Blue Blood 胡蝶の夢

BACK NEXT TOP


二四話


「そのために、か……」
 血に濡れた剣の柄を己のまとう外套でぬぐう。闇色の瞳がリイルを捉えた。
「そうすると、ここで私が殺さなければ、目的は達せられないと言うことになるな、ターシヴルの当主よ」
 青ざめた顔で、しかしはっきりと、リイルは言う。
「えぇ。けれどあなたは、私を殺すでしょう」
 疑問ではなく、そこにあったのは事実を淡々と述べるような声音。
 どんな思惑があるか知らない。けれど確かに、リディアールにとって、それはどうでもいいことだ。
 剣を構えた。
 すると、鮮やかに燃えるリイルの瞳が、さらに強い光を宿したように見えた。
『黄昏の、最も長い帯の裏――――』
 声は聞こえているのに、まるで溶けるように一瞬後にはもう忘れている。
 謳うような、その響き。
『忘れぬ空の、いとしき光を、我らは抱き、与えし鎖』
 この言葉が終わった時、長いターシヴルの歴史がようやく意味を成す。
『所有者よ、今はその手に取るなかれ。いずれ現れ、鍵と共に、理の渦へと導くだろう』
 偶然か、必然か。
 言葉が途切れた刹那、リディアールの剣がリイルを貫いた。
 苦痛さえも彼女は超越した表情で、悠然と笑う。
「預言者、と、言われた、我がターシヴルの、見たものを、あな…に、伝えましょう」
 刺さったままの剣に支えられて、彼女は続ける。
「世界の、均衡が、崩れる、その時、動かすのは、あなた。だから、今、は…その時、では、ない、のです。お帰り、なさい。あなたの、あるべき…場所……。全て、終わ…た、ここで、成すべ、き、こと」
 要領を得ない言葉から、リディアールが読み取ったこと。
 ここに長居は無用だ、ということなのだろう。
「心配か? 我らがこの村を荒らすことが? そうだな、ここを焼き払うことも考えていた……だが……あぁ、忠告に従おう、ターシヴルの当主。その望み、確かに聞いた」
 すると、リイルはそっと笑った。
 力なくリディアールに寄りかかる様は、まるで信頼しているようだった。
 刀身が、その身体から抜けていく。
 それと同時に、リイルの身体はゆっくりとくずおれた。
「……スト……め……ね……」
 それきり事切れた女に一瞥をくれると、リディアールはその身をひるがえす。
 半開きの扉へいくつかの死体を迂回する。
 緊張感と独特の空気の消えたそこは、もはや単なる箱に過ぎない。生活するものの気配は消えた。
 村からも、既に争う物音はしなくなっている。
 扉を通り抜ける。
 不意に、何もない場所へ視線が向いた。
 その虚空と、目が合う――――合った、という、感覚を持つ。
 奇妙な感覚に捉えられながらも、足を止めることなくリディアールは廊下を進んだ。
 階下から、軍靴の音と知った魔力の波動が近づく。姿を見せたナクタス男爵は、背筋を伸ばして敬礼した。
「リディアール殿下。こちらは?」
 直立する男の脇を抜けながら、ようやく<霜天>を鞘におさめる。
「済んだ。下も終わったな?」
「既に」
 階下へ足を向けようとしたリディアールは、かすかな足音を聞いた気がして、今しがた自分が出てきた部屋を振り返る。
「どうかされましたか」
「……いや。城に戻る」
 何かを感じたものの、先刻リイルに立ち去ると明言したことを思い起こす。なぜか叶えようと思わせる、強い言葉だった。
 リディアールは村に散っていた兵を集めると、迅速に撤退の指示を出した。
 そのまま島をすぐに後にする。ゾルバ家の海図と情報によれば、夕刻この海域は荒れるのだそうだ。
 司令官としてのリディアールの初陣は、あっけないほど簡単に、勝ちとも呼べない圧勝で、こうして幕を閉じる。
 海上の船から遠ざかる島を見つめて、不思議な空気を感じ取る。
 来たときと同じように静けさを保つそこは、なぜかとてもあたたかいものに包まれているような気がした。


 とても静かだった。
 幼い少女は、目の前の事実を理解できないままに、部屋の奥へ進む。その肢体はあたたかいものに包まれていて、それが余計に少女の現実認識を妨げているのかもしれなかった。
 床に広がる血溜まりに、母が横たわっている。
 血の上に膝をつき、寄り添うように少女は、まだ温かい母に身を寄せた。
「……つれていって……」
 夢を見るように、少女は呟く。
 閉じかけた大きな茶色の瞳が、母にも増して鮮やかに燃える夕焼けの色へと転じた。



 ゾルバ侯爵家の若き当主、カリオ・ゾルバは、王の三男リディアール・ダリが、ターシヴル元公爵一族の討伐を終えて帰ってきているという報を聞き、城へ出向いていた。
 王からの招請がなければそう簡単には通ることができないはずの城の門も、ゾルバ侯爵という四代貴族の長の前ではただの門に近いらしかった。
 誰も切れ者と名高いカリオに、睨まれたくはない。怜悧な双眸は、普段が穏やかなだけに凄みがあるのだ。
 王もそれをとがめないのだから、侯爵についてはあまり目に余るものでなければ多少の特別な措置を取ってよい、というのが、暗黙の了解だった。
 かくして悠々と廊下を進むカリオは、目当ての人物がいると思われる場所へ急いだ。
 思った通り、彼はそこに座っていた。
「リディアール様」
 こちらを見るリディアールに向かって、カリオは友好的な臣下の表情で話しかける。
「この度は、すばらしい戦果を挙げられたとのこと。おめでとうございます」
 懐に手を入れ、リディアールは折りたたまれた紙を取り出す。それは、ゾルバ家の海図だった。
「これを」
「お役に立てましたか?」
「あぁ」
「それはようございました。時に――――リディアール様、“鍵”を、お持ちですか?」
「――――鍵? 何の、鍵だ?」
 いぶかしく眉をひそめる少年を見て、カリオはごく自然に笑う。
「いえ、忘れてください。私の勘違いです」
 去ろうとするカリオ。リディアールはとっさに呼び止める。
「何か?」
「なぜ……なぜ、あんな場所の海図を持っていた?」
 苦し紛れに口にした疑問は、考えてみれば気になるものだ。ゾルバ領とはほとんど関わりのない場所で、王家にさえまともな海図はなかったのだ。
「ゾルバ家の知らぬ土地など、そうはないと思いますよ。何しろ歴史の長さは国でも随一ですので」
 あっさり返してくるカリオに、リディアールは珍しく食い下がる。
「そんな理由で、わざわざ入手したというのか?」
 カリオはすっと目を細める。
 そして、面白いものを見るように笑い、口端を上げる。
「第三王子であらせられる貴方様は、知らぬ方がいいこともあると、私はそう思いますがね」
 明らかにそれは、リディアールの質問自体を拒否するという意思の表れだった。
「ごきげんよう、殿下」
 押し黙るリディアールにあえて地位を突きつけると、もう追ってこられるはずもなかった。

 リディアール様は“鍵”を手に入れていない。
 否、あるいは既に手にしているのに、それに気がついていないということだろうか。
 いずれにしろ、時代は動き始めた。数百年の昔に滅びるはずの運命を逃れたターシヴルの名が、今掘り起こされた。
 ターシヴルの血筋は、ほぼ途絶えたはずだ。
 そして、最後の一人が必ずどこかに生き残っている。
 出来るならば、我がゾルバ家が見つけ出したいところだが……。
「見つかるわけがないね」
「は……?」
 迎えに来た従者ベートは、この独り言に問いを返してくる。
「庭にそもそもいないのに、庭ばかり探すのは愚か者のすることだろう?」
「では、庭を出られては?」
「いい考えだが、生憎出られない」
「それは残念です」
 あくまで淡々と対応して、ベートは帰ると言った自分のために、騎獣をつれに行く。
「本当に、残念だ」
 それを見送りながら、それは美しいと言うターシヴル一族を思う。
 彼らがその一族の全てを、歴史も命さえも賭けて、守ったものだ。追われ、身を隠して時を待ったのも、全てがこのため。
 見つかってはならない。
 見つかるはずがない。

 そのために、あの一族は滅びたのだから。
 そのために、あのとき一族は滅びなかったのだから――――。


BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2011 Sui all rights reserved. inserted by FC2 system