Blue Blood 胡蝶の夢

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二話



 廊下を規則的な足音で進む彼は、いつになく上機嫌だった。
 そんな魔王、リディアールを、城の臣下達は不思議そうに振り返ったが、その視線を彼は気にもしない。
 リディアールを幼いころから知る数少ない臣、ディオル・ダーレ黒軍将軍ですら、困惑するほどだというのに。
「フィリオ殿」
 ついにディオル将軍は、リディアールの半歩後ろを歩いていた副官を引き止めた。
「ディオル将軍、何か?」
「いや……」
 ためらう間にも、リディアールはフィリオに構わず階段の上へ消えていく。
「────リディアール様は、今日はどうなさったのですかな……?」
 思い当たる節が全くないらしい。
 苦笑しつつ、フィリオは思う。
 やはり、誰の目にも不自然に映るのか……。
「ディオル将軍なら、いいかな……」
「は?」
「いえ、こちらの話です。オレについて来てください」
 魔王の住む城、通称“鉄の城”の中でも、王が私的に起居する西塔の上部は、限られた者しか出入りができない。今のところその限られた者とは、魔王と副官、そして司法長官の王弟と、使用人がわずかというくらいだ。
 魔王直属の軍たる黒軍の将軍や副将軍も、必要とあらば出入りが可能だ。それは王の信頼の証明とも言えたが、実際のところある程度の実力がなければ、そう簡単に出入りできるつくりにはなっていないのだ。そのつくりというのは、階段をのぼりきった所にある、フィリオが片手で開けて見せた重々しい扉のことである。
「遠慮は要りません。どうぞ」
「はぁ……」
 壮年の将軍をつれて、フィリオはその扉を抜ける。手をはなすと、軽く五百キログラムはある扉は、自然と閉まった。
 フィリオの細い身体のどこにそんな力が眠っているのだろうと、将軍は常々思っている。
 扉の向こう側は魔王の住まいから連想するイメージからすれば随分明るく清潔で、無駄な調度品はないのに気の効いた趣味になっている。
 先に彼は自分の執務室で用事を済ませ、そこから廊下を何度か曲がる。日の光が一番良く入る南側の部屋の前まで来ると、フィリオは軽く将軍を振り返った。
「そこは、以前は空き部屋であったと存じておりますが」
 以前はとわざわざ言ったのは、ここに来たからには何かあるに違いないからだ。
 この部屋は、城で一番いい部屋だといっても過言ではない。しかしリディアールは、その部屋の最高級の調度品を全て売り払って空き部屋にしてしまい、以来放っておかれたのだ。無駄に豪勢なただの応接室は、いまやただの空き部屋のはずだった。
 しかし、フィリオは構わずノックする。
「じゃあ、入りますよ」
 返事を待たずに入った。
 そして、ドアが開いた瞬間ディオル将軍は、狼狽する主君の声を聞くことになる。
「ちょっと待ってくれ、アスト」
 静止の声を完全に無視して、盤に手が伸びる。
「あきらめ悪いぜ、リディ」
「お前は少し黙っておれ!」
 中から聞こえてくるのは複数の男女の声。そして明らかに、リディアールの声が混じっている。
 部屋に足を踏み入れて、将軍はまず驚いた。いつも間にそろえたのか知らないが、一通りの調度がそろっている。部屋の中央付近のテーブルでゲームの盤を囲んでいるのは三人。
 その中で将軍の目を引いたのは主君たるリディアールではなく、彼にとっては不覚にも、女性だった。
 女性の器量は顔で量れるものではない、と思っているにも関わらず、将軍は実に何十年かぶりに女性の美しさに惹かれた。
 見事な青銀髪と透けるような白い肌、落ち着いた宝玉のような紅い瞳。
 彼女はかすかに微笑み、細い指が盤上を滑る。
「う……」
 コトリと駒が置かれると、リディアールはうめいた。
「昨日から二連敗じゃねぇ?」
「うるさい」
 見知らぬ男の不敬な発言に、不機嫌そうに返している。
 ようやく我に返って礼をとると、リディアールは将軍に気がついた。
「ディオル、来ていたか」
「オレが連れてきた。せめて将軍には、はやいうちに紹介しておこうと思ってね」
「ああ、そうだな。ディオル、こっちへ来て座るが良い。アスト、この男はディオル・ダーレ。黒軍将軍で私の幼いころの師だ」
 厳密には師という表現には語弊がある。リディアールは剣を教わっているふりをしていただけで、もともと教わることなどなかったのだから。
 ちなみに黒軍とは現在魔王の私軍を指し、構成するのは革命前にリディアールにくみした精鋭たちである。
「こちらはアスト・ヴィクタール。それは、イシルラだ」
 イシルラだけ適当に紹介して、リディアールはすぐにアストに視線を戻した。
「はじめまして、アストです」
「どうも!」
「お初にお目にかかります」
 改めて正面から見ると、本当に文句なしの美人だ。
 見ほれそうになっていると、フィリオが書類の束を持ってリディアールに問いかけた。
「今日もアストに負けたの?」
「う、うるさい……」
「でもさぁ、戦いの素人に戦略で負けてるんじゃどうしようもないよなー」
 イシルラの最もな指摘に耳をふさぐ。
「……私は、指揮官にはなっても作戦参謀ではない……作戦は、フィリオとディオルが何とかするものだ」
 心底困っている様子のリディアールを見て、将軍は本当に幼かったころのリディアールを思い出していた。
「私でよろしければ、リディアール様の役に立てるよう努めましょう」
 自然笑顔になる。こんな雰囲気は、本当に久方ぶりだった。
 何しろ緊張感を緩めたリディアールを目にすることすら稀だったのだ。
 なるほどこれが、リディアール様の上機嫌の原因だったのかと、将軍は納得した。
「あぁそうだ、イシルラ、銃を撃ったことある?」
 フィリオはリディアールをからかうように笑うイシルラにそう切り出した。イシルラは首を振る。
「じゃあ、ちょっと一緒に来てくれないかな。リディ、オレちょっと行ってくる……っと」
「あ、すみません」
 部屋の外へ出ようとするフィリオと入れ替わりに、ストラールがお茶を手に入ってきた。
「あ、ディオル将軍いらしていたんですか」
「ストラール、一杯いいか?」
「はい、ちょっと待ってくださいね、兄さん。せっかくですから将軍もどうぞ」
「恐縮です。ありがとうございます」
 将軍は部屋の一番下座に座る。手際よく準備をするストラールを横目に、先程から気になっていたことをようやく口にする。
「リディアール様……ところでお二方は一体なぜここに?」
 アストは全く説明する気がないらしい。初対面の、しかも将軍職に就くような人に事情を話すには、あまりアストはリディアール側の事情に通じていないのだ。
 その様子を見て、リディアールはため息をついた。
「話せば長いのだが、良いか?」

 フィリオはイシルラを連れて城の一画にある射撃場に来ていた。無機質な灰色の壁面に一箇所だけ開いた入り口は、昼間だというのに薄暗く、監獄のような印象だ。
 しかしそんな外見とは違い、通路を抜けていくつ目かの部屋に入ってみると、明るくそっけない長方形の部屋だった。部屋の奥には的が四つある。
「ちょっと撃ってみない?」
「はぁ? オレが? だめだって、オレそんなもの触ったこともねぇし、持ってもねぇぜ?」
「それは大丈夫。これを使って」
 言いながら差し出したフィリオの手には、いつの間にか小銃が握られていた。
 イシルラは何気なく受け取った。大きさの割の重量感が、ひんやりと冷たい銃身から伝わる。
「少し準備してくるから、待ってて」
 言ったきり、フィリオは部屋を出てしまった。
 “壁”の向こう側、つまり人間の国々にも銃はあった。しかし銃というものは手入れに時間がかかり、弾は消耗品、おまけに高価で扱いが難しいため、あまり好んで使われていない。何しろ銃の材料となる資源が絶対的に少なく、大量に確保するのが困難なのだ。それは魔族も同じことである。とはいえ、どちらの国においても軍人の一部は銃を扱う。
 イシルラは、剣を持ったことはあっても、銃を持ったことはない。日常に武器など必要ないものなのだから。
 その彼が初めて手にした銃は、十一ミリ口径の自動回転式装飾銃で、フィリオは<紅雪コウセツ>と呼ぶ。
 イシルラはグリップ部分の見事な装飾には特に注意を向けず、飾り気のない黒光りする銃身の、いくつかの部品を興味深げに眺める。
「お待たせ」
 そこへ戻ってきたフィリオは、少しだけ部屋の明かりを落として言った。
「はじめようか」


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