Blue Blood 胡蝶の夢

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四話


 王都サイラスを中心に、サイル国には鉄道が走っている。
 主要都市間を結ぶ路線がはじめて整備されたのは、実はもう百年は前の話だ。しかし、元々移動や旅行といった習慣を特に好まない魔族の庶民の生活に鉄道は溶け込まず、鉄道よりはるかに速い飛龍や騎獣を好む上級魔族、いわゆる貴族階級も鉄道をあえて使いはしなかった。利用したのは遠距離で仕入れをする商人や、飛龍や騎獣が高価すぎるために手の出ない中級、下級魔族という庶民のごく一部だけ。安くはない交通手段を進んで発展させたがる者もなく、今日に至る。
 そもそも鉄道を開発した当初の目的は軍事的なものだった。何代か前の魔王が、遠征を行う時に一度に大量の人員と物資を運ぶために考案した。だがこの頃から、サイル国における最強の称号を持つ魔王の地位は確たるものとなっていきつつあった。魔王の指揮下、もしくは支配下に入る貴族は次第に増え、鉄道の必要性は失われていく。なぜなら、遠征すべきような場所の近隣には必ずいくつかの臣があり、何も無理に大軍を率いる必要がなくなったからだ。
 何より、この鉄道には大きな問題がある。線路の破壊を許せば、また何か細工をされれば、いかなる大軍をもってしても壊滅を免れないこと。そして敵地に線路を敷くことなど簡単にはできないこと。経済的にもこれは難しい。
 結局鉄道は半ば放置され、細々と運行されている。維持費も馬鹿にならないが、今のところ維持費と利益が同額程度ということで、特に廃止する理由もないからだ。
 そんな鉄道の線路伝いに、黒軍は騎獣に乗って河縁にたどり着き、交戦中だった。
 元バーツェフ侯爵領レルラの町は、この大河の向こう側にある。河は最近降った大雨で増水しており、流れも速い。とても泳いでは渡れそうもなく、向こう側との唯一の陸路は鉄橋だけだ。防壁のないこの場所を攻めに来る者はおらず、河を挟んで弾丸と弓矢が飛び交っている。
 と、上空にすっと大きな影が通った。最速を誇る飛龍から、二つの人影が降り立つ。
 同時に<扇揺>の引き金を引くフィリオの傍らで、リディアールは河の向こう側の兵力をざっと目算する。
「ディオル、これまでの戦況は」
「目立った動きはありません。ただ気になるのは、あまり積極的に撃ってこないことでしょうか……消耗を気にしているとも取れますが」
 確かにそれは妙だ。通常戦いを起こす側は、必要以上に好戦的にすらなる。それに、黒軍相手に長期戦を挑んでも破滅するだけ、短期決戦に持ち込むのがまだしも利口なやりかただ。何か別の目的があるのか……。
「仕方がない……私は出る。あまり長引くと、不利なのはこちらかもしれんからな」
「といいますと?」
「人数が少ないことは知れている。交代要員があまりいないのは事実だろう?」
 それがあちらの策だとは思えないが、ぐずぐずしているほど暇ではない。
 <月華>を手に、長い鉄橋に足をかけたその時、リディアールに無数の牙が集中した。
 銃声を銃声で掻き消してゆくかの如き轟音。よくぞこれだけの武器を集めたものだ。だが……
「まるで素人、だね」
「そのようだ」
 すぐ後ろで向かい来る弾丸を弾丸で落とすフィリオはそう言う。弾数の割には狙いがほとんど定まっていない。銃というものは、狙って撃たなければそう簡単に当たるものではない。いくら銃があっても、使うのが素人なら効果は薄い。
 丁度河の中央あたりに来た頃に、隠れていた敵の姿が明らかになる。盾を半ば取り払ってしまった最前列が構えるのは、命中精度の低い量産銃、八ミリ口径<細馬サイバ>である。量産型とはいえ、大量に用意するのはやはり難しい。扱いやすさは確かに素人向きだ。
 リディアールはためらいなく鉄橋の上を駆け抜けた。
 フィリオはその後姿の奥にいる敵を見渡し、息をつく。援護射撃の手を止めはしない。
 この程度の人数なら、たいしたことはないだろうか。
 そう思った、次の瞬間だった。
 フィリオの目は、一点を見つめて静止した。
 そう、ほんの一瞬……。
 それは抗い難い引力のように、フィリオの視線を釘付けにする。
 唇が、かすれた声をこぼす。
「────セナ……?」
 そんなはずはない……彼女は……死んだ。
 銃弾が頬をかすめ、我に返ったフィリオは自分に迫り来る二つの弾丸を見た。そして彼の腕をもってすれば防げるはずの弾丸は、フィリオが左肩に担ぐ<扇揺>と右手に構えていた<紅雪>から飛び出した弾丸の、どちらにも捉えられることはない。
 視界に捉えたリディアールに向かって突き進む複数の弾丸が、フィリオの<扇揺>と<紅雪>で落とされる。
 そして落とされなかった弾丸が、吸い込まれるようにフィリオの右肩と左足へ到達した。
 大きくバランスを崩したフィリオに、再び襲い来る弾丸。銃弾をまともに受けたせいで、いくら鍛えられた身体といえども思うように動かない。
 衝撃で暗くなりかける視界を、フィリオは河の向こうに凝らす。捉えたのは、やはり見覚えのある顔だった。
 なぜ。
 思う間もなく、弾丸が迫る。
 不確かな視力で避け続けるのは、不可能……。
 もう一度右肩を貫いた弾丸に大きく後退したフィリオの身体は、ゆっくり大河へと落下していく。差し伸べようと走ったリディアールの手は届かなかった。
 弾丸をはじきながらフィリオのいた方へ走る。
 しかし、水柱を上げてフィリオを飲み込んだ河の中に、その姿を捉えることは出来ない。
「────……フィリオ……!!」
 相棒の姿を求めて、リディアールの声が辺りに響いた。
 そうしている間に敵はすばやく後退していくが、今のリディアールにはどうでもいいことだった。
 剣を鉄橋の上に放り投げ、その激流に飛び込もうかという時──。
「なりません、リディアール様!」
 ディオル将軍の剣が王の前方をふさぐ。
 不敬行為だと分かっていたが、こうでもしなければとても止まってもらえそうになかったのだ。
「どけ、ディオル」
「できません。リディアール様、貴方は王なのです」
「そんなことは……分かっている……!」
 押し殺したような声は痛切で、ディオル将軍は驚く。
「……分かっている……だが、私はフィリオを、捜したいのだ……」
 リディアールには見えていた。フィリオはリディアールに当たる弾を落とすために、自分を後回しにしたのだ。
 リディアールを助けるために、フィリオは落ちた。
「頼む……何かせずには、帰れない……」
「────分かりました。ただし、一時間で必ずお戻りになってください。約束してくださいますね?」
「あぁ」
 リディアールは剣を取り、河の縁を下流へと走った。

 よく晴れた午後の庭に、アストとライナは座っていた。この時期は時に花も咲いていなかったが、木々の葉が風にそよぐ音が心地良い。
 そこへ、二人の方へ近づく規則的な足音があった。黒軍の正規服に身を包んだその男は、アスト達の数メートル手前で立ち止まると、そのまま直立する。
 アストは首から振り向いて男を見上げた。長身だが、他はごく普通と形容するにふさわしい。
「あなたがキスラ、シェレド……さん? かしら」
「黒軍副将軍キスラシェレド・キエフェルノと申します。キドとお呼び下さい」
 淡々と自己紹介を済ませ、彼は無表情のまま突っ立っている。
「はじめまして、キド。私はアスト。ところで黒軍はどこまで行っているのか知ってる?」
「バーツェフ侯爵領レルラの手前にある、河の辺りだと思われます」
 必要事項だけを述べる彼に、アストは微笑を返す。
 この愛想が全くない男は、それなのに慕われるため黒軍副将軍になった。もちろん実力も伴っている。
 とその時、城門の開く低い音が庭まで響いてきた。
「お帰りのようですね。お迎えに上がられますか? アスト様」
「いいわ、やめておく」
 すでに城門へときびすを返していたキド副将軍の後姿が消える。ライナが茶器を手に城の建物内へ入っていくと、アストは一人取り残されてしまった。
 静かになった庭で、アストは裾の長い上着に隠れていた<深更>を取り出し、苦笑する。これは人殺しの道具……そして、言い方を変えるとすれば、犠牲を払って誰かを、何かを守るための道具。
 何のために、私はこれを持つのだろう……。
「アスト様、大変です!」
 めずらしく慌てた様子のライナは、息を切らせて走ってくる。
 アストの元までたどり着くと、ライナはその言葉の意味を確かめるようにはっきりと言った。
「フィリオ様が交戦中に負傷……行方不明になられたそうです」
 なぜかアストはその事実にあまり驚かなかった。ただ、そうか、と思う。
「リディアールは?」
「フィリオ様を捜しに行かれて、まだ戻っていらっしゃらないとか……アスト様、どちらへ?」
 歩き出したアストは<深更>を握り締めていた。そして、何も告げずにその場から遠ざかっていった。

 リディアールの帰りを出迎えたディオル将軍の隣には、イシルラが気楽に座っていた。城門から西塔へ向かうリディアール達を無言で追いかける。
「やはり、見つかりませんでしたか……」
 ディオル将軍は途中で自分の仕事に戻るといい、辞した。
 塔の入口を入ったところでリディアールは<月華>を無造作に投げ置き、それでも平静を保つようにかたく目を閉じる。
「何をそんなに動揺してるんだ?」
 イシルラは、微笑さえ浮かべて言い放った。瞬時にリディアールの怒気が膨れ上がる。
「戦争をしてるんだぜ? こんなことぐらい普通だろ? あるに決まってる」
「黙れ、イシルラ」
「自分は数え切れないくらい殺してきたくせに、一人も失いたくないなんてわがままだと思うぜ」
 一人も失いたくない……?
 イシルラの言にリディアールは己の真意を知る。
 違う。私は、“フィリオを”失いたくないのだ……。
 戦場で強くいられるのは、ただ一人の信じられる相棒がいるから。そうでなくては、孤独ひとりで戦うことなど出来はしなかった。
 あの日の“約束”が、私の支えなのだ……。
「──────フィリオは生きている。あの程度で死ぬはずがない」
「ふーん、何で言い切れるわけ?」
「私は、フィリオに死ねと命じた覚えはない」
 死した者の怨念や、残された者の恨みでいつかこの身を滅ぼすというのなら、それも良いと思ったことがある。だが、それは単なる逃げなのだ。私は殺戮の道を選んだ。力で全てを思い通りにしたいだけ。それが叶わぬなら命を絶とうなど、誰が許すだろう。どうして……フィリオが許すだろう……。
 失っただけの価値も見出せないうちに、あの男は私を解放しない。そんなに優しい男ではない。
 その代わりに、私に必要な物を惜しげもなく差し出すのだ。
 誰が気づかなくとも、フィリオだけには分かってしまう。
 逃げ道が欲しいから、逃げ道をなくしてくれる存在が必要だった。そしてその存在こそ、唯一の救いだった。
 常に傍で、逃げ道でいること……それが代価だったのだ。
 約束を果たすまで、フィリオは死にはしない。
 それが、約束だから。
「リディはさ、守るの下手そうだね」
「何?」
「壊すのは得意そうだけど、何かを全力で守ったことなんてないでしょ」
『壊してばかりじゃ、何もなくなっちゃうわよ?』
 ふと髪の短いあの女の言葉を思い出した。もう、何年か前に死んでしまった女。
 よく笑う女だった。裏のない感情で話す女だった。
 没落しつつある伯爵家に縁のある、貴族としては日陰の生まれだったが、王子であるリディアールともたまに話をしたことがあった。なぜなら彼女はフィリオの古い友人だったからだ。
 口が達者で生意気なことばかり言われた記憶があるが、リディアールはそんな彼女を嫌いではなかった。
 その彼女を殺したのは、リディアールの一番上の兄。
 そしてその現場を、リディアールは見ていた。
 なぜ助けなかったのだろうか。
 いや、答えなら分かっている。
 ほんの一瞬、合った彼女の瞳が、なぜか、来るなと……そう言った気がした。
 彼女は、死にたがっていたのだ。
 分かってはいた。あの場で助けても、いつか彼女は何らかの形で殺されただろう。それほどに彼女は、死を選んでしまっていた。もし助けていてもそれは一時的なものだっただろうし、私は立場を失い、フィリオさえ失ったかもしれない。
 それでも、もしあの時助けていれば、フィリオを戦わせずに済んだのに。そんな気がしている。
「……セレーナ・シルシェドール……」
 弱すぎる私を知っていた、強い女。
 そして、フィリオのただ一人の想い人。
 なぜイシルラ、お前の言葉が彼女と重なるのか、私には分からない……。

 気がつくと、イシルラの姿はもうなかった。


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