銃器蒐集家の父親を持ったから、幼い頃から銃には事欠かなかった。だから必然的に銃を己の武器に選んだのかもしれない。そしてフィリオは、父をうならせるほどの使い手になりつつあった。
どんな銃を持たせても、ある程度は使いこなせるしすぐにこつをつかむ。そんな息子にある日のこと、父は誰か外部の人と試合をしてみたくはないかと言い出した。フィリオはこの時十二歳だった。
一度言い始めたらよほどのことがなければ覆らない父の提案を、フィリオはおとなしく聞き入れた。そしてとある伯爵家を訪れることになる。
正直に言うと、フィリオの生家であるゾルバ侯爵家とこの伯爵家は親しくない。サイル国第七代国王グレベール・ダリの勢力が拡大し、どんな命令でも通ってしまう世情にあって、ゾルバ家の領地を筆頭に数ヶ所の諸侯の治める地だけは自治を保っているが、他の領地は完全に魔王の言いなりだ。おかげで土地は荒れ、民は飢えに苦しむという状況だが、それが王の命ならしかたがないと言ってしまえる領主──つまり不甲斐ない貴族は、大半を占める。
フィリオとて、父のような狡猾なまでの性格と非凡な才、そして魔王を欺くだけの頭脳がなければ、言いなりにならずにかつ自治を保って家と領地を存続させることが困難なことは、分かっている。
つまり現在のゾルバ家は魔王に反抗的とも言える状態なので、正面から敵対してはいないにしろ二つの家は微妙な関係だった。そんな中で父がフィリオをこの伯爵家に行かせようと決めた理由はただ一つ、この家には同じ年頃の子どもがいるからだ。加えて言うなら領地の近いこの伯爵家と、出来るだけ穏便な関係を続けようとする、ちょっとした手だったのかもしれない。
家人の連れをつけるという申し出を丁重に断り、フィリオは騎獣で一人、伯爵家の屋敷に到着した。
応接間に通されるまでの道、その家の敷地を歩いていて、フィリオは自邸とのあまりの差に思わず口を開きそうだった。
父が没落していると言ったのも何となく頷ける。この屋敷には、ゾルバ邸のような活気もどこか能天気な雰囲気もなければ、厳粛さも無論ない。ただ痛いような緊張感があるだけだ。
これではどんな人物が出てくるか分からないな……。
そう思い始めた頃だった。
ノックもなしに開いた応接間の扉からやや駆け足で入ってきたのは、短くやわらかそうな金髪の少年。といっても、フィリオと同じ十二・三歳だろう。フィリオの正面に迫る。
彼と対峙したフィリオの手には、相手の頭部を狙う<紅雪>があった。そして自身の胸にも、避けようもないほどぴたりと当てられる銃がある。
殺気がないから引き金は引かなかった。成る程、父が選んだはずの実力だ。明らかにフィリオと同等の実力、そして何より父の好きそうな類の度胸がある。
「なんだぁ、本当にかわいいのねぇ」
開口一番言うと、銃を下げる。にこりと笑っている顔を見て気づく────少年ではなく、少女だ。
「失礼なことしてごめんなさい、伯父がゾルバ家の人間なんか絶対信用するなってうるさいの。それなら姪の私に最初からこんなことさせるなって思わない? 断っちゃえば良かったのに。ねぇ」
貴族の令嬢にしてはえらくあけすけな物言いに面食らいながらも、フィリオは銃をおさめた。
「あ、今の話伯父には内緒ね。本人を目の前にして信用してないとか言ったなんて、ばれたら怒られちゃう。それで、えっと……確かフィオ君?」
「いや、フィリオ。オレはフィリオ・ゾルバだけど」
「あぁ、そうだった? はじめまして、私はセレーナ・シルシェドール。セナでいいわ」
家名を聞けば、この少女が父の言う相手なのだというのはもう疑いようがない。
「シルシェドール領へようこそ。じつは本家には私もさっき着いたところなの。……ところで、着いたばかりで悪いけど、私の家に移動しない?」
「どの辺り?」
「そんなに遠くないわ。そうしましょ、フィオ」
満面の笑みで彼女は言った。
その顔を見たフィリオはもう、反対する気も名前を訂正する気も起こらない。名前に関してはもう確実に彼女の故意だろうし。
「いいよ、行こう、セナ」
面白い。それが最初の感想だった。
セナはシルシェドール家でも変わった性格の持ち主だったらしい。その由来するところは明らかに母親のようだった。
そもそも分家の次男だったセナの父親は、早くに病で他界する。その後は母、兄のクレージェ、双子の妹のマレーナと彼女の四人で、本家から程近いシルシェドール領内の家に彼女たちは独立して生活していた。
フィリオはよく彼女の家を訪れたが、伯爵家分家というにはあまりに質素な生活だった。それをごく当たり前のこととしてセナとその家族は受け止めていたようだ。
そして彼女は強かった。フィリオがこれまでに出会った同年代のどんな使い手よりも。
────それでも……セナはオレに勝てなかった。
*
夢と覚醒の狭間……何の夢を見ていたのか、もう思い出せない。
慣れない部屋の雰囲気がして、オレはぼんやりする頭を持ち上げようとした。
直後に右の肩を走った鋭い痛みに、思わず苦鳴が漏れる。
「あら」
すぐ近くから声がした。驚いて肩の痛みも構わずそちらを見ると、そこには短い金髪の女性……違う。セナのはずがない。
「目が覚めた?」
「────おばさん……?」
「久しぶりね、フィオ君。こんなところで会うなんて、思いもしていなかったのだけれど……」
家柄というよりは正に育ちが良かったのだろうと思わせる優しげな笑顔でそこにいたのは、セナの母親だった。
「大丈夫? そんな訳ないでしょうね……応急処置しかしていないみたいだから……」
痛む肩を押さえて半身を起こし、右肩に巻かれた包帯に滲む血を見る。
見た目とだるさから推測するに、血をかなり流してしまったようだ。身体だけでなく頭までだるいのはこのせいだろう。
確かオレは、撃たれて河に落ちはずだ。あの三発の弾丸は貫通しているようだから、それはひとまず良かったが……肩はともかく、左膝上に弾が当たったせいで、立てそうもない。立てたとして、走れはしないだろう。
「あー、オレの服と武器は没収かなぁ……」
「そうねぇ。でも、服は確か洗濯していたみたい。返してくれるのかもしれないわね」
「だと良いけど……結構気に入っていたんですよ」
そう言ったとき、思わずはっとした。肩にかかった黒髪が、オレに一つの事実を告げている。
「おばさん……オレの髪を束ねていた青い紐を、見てませんか?」
「紐? さぁ……どうだったかしら。この部屋に来たときには、もう髪は結んでいなかったわ。それがどうかしたの?」
「いえ……」
「大切な物だった……?」
「えぇ……」
あれは、セナにもらったものだったから……。
「ところでおばさん────マナちゃんは髪を切ったんですか?」
オレは一番気になっていたことの真相を知るべく聞いた。
「……そうよ。セナが死んですぐ。本当にああしていると、セナに良く似ているの。私でさえ、セナが戻ってきてくれたのかと思うくらい」
「じゃあ、あの時見たのはやっぱりマナちゃんか……」
河に落ちる直前、オレの目を留めた対岸の人影。元気なセナと違っておしとやかな双子の妹マレーナ……マナちゃんが、あんな風になっているなんて……思いもしなかった。
「ご免なさいね……クレージェの作戦なの。フィオ君は、セナを見たらきっと動揺するって……」
「成る程、クレージェさんが。だめですね、オレ。しっかり罠にはまったなんて、間抜けすぎてリディに怒られるな、きっと」
苦笑したオレに、相変わらずの笑顔で見ていたセナの母親は、ためらいがちに口を開いた。
「フィオ君、ずっと言い出せなかったんだけれど……私は、どうしてセナが死んでしまったのか知っているの」
「え……それは……」
「全部よ。“本当の”理由を知っているわ。フィオ君がずっと私達のために嘘をついてくれているのも、だから知っているの。私はセナの母親だもの……あの頃のセナを見ていれば、分かったのよ」
……オレには、分からなかった。彼女が死に近づいているなんて。……分かるはずもなかったのだが。
「すみません、オレは……」
「あなたのせいじゃないわ。あの子が選んだことなのだから……。謝るのは私の方なのよ。今こんなことになってしまっているのも、私があの子達に本当のことを話さなかったからだもの」
「いいんです。オレが決めたことですし……半分は、本当のことですから」
セナが鉄の城で死んで、彼女の遺体を棺に入れてシルシェドール邸に運んだ時、オレはセナととても仲の良かった兄妹にこういった。“オレがセナを殺した”と。
手をかけたのはオレではない。けれど、オレはセナを守れなかった。どう言い訳しても、オレが二人から頼むといわれたのに彼女を守れなかったことに変わりない。オレは恨まれて当然なのだ。
彼女の心に気づけなかったオレは、彼女を殺したも同然。
「フィオ君、ありがとう」
うつむくオレに、おばさんはそう言った。一体何に対してのお礼だったのか、オレにははっきり分からなかった。
「それより……どうしておばさんはここに?」
「それはシルシェドールがバーツェフと手を組んだからよ。このレルラを中心とするバーツェフ領は、シルシェドール領のすぐ隣だったから……。もっとも、もう両家ともリディアール様に爵位も領有権も剥奪されているけれど、まだ実質的な支配権は握っているでしょ? いくらリディアール様が言ったって、領民の気持ちは簡単には移らないものよ」
「えぇ、分かります」
何しろ相手は元侯爵と元伯爵。人々は反乱で王位を奪ったリディアールより、身近な貴族を信じるだろう。別にこの二家は現在無謀な治め方をしているわけではないし、バーツェフ家に至ってはさすがに侯爵位を持っていただけあって、統治者としてはそれなりの人格者といえた。
「私も一応シルシェドール家の一員だし、子どもたちが参加してしまったし……それに、セナが最後に守ろうと思ってくれたものに、少しは執着しているのね。それでね、バーツェフの御当主はフィオ君のことを丁重に扱うって言っていて、あなたが傷つける心配のない私をこうしてそばに置いているって事」
成る程……分家の末端でしかも未亡人。加えて知人であるご夫人をオレが人質にするのは、効果もなければオレの気も進まないというわけだ。
それに、彼女がここに現れたことはオレにとって幸運かもしれない。バーツェフ侯爵が気づいているか知らないが、おばさんは見た目どおりの品が良くておっとりした女性ではない。彼女は見た目からは想像できないほどの強固な理性を持った人だし、だからおそらくオレが望めばなんだって喋ってくれるだろう。
だが、立場上オレはおばさんの言葉を疑う。疑いたくないと思いながら、信用しながらも。
魔王の副官という地位が、オレの疑心を呼び起こしてしまう。
その疑心でもって、これまでも数え切れないほどの策謀を跳ね除けてきたのだ。
オレが本当に心から信じられるのは、リディアールしかいない……。
その時、ふっと支えていた腕の力が抜けた。ふらつく頭を慌てて押さえて、思わずため息をつく。
どうやら、そう長く持ちそうにないな……。
下手に動いて傷口が開き、また血を流せば、体力をますます消耗することになる。
「本当に大丈夫? 休むと良いわ」
「えぇ、すみません」
自分の声に力はなく、オレは再びため息でもつきそうなくらいだ。
「あらあら、フィオ君らしくもない。あの生意気だったあなたはどこにいったの? いいから、ゆっくりして……というのも、変かしらね」
「いえ。そうします」
オレは横になり、目を閉じる。
そういえばセナやおばさんは、オレが初めて聞き分けのいい態度を貫けなかった人だった。あまりにも突拍子がなくて、よく反論したり慌てたりしたものだ。おばさんにも、本当の母さん以上に可愛げのないことを言ったりしたかもしれない。
それはまだオレが、子どもだった頃。リディアールと出会うよりも以前の話。
何もかもを、信じてみようと思えた、そんな────。
「おばさん、すみません」
「いいからもう寝なさい」
そっとその手がオレの頭をなでた。
懐かしいぬくもりは、しばらくの間消えはしなかった。
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