フィリオの放った<傲霜>の音の余韻が、壁越しにも痛いくらいだった。
大議場西側入口で突入を待っていたストラールは、粉塵の巻き上がるその中へ銀白糸を放つ。それはまるで独立した意思を持つ生き物であるかのように、広い議場の障害物をくぐり抜け、追うようにストラールもまた白煙の中を疾駆する。ほぼ視界ゼロの場所で、ストラールは動くことすらままならない、兄であり王の六男の延髄を貫き、正確に五男の眉間に銀白糸を通す。
何も見えないはずの場所で“視る”ことのできる、ストラールの世にも稀な力<
階段状に連なる議場の机の、ひときわ豪華に整えられた席。そこは、王の隣席だ。
兄達と同じ高さまで階段を上りつめ、十メートルは離れた位置で立ち止まると、二人の兄を正面から見据えた。
ストラールが差し向けて兄二人に巻きつけた糸は、同じく銀白糸を得手とする四男によってすでに断ち切られている。
「ストラール、何のつもりだ?」
次兄は睨みを効かせた。しかし、ストラールはひるむはずもない。なにせ、弱く無能な王の末子という彼らのストラールに対する評価は、ストラールの演技によって作り出されてきたものだったのだから。
「兄君、残念ですが死んでいただきます」
聴力はもはや元に戻ったらしい二人の兄が、馬鹿にしたように笑う。
「腑抜けに何が出来るのだ? 言っておくが、私も銀白糸の扱いならば右に出る者など────」
笑顔はふと、固まる。ありえない────断ち切ったはずのストラールの糸が、全身に絡まって指先すら動かない。
「兄君、銀白糸はこんな使い方も出来るのですよ」
刹那、幾重もの銀白の筋が四男を包み、跡形もなくその姿を“消した”。彼が確かに立っていた所には大きな血だまりが残るのみで、人の姿はない。ただどす黒くぬらりと輝く銀白糸を手にした、ストラールの炎の如き蒼眼が、次兄に狙いを定める。絡みつく糸は、ほんの一瞬を動く余裕すらも、与えない。
「さよなら、兄君」
先刻は気がつきもしなかった血の雨が、一瞬降り注いだ。
緋色に染まったストラールの指先が、生けるもの全てを屠っていく。
まるでそれは、スローモーションのようにくっきりと瞳に映った。
リディアールは最強と畏れられた男のあまりに緩慢な動きを目の当たりにして、失笑すら漏らす。
こんな王が最強だなどと……笑わせる。
あまりにあっけなく、戦いの幕は下りる。
リディアールの<月華>が王の首へと、真空波を差し向けた。リディアールが腰の<月華>を抜いたことに、果たして王は気がつけただろうか……。噴き出す鮮血が、リディアールに降りかかる。
落下しかける王の──否、死者の首の、己と同じ金の髪をつかんで、リディアールは殺戮の議場を振り返った。フィリオの銃声がふと消える。それはあり得ないほどの静寂──────。
目の合った相棒の瞳が、戦場には場違いなくらい優しげに光った。
リディアールは、首を掲げる。
「────私が、王だ────」
畏れを抱くには十分すぎる血に濡れた彼の凄絶な姿は、忠誠を誓った反乱の使徒達──後の黒軍の目に、強く焼きついた。
*
仕事を終えたライナは、アストの部屋を出て自室へ向かっていた。
今夜はよく晴れて、月が明るい。ひんやりとした風を感じてふとそちらへ目を向けると、開け放たれた窓の向こうのバルコニーに誰かの影が動いた。
気になって、ライナはそっと近寄る。そこで夜空を見上げていたのは、フィリオだった。
「どうかなさいましたか、フィリオ様」
「あぁ、ライナ……」
笑うフィリオは、いつも通りの紳士的な動作でライナを招いた。
けれど今日は心ここにあらずといった顔をして、表面上はいつもと変わらないがどうも雰囲気が違う。
「フィリオ様、何か、ございましたか?」
「え?」
「アスト様がフィリオ様から銃を習っていらっしゃるそうですが、それと関係があるのですか?」
ライナは他人の変化にひどく敏感で、感受性も強いほうなのだろう。きめ細やかな気遣いを買われて、王の侍女に召し上げられたのだ。
「参ったな……いや、関係はないわけじゃないんだけどね……これはオレの問題だから、アストのせいじゃないよ」
苦笑して、着ていた上着をライナにかける。
「ありがとうございます」
ライナの素直で気の利く所を、リディアールは買っている。だからこそ、いらないとつき返すはずだった男爵家から送られてきた侍女を、アスト付きにしたのだ。
「────オレは、覚悟がまだ足りてなかったのかもしれないな……」
独り言のようにフィリオが言った。ライナは微笑のまま隣に立っているだけで、何も言わない。答えを求められているわけではないと、分かっているからだった。
そしてフィリオは思考に沈む。
進めていると思っていた。幾筋もの道から最良の一本を選んで、先へと進んでいると思っていた。
しかしそれが今は、錯覚だったような気がしている。
オレは、一歩も進めていなかったのだろうか……。
戦火がオレという存在を作り出してくれる。
血の海を進んでも、結局は元の場所に戻っているオレに気がついたのはいつだったろう。
彼女を失ったその時から、オレの心は止まったままだ。
忘れようと、割り切ろうと思ったあの反乱の日に、結局は思いを断ち切れていなかったといることなのだろう。
彼女の、セナの形見の<深更>をアストが使えば、傍から手放してしまえば、セナは消えるかもしれないと思った。それはもちろん幻想で、オレの中の彼女はいまだに鮮やかだ。
オレは戦っていよう。強いというそれだけの、今のオレの価値。
白煙で彼女の姿を掻き消し、轟音で声を忘れてしまえるなら、戦うことは唯一の救いだ。
平穏な日々では、オレはきっと壊れてしまう。
守れなかった女(ひと)と、奪った命。
今更、どちらも取り戻すことはできないのだから……。
つまらない結論に行き着いたフィリオは、ずっと沈黙したままでいてくれたライナにそっと感謝した。
「ライナ……アストとリディアールは仲良くやってる? 最近あんまりこっちに顔出せないから、よく分かんなくてさ」
「えぇ……」
歯切れの悪いライナの返事に、フィリオは耳を傾ける。
「……フィリオ様、分をわきまえない発言をお許し下さい。前々から一つ気になっていたことがあるのです。……アスト様は、リディアール様がお嫌いなのですか?」
「どうして?」
「何か……とても……アスト様はリディアール様を突き放しておられるような気がしたものですから……」
「そう……じゃあ、やっぱりアストは覚えているんだろうね……」
フィリオはそこで言葉を切る。疑問符を浮かべるライナに、フィリオは多くを語ろうとしない。だから出すぎたことなのだろうとライナは追求しなかった。
「リディアールのことを、アストが嫌っているかどうか、正直オレにも分からないんだ……」
だって、嫌っているのならリディアールに従う理由がない。アストは矜持が高いから、リディアールに力で敵うわけがなくても、身分が天と地ほども違うと分かっていても、決して引かないはずだ。刃向かって見せるはずだ。
「アストは分かりやすい性格じゃないから、オレも良く分からない」
分からないけれど、それでもフィリオは、アストがリディアールを嫌っているのかもしれないと、ときどき思う。
嫌い、恨み、憎しみを抱くだけの理由が、アストにはある。
心配げなライナを、フィリオは室内へ導いた。廊下の小さな明かりの中、上着を受け取ったフィリオは自身でも確信の持てない言葉を発する。
「アストは……リディアールを近づけたくないのかもしれない……」
「どういう意味ですか……?」
「アストはリディアールを、信用してなんかいない……ってこと、かな」
アストは真意を、わずかも見せてはくれない。だから、分からない。何を言っても勝手な憶測でしかない。
「…………ごめんね、今の、忘れてくれていい」
フィリオは身を翻した。そして、もう一度だけ振り向く。
「オレには、女心は分からないらしいから……」
軽い口調の割に、その表情が寂しげに見えたのは、薄暗い夜の闇のせいだったのかもしれない。
フィリオ・ゾルバ。魔王の副官にして、温厚な男だ。
しかし、何十という拳銃を打ち出すこの男を、人々は畏怖を込めてこうも呼ぶ。
“破壊の鉄騎”────鉄の如き、魔王の刃だ、と。
人形のように、機械のように。
降るような弾丸の中でも、止まることはない。
オレは幸せだと思える。
戦うことで生きていると実感できる、そんな世界であり続ける限り。
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