Blue Blood 胡蝶の夢

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二一話



 リディアールは鉄の城に戻ると、迎えに来たディオル将軍と共に、謁見の間へ向かった。
 そこは、西塔と東塔の間にある本堂の一画にあって、主に文官の執務室や省の本部のおかれる建物のさらに奥に位置している。
 王の権威を示すこの場所は、極めて珍しい青石と呼ばれる濃い青の石が床に敷き詰められている。
 玉座も、リディアール自身の部屋にある調度とは比にならないほど高価な代物だ。朝議の席と比べても、一目瞭然だった。
 つまり、謁見の間とは、革命以前の状態からほとんど変わらない、サイル国の建国以来保たれている、“鉄の城”でも異質な場所なのだった。
 謁見の間に隣接する控えの間で、用意された正装にリディアールは着替え、長い金の髪をゆったりと結う。
 普段のリディアールなら、こんな面倒は絶対にやらない。
 鉄の城でリディアールに仕える者達でも、貴族の集まる会議や数少ない年中行事以外にリディアールが正装をするところなど、見たことがあるかどうか、というくらいだ。
 それも、体面がどうだとか形式がどうだとか言う貴族にくだらない口を挟ませないために、フィリオがさせているのが常だ。
 だと言うのに……一言も文句を言わずにリディアールが正装した。
 王として振舞う、ということの表れだった。
 それ程の礼を、尽くしたのだ。

 ――――その、罪人に。


 しんと静まり返ったその部屋で座に着いたリディアールを確かめ、控えていた司法省長官、王弟ストラールが立ち上がった。
 王の使うものとは違う扉を通って、一人の女が現れる。
「セナの、母親だな」
 リディアールはいきなりそう言った。
「はい」
 深く頭を垂れ、女は返す。
「名は、いい。聞く必要もない」
 冷たく言い切って、リディアールは続けた。
「お前は、娘の……セレーナ・シルシェドールの死んだ、本当の訳を知っているな?」
 張り詰めた表情をした彼女に、リディアールは重ねる。
「知れても構わない者しかいない。話せ」
「では、畏れながら申し上げます」
 本当の理由……それを、本当に知っているのは、リディアールとフィリオと……そしておそらく、セナの母親であった彼女だけ。
 この場にいるほかの誰も、全てを知らない。
 セナの遺体を処分させぬよう奔走したディオル将軍も。
 当時は一介の兵士に過ぎず、フィリオの兄弟子という立場でセナの死を知ったキド副将軍も。
 兄、リディアールと関わることすら皆無だった、王弟ストラールも。
 そして、部屋の隅で平伏している兄妹も。
 たった今、この瞬間まで、フィリオの言葉に踊らされているのだ……この、兄妹は。
 ――――オレが、セナを殺しました。
 その言葉に。
 信じたくないからこそ、この兄妹はセナが死んで五年、真実を求めたのだから。
「あの子との約束も、もう……シルシェドール亡き今、意味を成さないものでしょう……この度のクレージェとマナの行いは、全てを隠してきたこの私に責任がございます」
 床に手を着いたまま、顔だけをわずかに上げ、彼女は言う。
「クレージェ、マナ、良く聞きなさい。フィリオ・ゾルバ様は、セナを殺してはいません。……おそらくは、グレベール前魔王陛下か、ご子息か、その臣の手にかかったのでしょう」
「そうだ。セナを手にかけたのは、私の兄だった」
 リディアールが肯定すると、彼女はリディアールを見上げた。
「愚かな私の子ども達が命を捨てぬよう、フィリオ様はご自分が殺したのだ、と息子達に嘘をついたのでしょう。フィリオ様が相手となれば、少なからず多少のためらいや疑問を持ち、向こう見ずな行動は起こさない……きっと、フィリオ様はそうお考えになり、憎まれ役を買ってくださった。クレージェやマナでは、永遠に復讐など叶わない」
「ですが、憎む相手すらオレ達は知ることが出来なかった……憎み切れず、ずっとフィオ君の……フィリオ様の嘘に、騙され続けていたのです――――!」
「口を慎みなさい、クレージェ。騙されていたのではなく、守られていたのです。フィリオ様は例え何があっても、私達家族が害されることのないよう、そのために動いてくださっていた」
 それはもう、無意識だったのかもしれない。
「だからこそ、セナの姿をしたマナに驚き、バーツェフに囚われることになったのです」
 生きていないはずのセナ。
 そこにいるはずのないマナ。
 どちらであっても、はっとするだけには大きすぎたのだ……その存在の意味が。
 どうしようもなくて、自らの身を守ろうとする意志だけを後回しにして、銃弾を浴びて河に転落して、なおも……決して、クレージェやマナを責めはしなかった。
「私達は……シルシェドール一族は、フィリオ様と……セナによって、守られていた」
 その言葉に、彼女とリディアールを除く全員が、疑問符を浮かべる。
「……射撃場での誤射で、セナは死んだことになっています」
「“なっている”とは、つまり、真実は違うということですか?」
 ストラールの問いに、彼女は頷いた。
「セナは、正確には殺されたのではございません」
 それこそが、隠されてきた真実。
「セナは、“殺されに”行ったのです」
 聞き違えようのないくらいはっきりと、それは告げられた。


「お呼びでしょうか、閣下」
「あぁ、入りたまえ、ニズレー君」
 カリオの声に、失礼致しますとニズレーが返し、その執務室に入ってくる。
 片眼鏡をしたまま、カリオは手元のペンを止めた。
「どのようなご用件でしょうか」
「奥方は元気かね?」
「……え?」
 意表を衝かれたニズレーに向かって、カリオはわずかに笑って見せた。
「最近、帰っていないだろう?」
「はぁ、まぁ、そうですね。このところ、閣下はご多忙でしたので」
「だからしばらく君に暇を出そうと思ってね」
「……しばらく、と言いますと?」
「決めていないから、未定ということになるが……少なくとも二週間くらいは考えているよ。帰って奥方とお嬢さんと、水入らずで過ごしたまえ」
 カリオがニズレーに長期休暇を言い渡すのは、何も今回が初めてではない。
 元々ニズレーはカリオの従者として外出先に供をすることが多く、領主としてのゾルバ侯爵の内務にはあまり関わりがない。
 というのも、ニズレーがゾルバ家に雇われた時、既にゾルバ家には当主代理まで務め上げたことのある、十八代目シェリオ・ゾルバの従者にしてカリオの従者でもある男、クリュエラジェルベート・キエフェルノが内務をそつなくこなしていたために、出る幕がなかったのだ。また、カリオもそれを求めなかった。
 大体カリオがいまだにニズレーを従者にしている理由が、ニズレー自身全く分からないのだ。
「それから、休暇が明けたらしばらくニズレー君にはユイスの護衛を命じる」
「それは……どうしてですか?」
 カリオの従者から外されても、ニズレーはあまり慌てないし驚かない自信があった。
 雇われているだけの働きをしているとは、日頃から思っていないからだ。
 だが、外されてユイスの護衛――――つまり、ユイス付きにすると言われても、さらに分からない。元よりユイスには優秀な護衛官や侍女がついており、ニズレーを加える必要がないのだ。
「私はしばらくベートに付き合ってもらう。君が必要な仕事がない。ただ連れまわすのも、どうかと思ったのでね」
 ただ連れまわしているのは、別に今に始まったことではない。
 という言葉を飲み込んで、ニズレーは曖昧に頷く。
「かと言って、君を解雇する気もない」
 必要ないのに、馘にする気もないという。なぜかは分からないのだが、どうやらニズレーはカリオに気に入られているらしかった。
「まぁ、私の留守中にユイスの話し相手になって、ついでに私の銃の整備でもしていてくれればそれでいい」
「分かりました。では、私はこれで――――」
「あぁ最後に一つ」
「はい」
「アスト君のことは、口にしないほうがいい」
「――――そ、れは……」
 その時のカリオの笑みは、一種の毒を含んで優しかった。
 背筋がゾクリと震える。
「御意に、閣下」
 言いながら、ニズレーは痛感する。
 ――――どうしても、私は閣下に逆らえない。
 まるで、そう、呪いのように……。
 貴方に、囚われてしまったかのように……――――。


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