一月にわたる、鉄の城をめぐる、ひいてはこのサイル国の玉座をめぐる戦いは、圧倒的な数の差にも関わらず、新たな魔王軍率いる革命軍の勝利に終わった。
戦いの傷跡と、それ以前から加速していた荒廃の最中、サイル国第八代国王、魔王リディアールの即位式は、速やかに断行されることにとり決まる。目的は民に魔王の権威を示すというよりは、むしろよからぬことをたくらむ諸侯への牽制という意味合いが強い。何しろ衰えた国内には無駄な戦争をするほどの物資も人員もまるでない。民の信用を得るためにまず何よりも優先すべきは、復興だった。リディアールは好きで戦争をする気など毛頭なく、民を困窮させて喜ぶような狂王でもなかった。
この頃であっても、城内は貧しさのかけらもなく豪華絢爛を極めていた。後にその調度の多くをリディアールは売り払ったり蔵に押し込んだりするのだが、即位式の行われるその日はまだ城のあちこちが無駄な調度に華やいでいた。
そして、決して潤沢とは言えない国庫から多大な支出をして、式は準備されていく。リディアールの眉をひそめさせるほどのもので、実際にリディアールは簡易的に執り行えないものか求めたのだが、それは通らなかった。リディアールに従う臣下達は、王の言い分がもっともで国の財政を考えれば浪費は極力避けるべきなのは当然だ、と理解している。しかし、最終的にフィリオにリディアールを説得させてまで出費をいとわなかったのには、彼らなりの言い分がある。
黒軍をはじめとするリディアールの臣下は、リディアールを尊敬し、畏れ、崇拝するが故に、その権威と力量を他の貴族に安く見られる事態だけは絶対に避けたかったのだ。そんなことは認められなかった。
即位式の前に行うべきことの中で一番重要なのが、王都サイラスの整備だった。革命で戦争の中心地となった町並みは見るも無惨なもので、倒壊した家屋の下に首のない死体やちぎれた腕が転がっているといった始末だ。城内はほとんど被害がないとは言え、半壊した大議場の周辺にたちこめる血と死臭を洗い流さねばならない。
結局のところ、即位式は革命が終結してからさらに一月ほど経った頃に、ようやくその日を迎えたのだった。
西塔の最上部の一室に、控えめなノックの音が響いた。中からは落ち着いた、どこか幼さの残る声が返る。
「どうかしましたか、ディオル将軍」
室内に足を踏み入れたディオル将軍の前には、大きな執務机に埋もれるようにして座っている王弟がいた。
「お忙しいところ失礼いたします、ストラール様。リディアール様とフィリオ殿をお見かけになられませんでしたか?」
「兄さんたちですか? おかしいですね……ついさっきまでは部屋にいたと思うんですが……すみません、僕はこれ以上は分かりません」
「いえ、お気になさらず。そろそろ式典用の服に着替えていただきたかったのですが、まぁお二人のことです、遅刻なさるようなことはないでしょう」
「あれ? もうそんな時間なんですか?」
ストラールは懐中時計を取り出すと、書類の束をまとめて立ち上がった。リディアールよりはるかにまじめで誠実そうで仕事も速い、おだやかな印象の彼だが、彼の時間への無頓着さは侮れない。時間に関しては、言ってしまえばだらしないのだ。要因はいくつか考えられるが、仕事にしろ何にしろ、熱中すると時間など全く気にならないほどの集中力を持っていることは、中でも大きな割合を占めているように思われた。
その点リディアールは時間に遅れることはまずない。少なくともディオル将軍は今まで一度も、彼に待たされた記憶がなかった。
「それではストラール様、先に行きますがくれぐれも時間にご注意を」
「分かってますよ。今日くらい遅れないできちんと行きます」
微笑してディオル将軍は部屋を後にする。ディオルがこの城に常駐兵として住み始めたのは、もう十年以上前のこと。当時からディオル・ダーレという男はそれなりに実力があった。しかし、旧魔王をあまりよく思っていなかったこともあって、出世欲はなかった。
なぜ彼がリディアールに剣を教えることになったのか。答えは至極単純だ。
王はあまり可愛くない三男を、あまり気に入っていないけれどそこそこの実力者に押し付けたのだ。先の王は無能者を切り捨てることに関しては無慈悲だったが、利用できる者は全て利用しようという持論の持ち主だったため、リディアールが使い物になればそれはそれでいいと思ったのだろう。
若いディオルは幼いリディアールに剣をほんの少し教えただけで、その才能を感じていた。そして、すぐに恐ろしくなった。
幼い子どもの秘めたる力の強大なことを、肌で感じた。
そしてそれは、兵卒相手に練習試合をした時、確信に変わる。
リディアール様は、本気ではない──そう、気がついてしまった。
剣にまだ慣れない子どものような弱さを、この子どもは演じている……と。
時間が経つにつれ、リディアールはますます力の加減を身につけていった。間近で見ていたディオルでさえ数年も気づかなかった、リディアールの演じる絶妙な弱さと強さ。
この頃にはディオルも、なぜ王がこの三番目の王子を可愛がらないのかが分かっていた。
他でもないリディアール自身が、そう仕向けていたのだ。
好かれることが、とんでもなく嫌であるが故に……。
全てが計算しつくされた生活だと気がついたのは、長い時間リディアールを見ていたからに他ならなかった。そしてそんなリディアールの内を知ってなお……いや、知ったからこそ、ディオルはリディアールに畏怖を抱いた。
『ディオル、私が恐ろしいか?』
そう問われたのは、もう彼が全ての力を手にした頃だった。
『昔から、私はそれが気がかりだった』
成人を迎えた十五歳の折、宝物庫からリディアールが欲した長剣<月華>を手に、穏やかで、その奥に獰猛さを湛えて、リディアールは立つ。
その王子に、ディオルは答えた。
────私は確かにあなた様が怖い……しかし誰よりもお慕いしております。
もうずっと以前から決めていた。この方のためなら、命も惜しくない。
『ならば、今ここで私に忠誠を誓え。私は王を殺すつもりだ』
誰かに聞かれればただではすまない事を、さも当然のことのようにリディアールは言う。ディオルはすんなりとその言葉を受け入れることができた。彼に敵う者が、果たして現れるだろうか? ディオルには到底そんな存在は考えられない。
それからたった三年。リディアールは言葉通り、鉄の城を落とした。
そして今日、魔王という最強の称号を手にする。
即位式も間もなくという時、城の敷地では最も外れた位置にある射撃場の中央、闘技場に、新たな魔王リディアールとその副官フィリオは立っていた。
張り詰めた空気と剣を持つリディアールの瞳を見れば、何も言われずともフィリオには分かったし、もちろんそれをためらうこともない。手に握った<紅雪>の銃身が、薄明かりの中で光る。
理由など要らない。相棒がそう望むから、戦うのだ。
リディアールには確かめたいことがあった。
────それは、どちらからだったのか……。
動く二つの影と空を裂く音がした。
硝煙の香が辺りを満たしていった。
*
頭が働かなくて、そのくせに昔のことを思い出す。
懐かしい。あの時オレは確かに約束を交わした。
忘れてなどいない……────。
ふと強い力がフィリオを担ぎ起こした。そしてようやく、自分が河の中にたゆたっていたことを知る。岸に近いところまで流されたのは、果たして偶然なのか、それとも計算のうちなのか……。
……オレは、何をしていたんだっけ……?
「──────……リ、ディ……──────?」
重い身体は休息を欲し、フィリオは再び眠りに落ちてゆく。
そう、約束。どうしてオレは、約束をしたんだったかな……。
その彼を支えていた男は、その様子に無関心を装うように足早にフィリオを運んでいった。
担ぎなおしたフィリオの髪を束ねていた青い紐に目を留めて、わずかに目を見開いた。
*
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