血糊のまとわりつく鋼糸を無造作に上着にしまうと、カリオは弟子に手を差し伸べた。
「大丈夫かね」
「辛うじて、ですが……」
苦い顔で師の手を取り、立ち上がる。その軍服には、あちこちにほころびができていた。
ほかでもない、カリオの鋼糸のせいだ。
「それは良かった」
カリオは人の良さそうな笑みのまま、足下の死体をどけて、血のついた<扇揺>を掘り出す。
「私は見物に行くが……」
「ではオレは、あの方を」
ちらとキド副将軍の見た先に、マナが立っている。
「マナ君か。丁度いい、マナ君を連れてきてくれるかね?」
「構いませんが、なぜですか?」
「マナ君の望むものが、見られるかもしれないからね」
カリオはわざとマナにも聞こえるように、声の大きさを調整する。
「どのみちここまで来ているんだ。見るものは見ておかなければ、分かるものも分からない」
マナはそっと、カリオたちのほうからもはっきりと目視できる場所に出てくる。折り重なる死体から目を背け、それでもそこから動こうとしない。
「ではキド君、私は先に行く。後は頼んだよ」
「はい」
師を見送ると、取り残されたマナへ歩み寄り、黒軍副将軍キドはその左肩に優しく手を置いた。見上げてくるマナの瞳を真摯に受け止め、無言で促す。笑いもしないキドの表情は、しかし気遣うような思いがにじみ出ていた。
「────ずるいわ」
マナは苦笑した。戸惑うように、キド副将軍の瞳が揺れる。
「いいの、ごめんなさい」
だって、似ていたのだ。その優しさは、フィリオのもののようだった。姉に向けられていた、彼の優しさそのもののようだった。
「私も行きます。私は、会いたい」
ただどうしようもなく、彼に会いたい。
<月華>から持ち帰られた<火雲>の持ち手が血で滑り、リディアールは魔力を剣に集中する。その瞬間、まるで自身を覆った無駄なものを取り除くかのように、<火雲>に付着する血がはじかれる。
戦うことに躊躇を感じなくなった。そんなリディアールの剣は、誰の目にも映ることさえなく、見事に命を狩っていく。速いというものではない。見えない。
だから、バーツェフ家とシルシェドール家が狙うのは、リディアールではない。その後方の、黒軍だ。
逃げることは叶わない。ならば一矢を報いんとばかりに、<細馬>の引き金を引き続ける。
黒軍は横合いから飛び込んでくる者をなぎ倒しながらも、少しずつ敵陣に近づいていた。言わずもがなだが、主君リディアールの姿もはっきりしてくる。絶対的な強さを誇る、忠誠を誓いし王の姿が。
先を行くディオル将軍の<虎嘯>が襲い来る者に熱波を浴びせかけ、追随を許さない国軍の強さをまざまざと見せつけていた。
その後方、敵の屍が累々と転がる道を、アストが行く。
敵の攻撃はほとんど及ばないのだが、剣を手にしたイシルラは戦いを知るものの緊張感を漂わせて、アストを守っている。
その時、何か予感がした。
アストは駆け出し、慌てたようにイシルラが追走する。
予感が、良いものか悪いものなのか、少しも判断できない。
ただ、予感がしたのだ。
何かが起こりそうな……そんな予感が。
走るアストとイシルラの姿を、さらに後ろからカリオは追っていた。背後からはキド副将軍に連れられて、マナも近づいている。
これで主役はそろったと、カリオは微笑した。
比較的のんびりと走っても、次第にカリオはアスト達に追いつくはずだ。
「間に合ったようだねぇ……」
呟いたカリオの目に、<月華>を抜き放ったリディアールが見えた。
敵兵の潜んでいる岩に向かって一閃すると、剣圧が真空波となって大岩を砕く。
ひときわ巨大なその岩は、粉塵を巻き上げて崩壊していった。
異質な音が、空高く鳴る。
それは警笛のように辺りへ響き、そして刹那────
銃声が消える。
セナ、なぜ死んだ?
フィリオを残してまで、死に急いだのだ?
お前は想像しなかったというのか……フィリオの嘆きと、悲しみを────
*
「フィリオ」
シルシェドール家の墓地に花を手向け、人気のなくなったセナの墓標の前で、リディアールは呼んだ。
葬儀が済むと、シルシェドール家はその遺体を本家に運んで行き、一族の者ももうここにはいない。
これから葬られる少女の名が刻まれた冷たい石を、フィリオは見つめる。
まだ誰も眠らないその墓の前で、二人は並んで立っていた。
「私が王を消したら、私の副官にならないか」
「オレはそんなに、強くないよ」
「お前はこれから強くなる。そう、言ったはずだ」
「……うん、言ったね……。君の兄を、セナの敵を殺すために……」
その時ようやくフィリオは、わずかに笑った。セナが死んでから、初めて。
「君が王なら、オレはなんだっていい」
「……いいのか?」
「嫌だといって欲しかったの、リディ?」
「違う、だが……」
「ゾルバ家は、心配ないよ。幸い父さんはまだ若いし、あの分じゃ長生きする。図太いからね。もし父さんがオレに家を譲るなんて言い出しても、そんなのはこっちが取り合わなければいいだけだよ」
「フィリオ……」
「オレがゾルバ家を継ぐのは、君が王を辞めたときかもしれないね」
静かに、フィリオは言った。
*
運命を変えたのは、お前の死。
穏やかだった日々を捨て、戦乱に駆り立てたのは、私の言葉ではない。
セナ、そうしてまで、お前は何を得たかった。
お前は私に聞いたな。フィリオのことが好きか、と。
それに一番答えるべきなのは、お前に違いなかった。
フィリオの心を知らぬはずがなかったのに。
それと気付かぬほど、フィリオはお前を愛していた。
セナ、お前は何を望んだ?
その死で、何を変えたかった?
きっと私よりもずっと、フィリオにはお前が必要だった。
何よりもお前こそ、フィリオを好きだったのではないのか?
私にはどうしてもお前が分からない。
だからフィリオを副官にして、そばに置くことくらいしかできなかった。
強くなれと言うしかなかった。
私を超えてくれと、願うしかなかったのだ。
約束で、私の元に留まるように。
いつか、きっと約束を果たせと、そう命じた。
セナの下へ、行かぬように。
崩れた岩の向こうで、銃口が光る。
見慣れた黒い服と、黒い髪、そして碧い瞳────。
両の足を地に着けて、確かに一人、そこに立っている。
これは、私の所為だろうか────
「フィリオ……」
殺気をまとう銃口が、私に向けられているのは。
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