Blue Blood 胡蝶の夢

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十二話



 フィリオは知った気配を感じて、意識を研ぎ澄ませた。
 これはキドと、アスト……イシルラ、だろうか。
 <紅雪>の空の弾倉を睨み、息を吐いた。
 今はまだだ。動いてはならない。
 ここから脱出しただけで、動けなくなるのでは意味がない。
 分かっていても、無力な己に呆れるばかりだ。足手まといの自覚があるだけに、どうしても焦りを感じた。
 今は乾いているとはいえ、熱を持った傷口は、身じろぎしただけで激痛が走る。
 体力の温存だと言い聞かせる。
 外の話し声も届かないこの部屋でできることはない。
 はっと耳を澄ます。
 ────銃声か……?
 かすかに聞こえたような気がする音。扉を見つめて、黙すのみだった。

 ニズレーは主の姿を探して歩いていた。
 駅の入口付近に立ったカリオは、その背後に従者の足音が近づくことを知っても、振り向かない。
「なぜ、リディアール様のご不興を買われるのですか……?」
 時々主人に対して物怖じしないで、こういう質問を浴びせかけてくるところを、カリオは実は気に入っている。他の貴族の当主が聞けば、酔狂なと言われただろう。
「さぁ、私にそのつもりはないのだがね」
 面白がるように言うカリオのやや後方に立ち止まったニズレーは、相変わらずの主だとため息をつきかけた。
「ところで閣下、もう一つお聞きしてもよろしいですか?」
「何だね?」
「リディアール様は、なぜあれほどお怒りになられたのでしょう? 今一つ私には……」
「魔王、グレベール・ダリ」
「? 七代サイル国王ですね」
「そう、リディアール様の父親だ。そしてリディアール様は、グレベールを嫌悪している。だから、臣下に魔王陛下と呼ばれていたグレベールと同じように、魔王と自分が呼ばれることを嫌う」
 カリオは少し振り向いて言う。
「君もリディアール様に魔王なんて呼び方をしてはいけないよ。死にたいなら、止めないがね」
「そんな……大げさなのでは……?」
「考えてごらんよ、ニズレー君。周囲に、リディアール様を魔王と呼ぶ者がいるかね?」
 ニズレーは考える。フィリオ様、将軍閣下、副将軍閣下並びに黒軍兵士、鉄の城の使用人達────。
「見当たりませんね、確かに」
「そうだろう? それに、これはリディアール様の逆鱗に触れるから誰も言わないが、リディアール様は若い頃のグレベールに、よく似ているのだよ。もちろん、外見の話だがね」
 それは古参の貴族が、思わず見紛う程だった。
「それは、存じ上げませんでした。ですがそれはまた……」
 リディアールにとっては気に入らないはずだ。
「だが当のリディアール様は、それが嫌で仕方がないときている。皆それを知っているから、リディアール様は魔王と呼ばれていないのだよ」
 父を拒み続けるリディアールを知っている。本当は皆、呼び方などどうでもいい。彼らの王は、グレベール・ダリの三男ではなく、ただ彼らの力を信じ、臣にと言ってくれた男、リディアールなのだから。
 リディアールとグレベールが似ていない訳はない。外見も、何事でもないように人を殺せるところも。だがそれも、魔族の男子ならば持っていて当然だ。
 皆、その強さに傾倒したのではない。リディアールを信じているのだ。
 自分達の王は、グレベールのように滅びへ向かって走る王ではない、と。
「リディアール様は、誰からも頼られず、信じることもできず、育ったお方だ。周囲に味方ばかりがいても、戸惑うだろうね。なぜ皆が自分を信じようとするのか、分からない。私には、リディアール様は自分自身すら信じられなくなっている気がするんだがね」
「……そうだったのですか……でも閣下、それは閣下がリディアール様を怒らせる理由にはなりませんよね?」
「あぁ、それなら理由なんてないよ」
「は?」
「そっちのほうが、面白そうだと思ってね」
「そっち……って、何と比べたんですか?」
 混乱するニズレーをよそに、カリオは不意に<淵雅>の引き金を引いた。
 高めの爆裂音が鼓膜を震わせ、思わず硬直したニズレーの横を、何かがかすめ通った。
 少し離れたところから、動かない片腕がのぞく。
 ニズレーが背後を振り向くと、なかったはずの弾痕があった。しかしカリオの撃った弾は前に向かって放たれたはずだ。
 カリオの放った弾が敵を捉え、敵の放つ弾の軌道を変えたのだろうとニズレーが思い至ったときには、カリオは長距離連射用の大型銃を手にしていた。一体どこに持っていたのか、と思う暇もなく、カリオは百十五発の弾丸を打ち出し始めている。この<扇揺>は世界に二つしかない銃だ。今のところ、カリオとフィリオにしか扱えない。
「ニズレー君は車両に戻っていなさい。あぁ、くれぐれも流れ弾には注意することだ。私はフィリオほど正確に弾を落とせないからね」
「この場は私が引き受けます。ニズレー殿は中へ」
 見ると、将軍が剣を手に立っていた。
 足手まといを自覚しているニズレーは、一応手に剣を持ち、足早に構内に消える。
「全く、バーツェフもシルシェドールも、血の気の多いことだねぇ……」
 そう言ったカリオの口元が、愉しそうに緩んだ。
 服の端に風穴を開ける銃弾に目もくれず、フルオートに切り替えられた<扇揺>は、規則的に銃声を響かせていた。駆け抜けたディオルが愛剣<虎嘯>を振るい、飛び交う弾数は目に見えて減り続ける。
 初めの銃声から約三十三秒後、空になった<扇揺>を縦に、カリオは旧式回転銃<淵雅>を構え、疾駆する。
 普段の穏やかさからは想像も及ばない動作で、ディオル将軍の向こう側にいた狙撃手のわずかに見えた頭部を破砕すると、いきなり<扇揺>を煉瓦目がけて投げつけた。細い腕からは予想だにしない腕力で、<扇揺>の鋼の銃身は煉瓦を破砕する。
 戦いなれていないのだろうか、それともカリオの人物像をあまり分かっていなかったのか……何にせよ予想の範疇を超えた行動を取られたらしく、明らかな動揺を隠せていなかった。
 その隙を、黒軍将軍と“痩身の奇策士”が見逃す理由がない。
 瓦礫と化した赤黒い煉瓦の陰にいた若い男達は、あるものは指を銃から離してしまったことにも気付かぬままに後方へ吹き飛ぶ。
 <虎嘯>のしなやかな刃が、鮮血を流すことすら許さず切断面を焼いた。刀身は血と同じに赤く、昏く、光りもしない。
 魔装剣、そう呼ばれる剣の一つ<虎嘯>は、魔剣とは違い広範囲への影響力を持つものではない。しかし、剣自体が持ち主の魔力を食らうことで、何らかの特殊な反応が現れるものだ。
 <虎嘯>はディオル将軍の濃密な魔力によって高熱を帯び、周囲の大気を揺らめかせている。
「破っ!」
 重低音に似たディオルの一喝と共に、魔装剣はうなりをあげて風を裂いた。
 その将軍の肩を左手で無造作に掴むと、カリオは高く飛び上がる。空中では身動きが取れない。普通に考えて自殺行為だ。が、しかしお世辞にも洗練されているとはいえないあちらの弾丸は、無駄に空を通り過ぎるばかりだった。当たるかと思えば、すかさずカリオの<淵雅>の銃身がはじき返す。きっちりと彼らの心臓を貫通し続ける<淵雅>の銃口は硝煙を立ち上らせ、刹那停止した。
 弾切れか、そう思い至った者は、恐怖のためか驚くべき速さで銃を構えた。
 しかし、時既に遅し。<淵雅>は瞬きの間にホルスターに収まり、代わりにその品の良い右手にあったのは細長い剣だった。そこでようやくカリオは、崩れかけた煉瓦の上に着地した。
 流れるように彼は剣を振るい、銃を彼らの手からはじき出す。無様に倒れこむ彼らの三つの首を絶つと、微笑のまま息をついた。そのカリオの背後で、ディオル将軍も一段落ついたようだ。
 駅の構内へ戻ろうと方向転換したカリオに、ディオル将軍が声を発した。
「カリオ殿!」
 さして慌てもせず、カリオは剣をかざす。
 刀身が何かをはじいた。
「背後からは、少々卑怯だと思うがね……」
 言い終わるのと<淵雅>の銃声はほぼ同時だった。
「まぁ、戦争なんて卑怯の方が得をするのだろうが」
「カリオ殿、お怪我などは?」
「壊れてしまったよ」
 投げつけた<扇揺>の巨大な銃身を片手で軽々と持つと、カリオは右手の細い刀身をかざした。
「やはり軍用刀剣サーベルはもろくていけない。軽くて場所もとらないから、持ち運びだけは便利なのだがねぇ……」
 その中程が、刃こぼれしていた。おそらく弾をはじいた時にこうなったのだろう。
「でしたら、代わりの物を用意させましょうか? 同じものがいくつかあったと思いますが」
「そうだね……まあ後でいいよ。あちらもしばらくは大人しくしているさ。二十人でかかって負けているようでは、とても黒軍精鋭を一度に相手はできない。挑む気すら失せるというものだ。だが……少々派手にやりすぎたね」
 剣を鞘に戻し、カリオは苦笑した。
 壊れた煉瓦塀はいい。無数の弾痕もまだましだ。しかし、死体と流れた血が多すぎる。
 鮮血が石畳を濡らし、鉄錆の香は肉の焼ける異臭と混ざり合って、死の臭いを辺りに充満させていた。
「とても、アスト君には見せられない。将軍、リディアール様に伝えてくれるかね? 早々に駅から移動することをお勧めする、とね。理由は、そうだねぇ……来れば分かるし、もう分かっているはずだろうから」
「承ります」
 ディオル将軍は敬礼で返す。
「あとは、キド君のところにも誰かやらなくてはね。ここに戻ってくるのは都合が悪い」
 血に汚れた上着で頬の緋色をぬぐい、カリオはバーツェフ邸を見上げた。
「着替えくらいは、用意してくれるのかね……」
 その脳裏に、ある日のことがよぎった。



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