた。
「いや、ぶしつけに失礼。やはりそうだったかね。いや、話には聞いていたよ」
 一人でにこにこと頷き、かと思えばアストにぐっと近づき、至近距離で提案といった風に人差し指を立てて見せた。
「本当に綺麗だ。うちに嫁に来てはくれないかな?」
「……あの……?」
 突如現れた男にもはや困惑するしかないアストだったが、ようやくここで助けが入った。
「閣下、御戯れが過ぎます」
 あわてて主人をアストから引き離した従者の後ろには、リディアールが立っている。フィリオがいなくなってからのこの二日とはまた別の意味で、疲れた表情だ。
「そうは言うがね、そろそろ嫁でも来ないと後々困るだろう? 何しろ我が家の大事な跡取りは、そういうことには無頓着すぎるきらいがあるからね」
「でしたら、まずはご本人をご心配なさって下さい」
「心外だなぁニズレー君。これでも私は、心から心配しているんだよ」
 下手な役者よりそれらしく、彼は大げさに肩をすくめる。そんな主人からは嘆息して視線をそらし、従者の男はアストに深々と礼をした。
「ニズラッシュ・ダラスと申します。ニズレーとでもお呼び下さい」
 三十代だろう。濃い茶髪に中肉中背の彼は、いかにも文人らしい風貌だ。リディアールがその男の隣に進み出て言った。
「アスト、どうせ紹介はまだだろう?」
 リディアールの視線は、先ほどからアストを困惑させている男性に注がれている。
「相変わらずリディアール様は辛辣ですねぇ」
 言葉に反して笑顔でアストの手を握った男性は、その優しげな碧い双眸や気楽に構えたところが、彼に似ている。
「ゾルバ侯爵家当主、カリオ・ゾルバ────フィリオの父親だ」


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翆の呟き


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