「大丈夫ですわ」
ユイスは笑った。
「あの人は、絶対に手を出しませんもの。私がこちら側にいる限りは、ですが。それにあの人がフィリオに手を貸したことなんて、一度もありませんもの」
「奇策士は、お前には手出しはしない、ということか」
「えぇ。私、愛されておりますもの」
深みのある声に乗せて、ユイスは続けた。
「そしてリディアール様も……あの方は、ああ見えて甘い方ですわ。フィリオを、何の躊躇もなく切り伏せたりはできませんでしょうね」
「そこに、隙ができる」
悠然と笑ったバーツェフ侯は、側近に命じて通達した。
リディアールに隙の見えた瞬間、副官もろとも抹殺せよ、と。
「ユイス、お前は勝つと思うておるか?」
「勝ちますわ」
まるで予言のように、ユイスは呟いた。
それに頷いたバーツェフ侯は、思いついたように問いかけた。
「奇策士は、なぜお前のような女を選んだのかのう……?」
「伯父様は、私には魅力がないとおっしゃるのかしら」
「そうではない。ユイスよ、お前はいい女だ」
喉を鳴らして笑いながら、風に巻き上がる砂に目を細める。
「お上手ね、伯父様。……あの人はね、私のような面倒な女が好きなのですって」
「ほう……?」
「騙されるのも、嫌いではないと言うの。だから、騙して差し上げるのよ」
「成る程……策士の女が素直ではもの足りぬ」
「そうでしょう、伯父様」
そのユイスの微笑を見て、バーツェフ侯は思いつきで言ってみる。
「お前がわしの娘であったなら、或いは当主の座をお前に明け渡したやもしれぬのう……」
「それは意地悪ですわ」
「意地悪とは、何ゆえかの?」
「だって伯父様、どうしたって生まれを変えることはできませんでしょう?」
「そうじゃのう」
「ですから、伯父様ははじめから、私にバーツェフ家を譲る気はなかったのと同じです」
聞いて、バーツェフ侯は満足げに笑う。
「ふ……聡い女だ、ユイス……」
「えぇ……」
銃声が絶え間なく轟いている。
「伯父様の血を引いていますから」
そして彼女は、奇策士の妻でもあるのだから。
「────……そう、殺したも同然よ……」
アストは遠いリディアールの背を見つめて呟いた。
その予想外の言葉に、魔装剣<虎嘯>を手にしたまま、ディオル将軍は少女の前を動けなくなってしまう。
「だから、今更いつもと違うリディアールを見たって取り乱したりしない……できない。私はリディアールのことを良く知らないのかもしれない……でも、魔王という存在は、理解しているわ。今まで私はリディアールの一面としか接していなかったことも……」
だから殺戮の魔王の姿を見たからといって、リディアールのことを拒絶したり、自らが出て行くなんていう理由にはならない。リディアールの行いなど、頭では分かりすぎるくらい分かっているのだ。この目で見ても、拒絶するには今更過ぎる。
自らに言い聞かせるように言いながら、手が白くなるほどに、アストは<深更>を握り締めていた。
ディオル将軍は彼女を敵兵の目から隠しつつ、高熱を帯びている<虎嘯>を油断なく構えている。
辺りは耳を覆うほどの音であふれていると言うのに、二人の間の沈黙は、なんと重苦しい。長いようで、短い沈黙────。
それを打ち砕く軽い足取りで、後方から戦場をすり抜けてくる姿がある。
軽薄そうな笑みで、何をためらうでもなく、ただ、まっすぐに。
「イシルラ……」
「ここ危ないなぁ……アスト、オレと来いよ」
何気なく言ったのだろう。しかしアストは、その言葉の裏を自ら付加した。
ここを捨てて、別の場所を見つければいい、と。
それはつまり、リディアールではなく、イシルラを選べ────と。
それが自分の勝手な思い込みだと気付いて、肩の力が抜ける。
「アスト様を、頼んでも?」
「いいぜ」
そして、自分でも気付かないうちに、肯定の言葉を口にしていた。
「分かったわ、行く。そのかわり、ねぇ、イシルラ……あなたに頼みたいことがあるの」
「オレにできることなら、何でも」
「あなたにならできるわ」
ディオル将軍はアストをイシルラに預け、風のように駆けていく。黒軍将軍として、本来の務めを果たすために。
広がる血の海を見据えて、アストは言った。
「フィオと……会わせて」
両側からバーツェフ侯の側近がフィリオを拘束していた。もはや支えているのと同義である。
フィリオの奇妙に冴えた頭に、叫び声や死の臭いは、まるでフィルターをかけたようにおぼろげに届く。
左手に、弾の入っていない<紅雪>を持った。
凄まじい殺気を帯びた魔力が肌を伝ってくる。
────リディアール、そこに、いるのか……?
目を開ける。
リディアール……君のためなら、死んでもいい……否。
君のために死んだのだ。
そう言いたいのだ。
君はきっと、許さないだろう。
そんなことは命じていない。そんなことは望んでいない。
そんなことは、“約束”していない。
そう言うんだろう。
リディ、オレは信じられる。君にならば、裏切られるのも悪くないと思えるくらい。
だけど君は、オレを信じている?
オレが君を裏切ったとき、信じたくないと、思ってくれる?
────嘘だ、と。
この銃口を向けても、俺を切り捨てずにいてくれるのだろうか……。
君を試したいんじゃない。そう、不安なんだ。
オレはね、リディをただ一人の相棒だと思ってる。
それはちょっと、うぬぼれすぎかな。
でもね、君の傍になら、いられると思った。
君は強いから、オレが追いかけ続けて、まだ届かないくらい、強いから。
オレは安心して、君の傍にいられた。
だってそうだろう。
君を失うかもしれない。
そう思うだけで……────オレは本当は、怖くて仕方がなかったんだから。
君を守りたいと思わずにはいられなかったんだから────。
いやに重い<紅雪>を、左手で掲げる。
オレを信じて欲しい。
その手を止めて、信じたくないと言って欲しい。
そしてそれ以上に、君は信じなくてもいいと思う自分もいる。
リディ、オレはね。
君を失うくらいなら、迷わず、この命を、差し出せるんだよ。
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