フィリオが捕らわれて四日、鉄の城の使用人にも、この事実は知れ渡っていた。
いくら住み込みの使用人とはいえ、人の口に戸は立てられないもの……外出を禁じているわけでもないため、副官不在と言う冗談のような噂が、城下に広まるのも時間の問題だ。
それは恐らく、ゾルバ領でも同じことだろう。当主カリオは、フィリオが捕らわれたことを極秘にはしなかったろうし、フィリオのことを慕う領民は、流れ出す噂を否定されなければ、本気で心配し始めるに違いない。
相手はバーツェフ家だ。
人々はフィリオが易々と捕らわれるとは思えない。嘘だと否定する気持ちが先に走る。
だからこそ、きっとどこかから、別の噂が“流される”。
フィリオ様はリディアール様を見限り、バーツェフ一族と手を組んだらしい、と。
残酷で強権政治を行うとも言われるリディアール様を、お優しいフィリオ様は見ていられなかったのだろう。
そんな風に。
リディアールは、民にさほど慕われていないし、信頼も厚いとはいえない。手を出せば殺される、と思われている。信憑性としては、事実よりも後者の方が上だ。
そうなれば、リディアールにとって不利な状況になることは間違いない。後々フィリオが副官の地位に戻る時にも、非常に厄介だ。
裏切りの臣を再び傍におくことはあり得ない話。
それでも傍におくということは、ゾルバ家の権限が強まったとも捉えられる。
それでは困る。根も葉もない噂を信じてもらっては、絶対に困るのだ。
火の無いところに煙を立たせるための火種を、敵はいくらでも作れるだろう。
そう考えながら、手元の書類を処理する手を休め、<崇信の眼>で城下を視ていた王弟ストラールは、ほっと息をついた。今のところ、変わった様子は無い。
フィリオのいないせいで、雑務が山のようにたまっているため、少しずつストラールが片付けているのだった。
鉄の城の留守を任されたストラールと黒軍三十一名は、気の休まる間もないほどに人々の動向に気を配っていた。
バーツェフ領レルラに赴いたリディアールと黒軍八十一名に顔向けできないようなことは、何としても起こせない。
室内だけなら普段と何ら変わりない、ストラールの私室──司法長官室から、レルラの方角を見る。
はるか彼方、木々の生い茂る土地の向こう側の都市は見えない。
ストラールはそっと、祈った。
フィリオと、リディアール兄さん達が、無事であるように。
「失礼いたします、ストラール様」
目を向けると、自らの副官にあたる司法副長官テイジェスが立っていた。
「城門より北西、何者かの姿を確認いたしました。距離約三十……一時間もしないうちに、城下に到達することになると思われます」
文官でありながら、目は確かだ。的確な見解を述べていく。
「敵襲ですか?」
「そう見たほうが無難でしょう」
ストラールは書類を重ねると、剣を手に立った。
面倒なことにならなければいいのですが……。
ストラールは急ぎ、城門へ向かう。
「城内の者に避難指示を出してください。それから、黒軍と城の兵の皆さんを、至急城門へ集めて」
「全てですか」
「警備のものは最低限残して、そのまま続けてもらうように。それから、僕の剣をあと二本、武器庫からお願いできますか?」
本当は自分で行こうと思っていたのだが、予想以上にあちらの動きが速そうだった。
「かしこまりました」
十字路で別れ、外へ出たところで危うく誰かにぶつかりそうになる。
走ってきたらしく、ストラールと彼の反射神経が無ければ、正面衝突していたはずだ。
「ストラール様! 失礼いたしました!」
「いいえ。僕に用ですか?」
彼、黒軍兵士はストラールに敬礼し、報告を述べた。
「先程発見した者についてですが」
「えぇ、ついさっき聞きました」
「やはりこの城が目的のようです。軍旗を確認しました」
「そうですか……」
「およそ九百。家紋はダルス家です」
「────確かに、ですか?」
「はい」
ダルス家……リディアールが革命の折に滅ぼした、四大貴族の一角だ。生易しい滅ぼし方はしない。リディアールは一人残らず葬った。目に見える範囲は。
「やはりあの革命では、混乱に乗じて兄さんの手を逃れた者がいましたか……」
ダルス家は滅びた一族だ。もう戻るところもない彼らは、命を捨てて挑んでくる。
対するこちらは、城があるとは言っても、黒軍三十一名と城の兵が九十五名……城下の戦える者を集めても、二百には絶対に届かない。
「少し、厳しいですね……」
指に絡みつく銀白糸が、白い輝きを放っている。
鉄の城に、騎獣の足音が迫っていた。時刻は午前九時五十分、リディアール達が出発して、わずかに一時間半後。
「城下に通達してください。命が惜しくば、無闇に家から出ぬように。もしくは、いますぐ
今更だが、言わないよりはいいだろう。
一人でも多く、生き残ってもらったほうが、この国のためにはいい。
「僕が指揮を執ります」
そう言ったストラールに、常のような幼さは微塵も感じられなかった。
滅びし四大貴族の一角、ダルス家の残党が王都サイラスへ迫っているその頃、別方向からも王都を目指す一団がいた。
サイラスのはるか南西にある平原を、騎獣を引き連れて進む。
その一団の中程に、剣や火薬を山積した荷馬車がいくつかあった。
不意に、その中から生首が現れる。よく見れば首は胴につながっていた。
細い目をまばたきさせ、周囲の風景を見ているようだ。
「閣下、そろそろ起きられますか?」
がっしりした体格で強面の男は、彼に問いかける。睨んでいるのかと思うほどの迫力があった。
「そうですねぇ……もうちょっと……うーん……」
特に動じることなく、彼は悩む。
そのマイペースさときたらあきれたもので、相当の忍耐力が無ければ、耐えられないだろう。
ところが強面の男は、首をかしげて固まった彼に口出し一つせず、じっと待った。
「では、そろそろ起きましょう……うん、えぇ、そう、します……けど、いいですかぁ?」
間延びした声は、寝ぼけているせいなのか、普段より輪をかけてひどかった。
「足元にお気をつけて……今、騎獣を連れて参ります」
「はい、よろしく────あ」
足元の箱に思い切り躓いて転げてしまった彼に、強面の男は手を差し出す。
「お怪我は」
「あぁ……、たぶん、ないですよ」
日常茶飯事なのだろうか、手際よくほこりを落とし、今度こそ騎獣を引きに行く。荷台に横付けした。
「ではシース……よろしく」
寝ているのかと疑いたくなるくらいに細められた目の端には、深く笑いじわが刻まれていた。
シースとはどうやら騎獣の名前らしい。主人に似てか、どこかのんびりとした雰囲気のあるシースは、なでられてわずかに頭を下げた。
歩き続ける騎獣に再度笑いかけ……────足元の箱につまずいた者と同じとは思えない身軽さでふわりと騎乗する。
それを見届け、強面の男も騎獣に乗った。
「あと、どのくらいでしょう……」
「急げば、一時間強です。あの丘を越えれば、見えるかと」
一行は、道の両側に生い茂る草花を極力踏まないように整列して進んでいるため、多少速度に欠ける。
「じゃ、ちょっと急ぎましょう」
彼は笛を吹いた。とたん、一団の速度は上がる。
驚くことに、荷馬車で昼寝をしていた男は、この一団の指揮官らしい。
「王都はもう、半年振りですか……」
感慨深げに呟くと、一団の後方を振り返る。
「────何か、ございますか?」
なかなか前を向こうとしない彼に、強面の男は問いかけた。
「私が、軍を率いるのも久しぶり、だったような……と、思っていた、ところです」
彼の言ったように、一団は一人残らず武装していた。
「閣下が軍をお出しになるのは、四年ぶりです」
「……そう、でしたか?」
列を乱すこともなく、晴れた空の下を進んでいく。
ただ、目指す王都の上空には、暗雲が立ち込めていた。
彼はそれを見るように目線を上げてから────動かない。
「……閣下、よろしいですか?」
「……何ですか?」
わずかに後方にいる男を振り返り、首を傾げる。
「騎乗されたまま、お眠りになられませんよう」
「……あぁ」
ワンテンポ遅れて納得したように顔を上げた。
「えぇ、そうですね……はい、気をつけます」
「よろしくお願いします」
上がった速度とは裏腹に、のんびりと彼は進む。
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