君が、オレの名を呼ぶ。
オレの望みどおりに、戸惑いをもって、立ち尽くす。
爆音が轟く。リディアールに向けられた<細馬>の無数の銃弾が、黒く尾を引いて突き進んでいく。
揺らぐリディアールの魔力はわずかに弱まり、弾丸がリディアールの腕を幾度もかする。
腕を、足を、脇腹を、顔を、傷つけられてなお、そのほんのわずかの間リディアールは動くことを忘れた。
その黒瞳が捉えるのは、ただ一人。
口を開こうとした。
リディアールは言葉を捜せない。
音をのせずに、唇が乾いた声を紡ごうとする。
フィリオ──────と。
セナ、あなたを守れなかった代わりに、あなたの守りたかった人を守ろうと思った。
あなたの家族と、その一族。
あなたにそっくりなマナちゃんは、セナとは違うと分かっていても、セナを重ねてしまっていた。
セナの代わりでもいいから、守りたかった。
だけどセナ、分かったんだ。
オレは“セナを”守りたかったんだということ。
そして、冷たいかもしれないけれど、マナちゃんやクレージェさんは、オレがリディを裏切ってまで助けるほどの理由にはなりえないということ。
何もかも、守ろうとした。
だけど本当に大事なのは、セナ、あなたの遺志じゃない。
オレがリディアールのところに戻ったら、シルシェドールの立場は危うくなる。
それでも、戻りたい。
大事なのはこの心。
リディは、オレを信じてくれているから。
思うより先に、身体が動いた。
クレージェは近くにいた兵から盾を奪い取り、全速力で走る。
リディアールと向かい合っているフィリオの背を目指して。
何度も盾に銃弾がぶつかったけれど、苦ではなかったし、恐怖さえなかった。自分がたどり着くまであの人に当たるな、と、祈る思いでフィリオの元へ走る。
その背に己の背を向かい合わせて盾をかかげ、無防備な足下には剣を突き立てる。
そうだ。まだ何も聞いていない。だから、生きていてもらわなければいけない。
分かってる。これはただのいいわけだ。フィオ君、君を死なせたくないから、オレは君を守ろう。
オレは……君を、本当の弟のように思っていたんだから……。
「裏切り者か」
あまりの銃弾の激しさから、小岩の影にアストを引き込んだイシルラの背後に、いつの間にかカリオが立っていた。そして、銃声にまぎれてそうもらす。
フィリオの演じる、裏切りの副官。リディアール様に銃口を向けるその気迫。おそろしく上手いその役者ぶりは、おそらくフィリオの本意ではない。
エルにしては洒落た脚本だ。そしてリディアール様は見事に、エルの思惑通りに硬直している。
……或いは、ユイスの助言でもあったのだろうが。
カリオはアストの青銀の髪に触れた。その髪をまとめてある紐に手を伸ばし、するりとほどく。
紐の中からするりと落ちてきたものを、アストに差し出した。
「受け取りたまえ。<深更>の弾だ。そしてこれは、フィリオの<紅雪>の弾だね」
言いながら、自分の手に乗っている十一ミリの弾を見る。軽くなった紐を使って、アストの髪を器用に一つに結う。
「イシルラ、だったね。アスト君を連れて、リディアール様のところまで行ってくれるかね?」
「えっ?」
聞き返したのはアストだった。渡された弾をどうすることもできず、<深更>の弾倉に詰めていた手を止める。
「アスト君はリディアール様に、その<深更>を渡して差し上げるといい」
「私が、リディアールに、ですか?」
「リディアール様は銃が苦手でいらっしゃるが、あの方が剣を振ろうものなら、それこそ今のフィリオは簡単に死んでしまうよ。避けきる元気は残っていないようだからね」
イシルラはアストをひょいと抱えた。
「アスト君、君は今まで、一体何を思って生きてきたんだろうね?」
唐突で曖昧な哲学的問いをして、怪訝な顔をしているアストに答える気はさらさらないカリオは、意味深に笑っている。
「じゃ、行くけど」
「あぁ。くれぐれも、流れ弾には気をつけたまえ」
飛ぶように駆け出したイシルラの上から、アストはカリオを振り返る。
今まで、何を思って?
平穏が欲しいと思っただけだ。革命の後も、その前も────ずっと?
アストの瞳が揺れた。今まで、何を思って生きてきたのか……思い出せないような気がした。
その頃カリオのところには、入れ替わりにキド副将軍とマナが着いた。
「ああマナ君、ここにおいで。私は君がシルシェドールだからといって、殺す気はないからね。キド君、これを」
<紅雪>の弾を渡され、キド副将軍は問う。
「オレは、これをどうすれば?」
「フィリオのところに届けて欲しい。投げてくれていい。その後は私のことはいいから、もう将軍の指揮下に戻りたまえ」
「分かりました」
弟子の返答を聞きながら、リディアールの姿をとらえた。
ここからでも遠いリディアールはまだ、フィリオとにらみ合うように動かない。
無数の傷も意に介さずに、どうしていいか分からない子どものように。
カリオはふっと笑った。
シルシェドールのあの一家を人質に、フィリオを捕らえて役者に仕立てあげようと思ったのだろうが……所詮は三文芝居……そろそろ脚本からずれが出る。
フィリオには役を演じきる気は、おそらくない。
そしてまだ、リディアール様もフィリオも倒れない。
「時間切れだよ、エル」
これは“君”の立てた筋だろう。
君にしては過激で、無理のある話だ。
だが、エルの茶番に添えるには、上出来かもしれないね。
でも、フィリオが死んでしまっては元も子もないのではないか────ユイス?
「さぁ、来たと言う事は君も見届けるつもりなのだろう? マナ君。────フィリオの、死に様を」
「っな、何をっ……!!」
慌てたマナを見て、カリオは涼しげに笑った。
「気の利かない冗談だよ」
「は? な、そんな……」
「冗談で済んでくれると、助かるんだがね」
『邪魔だ』
「えっ?」
「あ、いや、言霊。効果はどれほどかわかんないけど、使わないよりはさ、気休めでも当たらなくなるかと思って」
イシルラは常軌を逸した動きで弾丸を巧みに避け、リディアールの元へ近づいていた。飛び交う弾丸が当たらない理由が、イシルラの身体能力なのか言霊の効力なのか、判断できない。
「ねぇアスト、リディにあんまり会いたくないの?」
「────分からないわ」
フィリオの姿を確かめた今、本当に会いたいのが誰なのか、分からない。分からなくなった。リディアールはこの戦場にこそ生きているように見えるから、なおさらに。
見当違いの望みをリディアールに押し付けているのだと思わされた。こうして戦うリディアールを見ても、自分は嫌悪していないのだ。これが本来の姿であることを知っている。こんなふうに流される血が平穏を作り上げてきたと知っている。
だとしたら、血を見せるなと言うアストの願いは、なんと滑稽なのだろう。
現実から目を背けた、子どものようなわがままだ。
「まぁいいや。とりあえずリディのとこまで行くぜ?」
「えぇ……」
リディアールに渡すように言われた<深更>を、きつく握り締めた。
もう、いいだろう……バーツェフ侯。
ふと、フィリオから発せられていた殺気が弱まる。
それを感じ取ったリディアールの前に、紫暗の瞳が躍り出た。
「イシルラ……────アスト」
「カリオ? から、届けもの」
軽く言って、アストをリディアールの前に押し出す。
アストはうつむいたまま、<深更>を突き出した。
受け取ってもよいものか、リディアールは逡巡する。
アストはすっと、燃える夕焼け色の瞳を上げ、リディアールを射た。
突き出した白い手の甲に、蝶が舞っている。
「私を……」
それを刻んだのはリディアール。
それを今も拒まないのはアスト。
「私を守るのでしょう?」
あぁ、身体が重い。
まるで自分のものではないようだ……動かせる気がしない。
……本当に? 本当に動かないのか?
甘えるな。
まだ、オレは立って、生きているじゃないか。
指先は、動く。腕を上げられないはずがない。
足は……一歩も歩けないと、なぜ言い切れる?
何もせず、無様に死を受け入れるつもりなのか?
魔王の副官として、何よりもオレの意志で、リディを守りたいと思ってるのだろう?
だったら、ここで倒れるわけにはいかない。
バーツェフ侯、あなたの誤算だ。
この程度でオレの手足を奪ったつもりか?
フィリオは血の気のない顔を上げ、碧眼に狂気にも似た強い意志を宿した。
オレはまだ、戦える────!!
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