Blue Blood 胡蝶の夢

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十二話



「随分と遅いので、主人が心配しておりました」
 そういった声は事務的で、感情など欠片も感じられなかった。雷雨の中、水も滴る何とやら──ゾルバ家十九代目当主カリオ・ゾルバは、騎獣を従えて立っていた。
「それはすまないね。何しろ突然の雨だから、騎獣が嫌がってね。タオルをもらえるかね?」
「少々お待ち下さい」
 濡れた騎獣を預けて、入口から数歩入ったところに立ったカリオは上着を取る。お預かりしますという使用人は、水を吸ってずしりと重い上着が予想よりはるかに重かったらしく、取り落としそうになりながらも、無表情なままだった。
 何度来ても、カリオはこの家の雰囲気が好きになれなかった。
 季節ごとに開かれる、四大貴族の会合。
 バーツェフ邸に来るのはもう五度目だろうか……。
 わずか二十九歳の若さで当主の座についたカリオだが、その手腕は並のものではなかった。
 “痩身の奇策士”、そう呼ばれていた彼は、四大貴族の中でゾルバ家の地位を容易く押し上げ、確たるものとしている。
 三十五になったカリオは、年上ばかりの会合であってもむしろ、裏で主導権を握っていた。
「おや、ようやく着いたか、カリオ殿」
「申し訳ない、皆様お待ちでしょう」
 正面階段を下ってくるのは、十七代目バーツェフ家当主、エルベルクス・バーツェフ。もう六十に近いというのに、その足取りは実に軽い。
「ジェイキルドーラなどは寝ておるよ」
「あぁ、彼らしいですね、それは」
 ジェイキルドーラ・ハースは、常にぼうっとした、何を考えているか分からない男だ。しかし彼もまた、四大貴族の一つハース家の十代目当主だった。あたりざわりのないことしかしないが、富を揺るがせることはない。
「エル殿、まだゾルバ家の────あぁ、ようやくか、カリオ殿」
 立っていたのはエルベルクスと同い年の、だが老けて見える男、テラ・ダルス。あまり政治に向かない彼は、近頃影を落とし始めたとも言われている四大貴族の一、ダルス家六代目当主である。
「お待たせしてしまったようですね……もう少し待ってください、髪を拭いたら参りますので」
「あぁ、いいさ。今更あと少し待ったところで、何のことはない」
 と言いつつ、棘のある口調は常の通りだ。早々に室内へ戻るテラとは対照的に、エルベルクスはカリオのところまで来ると濡れた服を見て微笑する。
「上着だけでなく、こちらも雨にやられているようだが?」
「あぁ、本当だ……」
「替えの服くらい用意しよう。おい、別室に案内しなさい」
「すみませんね、色々と」
「構わないよ。何、この程度のことだ」
 笑顔で返すカリオと、それに答えるエルベルクス──共に温厚に見えても、それは表面上のこと。社交辞令でしかない。
 タオルを手にした使用人が来ると、エルベルクスはもと来た道を登りだす。
 その背は告げていた。
 貴様の手に、捕らわれるつもりはない────。

 着替えを済ませたカリオが廊下に出ると、丁度人影がドアの前を通り過ぎるところだった。
 その人物は振り返り、やけにゆっくり言う。
「カリオさん、お久しぶりです」
 にこっと首をかしげたのは、ジェイキルドーラ・ハース、その人だ。
「災難でしたね。私は着いたとたんだったのですよ、あの雨」
 のんびりとしたテンポで話す彼は、はたから見れば頭の弱い青年だ。しかし実年齢はもう四十で、頭も切れる。
 そして良く見ると、笑い皺だけは年相応な深さで刻まれていた。彼は温和な表情のまま、カリオに並ぶ。
「いえいえ、お待たせしてしまったようで、ジェイク殿」
「そうでも、ありませんよ? 休めてよかったですしね」
 やや長身のカリオよりわずかに背の低い彼は、そっとカリオを見上げた。
「カリオさん、私は決めましたよ」
「何を、ですか?」
 にこっともう一度笑うハース家の当主に、カリオは苦笑を返す。しかし慌てることはなかった。
 カリオには聞かずとも、分かったのだ。ジェイキルドーラの真意、それは乱世を愉しむ国王グレベールに、ハース家は決して従わないということ。そしていかなる争いも、ハース家に手出しはさせないこと。
「ジェイク殿、肝に銘じておきますよ?」
「助かります」
 間延びした返答は、当主らしい圧力を帯びていた。




「随分暴れてくれたようだな」
「最近体がなまっていてね……加減がきかない。すまないね、リディアール様」
 カリオは軽く言うと、物資を運び出す黒軍の進行方向に目を向けた。
 バーツェフ侯爵領レルラの北西数十キロメートルに続く、巨大な岩礁地帯。それは、はるか昔、北西に見えている火山が大噴火したときの名残だと言う。
「ひとまず、あちらへ移る。危険物はなさそうなのでな」
 それだけ言うと、リディアールは数歩、進み出た。そして動かない。
「……リディアール様、何か?」
 その問いを待っていたように、言った。
「私にも……」
 ためらいがちに、リディアールは続ける。
「私にも、信じるものくらい、ある」
 憮然として告げると、足早にリディアールは遠ざかっていく。
 ────それは息子フィリオですか?
 カリオは心中で問いかけた。

 キド副将軍は思案していた。
 彼の構える<峭絶>の六・七ミリの銃口は微動だにせず、同様に誰も動かない。
 実力で帰る。
 そうは言っても、ここに来るまでの長い廊下を戻ることは困難だ。素人だろうが使用人だろうが、銃や剣を持たれれば立派に兵となる。待ち伏せられた道に、わざわざ戻ってやる必要もない。
 この部屋の中だけならば……十三人、何とかならないこともない。
 まともにっては分からないが、彼の隣で飄々としているイシルラと言う男は、リディアールにあっさりと負けないだけの実力があると、ディオル将軍が言っていた。
「物騒な物は、好かぬでのう……」
 バーツェフ侯は愉快そうにアストを見つめている。
 有利なのは、敵の立ち位置だ。バーツェフ侯の両側に、横一列に立っている。今のところ挟まれてはいないわけだ。
 だが銃撃が始まれば、背後の扉が開く可能性も大いにある。
 遮蔽を取って撃たれれば、挟み撃ち……反撃も逃げることも困難。
 そんな状況は、リディアールでもなければ簡単には切り抜けられない。しかもこちらには、アストがいる。彼女に傷を負わせることは、何としても避けたいところだ。
「長居しては、失礼でしょう? 急なことで、もてなす準備もなかったようですから」
 アストはなお、気丈に言い放った。
 即座に撃たれて死んでもおかしくない窮地にあって、驚嘆に値する度胸だ。普通ではない……その手足は震えることを知らないように、堂々としていた。
「慇懃無礼という言葉を知っておるか? 帰さぬと言っているのだ、小娘」
 冷め切った声────キドはそこに火花を見た気がした。
 刹那、無遠慮な銃声に、キド副将軍は体で反応していた。長机に手をかけて盾にすると、アストをその陰に引き入れる。
 至近距離で、しかも閉鎖空間で轟く銃声は、思わず耳を覆いたくなる。
 三人がおさまる机には、雨のように銃弾が食いつき、激しい衝撃が机を支える右手に負荷をかけ続ける。
「どうした、帰らぬのか?」
 愉しげな声がする。
 いくら机が厚くとも、破られるのは時間の問題。
「なぁ、キド、だったよな」
 イシルラは不意に呼んだ。
「アストは、オレが引き受けようか?」
 何のあせりもない彼は、いたずらっぽい笑みさえ見せていた。自信がなければ、こんなことをこんな時に平然と言えるはずがない。キド副将軍は、その余裕に賭けた。
「────頼もう。後は、何とかする」
 淡々と告げ、無表情にアストを見ると、その手に黒いものを見つける。
 それはかつて、あのひとがフィリオに託したもの。
 キドは幼いフィリオと共に、師匠カリオに師事していた頃を思い出す。はるか年下のフィリオの見せた正確無比な射撃は、ひどく彼を驚かせた。フィリオにとってキドは兄弟子だ。しかしキドは、少なくともその心で、フィリオを自分の下に置いたことなど一度もない。フィリオは、初めて手にした銃で、そのたった一発で、的の忠臣を撃ち抜いてしまったのだから……。
 その日から、自分よりも幼いフィリオがキドの目標だった。しかし、そんなに努力を重ねても、フィリオの才の前にいつも敗れていた。悔しいと思うことはあった。けれどねたましくは思わなかった。いつも優しく、朗らかな少年だったフィリオの瞳が、銃を手にしたその時だけは、氷の如く冷たいことを知っていたからだ。
 誰より己の強さと弱さを見抜いている、冷酷な碧眼。
 優しい少年の抱える、侯爵家の闇。けれど闇は決して彼を飲み込まない。制されたのは闇のほうだ。
 革命の数日前に、キドに明日の天気の話でもするように革命のことを口にしたフィリオを見たとき、キドはフィリオの下で闘うことを決めた。
 それを今、誇らしく思う。間違ってはいなかったと言える。
「アスト様」
 キド副将軍を見上げた瞳に、迷いはない。
「頼りにしております」
 フィリオが才を認めたのだ。アストは美しいだけの女性ではない。
 キド副将軍は極限まで身をかがめると、強力なばねを使って机の陰から飛び出した。すぐさまキドの方に銃口を向けたのは五人、しかしキドの方が速い。部屋の右側の壁に両足をついたキドの両手の中で、<峭絶>二挺が白煙をあげている。たちまち<峭絶>の放った弾丸によって、手の中から銃ははじかれた。その間に続いて三人がキドに狙いをつけている。引けば当たる────だが、とっさに彼らは撃ち損ねた。正面に気を取られたせいで。
 大きな机が突進してきたのだ。
 部屋の中心までくると机は止まり、一気にひっくり返る。その背後から人が現れ、もはや照準すら合わせずに無駄弾を浴びせかけている彼らに、キド副将軍の無慈悲な銃弾が命中する。
 机を避け、動じずに懐から銃を取ったバーツェフ侯が、イシルラに銃口を向けた。
 白い歯を見せて笑うイシルラの腕は、アストを抱きかかえている。
 バーツェフ侯が撃った瞬間、入口となっている扉からも大量の銃弾が飛んできた。それらは二人を、蜂の巣に変える────はずであった。
 絶妙なタイミングで落下したシャンデリアは、その見事さとガラスの頑丈さゆえに、弾丸を遮る。そしてシャンデリアの向こうには、アストの冷たい銃口があった。いつでも引き金を引けるように。
 バーツェフ侯の放ったそれも、シャンデリアを破砕しただけだ。
 常人には不可能に思える瞬発力を発揮したイシルラは、その瞬間バーツェフ侯の頭上にいた。
 イシルラの姿を追う部下をよそに、バーツェフ侯はキド副将軍を狙う。
 盛大な音は、シャンデリアが床に落下するのと同時。窓ガラスの割れる、その音だ。
 キド副将軍を撃とうと手を上げたバーツェフ侯の耳元で、黒い尾を引いて高価な金の環がはじけた。
 はっと振り返るエルベルクス・バーツェフに見えたのは、余裕の笑顔で手を振る男と、その男に抱えられている女の手の中にあった<深更>、そして二人の後を追い、二人の姿を隠すように窓の外に踊り出す黒軍副将軍キドの姿だ。
 三人を追従しようとする部下を、手を出して制する。
「やめておけ……どうせ無駄に終わるじゃろう」
 敗因は部下の経験不足。そして、予想外の女の援護。
 だが、このくらいの負けは、予想の範囲内だ。
 壊れた金環をもてあそびながら、言った。
「見事に帰られてしまったのう……」
 歪んだ口元にあるのは、笑み。


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