Blue Blood 胡蝶の夢

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十七話



「慈悲……?」

 本当に?
 だとしたらどうして……私はここにいる────?


「師匠、外さないで下さい」
 キド副将軍はそう呟くと、カリオの横を疾駆した。
「無理を言うねぇ……」
 カリオは教え子の背を見送りながら、口の端を緩やかに上げた。
 冷たい碧眼が、戦いに臨むフィリオと、驚くほど酷似している。
 キドに渡された<扇揺>を細身の肩に担ぎ、手動(マニュアル)にあわせた銃身をキド副将軍の背に向ける。
 付近でリディアールを相手に銃撃戦が展開されているその音に混ざって、キド副将軍の<峭絶>がうなった。
 その両手の上で、<峭絶>が踊る。
 涼しい顔をしているキド副将軍だが、よく見れば眉間にしわを寄せていた、その緊張が、力を最大限まで引き出す。
 バーツェフの制服を着た者達は、というと、明らかに緊張していた。と言っても、キド副将軍のような緊張感ではない。そんな物とは比にならない。
 きっと戦いなれていない者もいるのだろう。
 そしてそんな彼らの前に立ちはだかるのは、最強の軍隊────黒軍の、漆黒の制服。
 一息に撃ち切ったように、銃声が止まった。刹那キド副将軍自身もとまる。
「動いたら、命の保障はしないよ」
 カリオのよく通る声が、合図だった。
 静止していたカリオの指が、<扇揺>を操る。その弾丸はまさに、キド副将軍の髪や服をかすめて敵兵に命中した。
軽傷者も重傷者も見て取れる。
 早くも戦闘意欲を失った者までも。
 だが、カリオは攻撃を止める気などなさそうだった。
「残念だ……前途ある若者も多いというのに……」
 再び銃声が響く。それにかき消されるほど何気なく、カリオは言った。
「本当に、滅びるには早すぎる……」
 心底惜しむような声に反し、カリオは氷のような眼差しをしている。
「だが私は、死に急ぐ者が嫌いではないよ」
 たった二人。目の前の排除すべき敵を、数十の瞳が絶望的に見つめた。

 魔族の階級分けは、意味もなくつくられたものではない。
 その持つ魔力が大きいほど、高位に位置づけられている。
 例えば最も魔力の低い者の力を一とする。
 下級魔族はせいぜい一から三程度、中級魔族はそれより少し強くて十くらいまでだ。魔族の八割はこの間に属する。
 上級魔族は低くて十に満たないくらいから、五十程までと、実に幅が広い。よって上級魔族は、貴族の爵位という形で細かく分けられた。不思議なことに、魔力の強さはほとんど血で受け継がれる。よって階級は固定されたものになっていった。
 四大貴族と呼ばれた侯爵家の当主は、いずれも上級貴族最高位の魔力を持つと言われていた。
 そして、第七代サイル国国王グレベール・ダリは、その四当主をしのぐ、サイル国一の魔力の持ち主とされていた。
 それはしかし、間違っていた。
 革命の壮絶な戦いの中で、気付かざるを得なかった。
 ゾルバ侯爵家嫡子、フィリオ・ゾルバ。彼の者はその父をしのぎ、グレベール・ダリに勝るとも劣らない魔力を持っていることが明らかだった。
 そして革命で賭けに出た諸侯が忠誠を誓いし王、後に第八代サイル国国王、リディアール・ダリ。あまりにその魔力は昏く巨大────底の見えない深い闇だ。
 力の尽きる場所が見えない。
 グレベール王を軽々とあしらえるほどの魔力と剣技……彼、リディアール・ダリは、魔王になるべくしてその力を授かったのだ。
 破壊をもたらす、その力を────。

 弾が当たらないのは偶然ではなかった。
 リディアールはその魔力を身にまとい、鉛の弾丸を退けていたのだ。
 そんなこと、常人にはできるはずもない。
 極限まで精神を研ぎ澄ませたリディアールだからこその、魔力の壁だ。
 それをリディアールは、無意識にやっている。
 魔剣<月華>の検圧は凄まじく、巨大な岩を砕いていく。
 言葉を失ってしまったアストを、将軍はそっと見やり……やがて、声を上げた。
「一人たりとも、逃すな」
 その声を合図に、黒軍は荒野へ駆け出す。
 長距離用にしては銃身の短い<細馬>に対し、黒軍の兵達が持つのは各々の剣だ。上級魔族の多くは、ディオル将軍の持つような魔装剣を、中級魔族の者は普通の、といっても名のある剣を持ち、大抵の場合何かしらの飛び道具も併用している。黒軍の中にも、フィリオやキド副将軍のように銃を常用する者はほとんどいない。
 銃は戦闘の道具として、あまり普及していないのだ。高価で、扱いもそれほど楽ではないという理由からである。
 だから黒軍にとっても、これほどの量の銃器に応戦するのは初めてといっていい。
 最も、初めてならば負けた言い訳になるという考えは、成り立つはずもないのだが。
 巧みに回りこんできた敵兵を、いとも簡単に黒軍は切り捨てた。
 屍を意にも介さない、その姿は確かに“黒い悪魔”にふさわしい。
「リディアール様を、厭わしく思いますか?」
 その姿は遠く、そしてアストが追いつけない程めまぐるしい。
 金の残像がわずかに光を反射する。
 曇天の間をぬう、日の光。
 殺戮者をいっそ神々しくも見せる、そんな光。
「────私は……」
 よみがえるのは、“あの日”の光景。
「知っていて、傍にいたのだもの。リディアールは、私を────殺したのだから……」

「随分派手にやっているようですわね」
「出し惜しんだところで、この先出す機械に恵まれぬやも知れぬでのう」
「弱気な発言ですこと」
 ユイスは微笑んでいた。瀕死の一人息子が担ぎ出されていく様を見送りながら。
「ゾルバ家に、お前が嫁いでもう随分だ」
「二十六年ですわ、伯父様」
 バーツェフ侯は、フィリオの無様な姿に内心笑みがこぼれていたが、顔には出さない。
「お前は本当に良く動いてくれた」
「そのような事をおっしゃるなんて、本当にどうかしてしまったのかしら」
「は、まぁそう言うなユイス。わしも年じゃ、耄碌しても多めに見て欲しいものじゃよ」
 炯眼を光らせたバーツェフ侯は、年に似つかわしくない機敏な動作で立ち上がる。
「さて、見物させてもらうとしよう」
「私も行きますわ」
 ユイスの瞳に、母の色はない。
 ただ、妖しく美しい女が、あるだけ。

「キド君」
 カリオは不意に弟子の背を取ると、おどけた調子で言った。
「悪いが、私は弾切れだ」
 駆け回るキド副将軍にぴたりとついて、楽しげに弟子の様子を眺めているように見える。
「師匠、馬鹿なことを言っていないで、そろそろ手伝ってください」
「君一人でも、何とかなっているだろう?」
 冗談めかした声音に混じって、<扇揺>をカリオは捨てた。代わりに再装填された<淵雅>と<揮霍キカク>という十ミリ口径の小銃を手にしている。
「キド君、私は疲れた……待っているから、後は何とかしたまえ」
「────気が向いたら、護身以外の方にもまわってください」
「あぁ」
 カリオは本当に後退し、自身に害成す者だけを排除対象にしている。
 そうとしか見えない。
 しかし実のところ、外れた弾のように見える弾丸は、はるか後方の兵に命中している。
「気が、向いたら、ねぇ……」
 こうして弟子を手助けする辺り、私も素直じゃないねと思いながら、カリオは撃つ。
 その姿をセナの双子の妹マナが見ていることに気付いていたが、カリオは敢えて無視を決め込んでいた。
 そして彼がふざけたことを言いつつも後退した理由が彼女だ。
 一応、思惑はどうあれ、カリオはマナを生かしておきたいらしい。
 その頃マナは、充満する戦いと血に顔をしかめつつも、改めて感心もしていた。その若さで黒軍副将軍の名をもらいうけた男と、その師であり、貴族の頂点に立つ者であり────フィリオの実の父親である男の、強さに。
 マナ自身に、戦闘経験はたいしてない。だが彼女も、その名に伯爵家シルシェドールの家名を冠する者だ。魔力の強さだけなら、副将軍であるキドに引けを取らない。少なくとも魔力にあてられることはなかった。
 真剣にこちらを見つめるマナを見ながら、カリオはふと、フィリオの言っていたことを思い出した。フィリオはマナを称して、儚げで大人しい女性だと、そう言っていたように思う。
 しかし本質は、セナと同じだったということなのか。
 その奥に持つ意志の強さは、まるでセナのものだ。
「悪くないね……」
 カリオは誰にともなく呟いた。
 含みと憂いをたたえた、そんな女性を、カリオは嫌いではない。
 その点で、素直で明るいセナが好きだったフィリオとは大きく異なっているともいえる。
 状況も考えずに無駄に深く考え込んでいたカリオの頬を、弾丸がかすめ通った。
 すっと、赤く血がにじむ。
 一瞬息を呑んだマナを見て取ると、カリオは<揮霍>を続けざまに撃ちこんだ。早撃ちに悲鳴を上げる銃身と己の右腕など無視し、煙る硝煙の香を吸い込む。
「それにしても……」
 カリオはおよそ戦いに向かない表情で笑った。嘆息交じりですらある。
「あれも、罪作りな男になったものだ────」
 丁度キド副将軍が剣を抜き放ったところだった。
 見計らうかのように、今度こそ本当に弾が尽きた。二挺の銃をしまったカリオは、誰の目から見ても無防備でしかない。が、しかし────
「そろそろ本気でいこう。もう遊んでいる暇はない」
 むしろ愉快そうにカリオは冷笑した。
「裏方仕事は片付けて、私は舞台の見物がしたいのでね」
 その白く整った、武人には見えない指先に、鋼の糸が踊っていた。
 師の様子を察して、キドの背に緊張が走る。
 珍しくカリオが本気であることをさとって……。
「エルほどではないが、私は面白い見世物を見逃したくはない。────分かるだろう、キド君?」
 カリオは銃器蒐集家。だが彼の真の武器は、銃ではない。
「承知しました」
 サイル国随一の鋼糸使い“痩身の奇策士”……その強さはかつて鉄の城でも有数で、広く知られていた。グレベール・ダリ前国王がその力を買い、黒軍にしようとしていたほどだ。もっとも、カリオがゾルバ家の時期当主であったことで、その目論見が実現となることは容易ではなく、結局叶うこともなかったのだが……。
 魔族の高みを知る。
 このことは、取りも直さずその残酷さを示す。
 カリオは、戦いにその身を任せることのできる、生粋の魔族────。
 策などなくとも、十分に強いのだ。
「────キド君、死ぬ気で避けることだ。手加減はしない」


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