Blue Blood 胡蝶の夢

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十一話



「何を話していらっしゃるんですか、閣下」
「なんだ、ニズレー君。立ち聞きかね?」
 アストの座るところから壁一枚隔たった三両目の最前列で、ニズレーは待っていた。
「知っていて、話されていたのでしょう?」
「年を取ると、長話が過ぎるね」
 わざと大仰に肩をすくめて、カリオは笑っている。
「閣下の場合、長いと言うより遠まわしなのではありませんか?」
「そうだったかね? あぁ、どうも私は先読みをしすぎるのでね。そういえばユイスにも言われたことがある。私の話には一見脈絡がないらしい」
 どうせ改めようと言う気もないのだろうなと思いつつ、ニズレーは車両の中ほどに座ったカリオの横に控える。
「ニズレー君は、平気だったようだね」
「おかげ様で、何とか……リディアール様があのような術を使われたのは、予想外でしたが」
 ニズレーは貴族ではない。中級魔族だ。魔力も貴族のそれほどは強くないのだが、魔力に対抗する力だけは、貴族に匹敵するものがある。だから侯爵たるカリオの傍にいられるのだ。
「閣下、アスト様との先ほどの話について、聞いてもよろしいですか?」
「あぁ……『喚び声の刻印』のことを言ったのだよ」
「は……それは、一体?」
「君が知らないのも無理はないよ。古い術で、使われることは滅多にない。アスト君の手に蝶の刻印があるだろう、あの印がある者が、契約者を、この場合はリディアール様を喚べば、アスト君の下へ現れる。瞬間移動だね。これは呪いの一種でね、喚ばれたリディアール様は、ものすごい量の魔力を消耗する。もちろんアスト君は何の害もない」
「しかし……それほどの術をアスト様がリディアール様にかけられるとは思えませんが……」
「だろうね。おそらくリディアール様が勝手に、無理矢理かけたのだろう。進んで呪いを請け負ったんだ、酔狂なものだよ」
 後半は聞かなかったふりをして、ニズレーは頷いた。
「……成る程」
 そしてもう一つ、カリオは知っていた。リディアールがかけた術とはいえ、あくまでもこの術の主導権を握るのはアストのほうだ。だからアストのほうから術を解くことが出来る。
 それをしないのは、アストがリディアールを切り捨てられないからだ。
「さて、ニズレー君、キド君を呼んできてもらえるかね?」
「はい。呼んで参ります」
「あまりのんびりしてばかりいられない。そろそろ、使者を出さなければならないからね……」

「私のところには、手をお貸しくださらないのですね」
「マナか……その必要もないと思った」
 リディアールは背後に立つ女性を振り返る。
「そうですね……仮にも私は伯爵家の端くれだった者。女とはいえ、この程度のことに対処できないほどではございません」
「────シルシェドールも、お前達の家が本家であったなら、滅びるようなことはなかっただろう」
「詮無いことをおっしゃらないで下さい」
「そうだな……マナ、聞くが、エルベルクス・バーツェフはどこにいる? フィリオは、どこに捕らえられている?」
「さぁ……我がシルシェドール邸と違い、バーツェフ邸は迷路のようです。特に上の階には、一部の者しか立ち入れませんし、進むことも出来ないでしょう」
「……言え、マナ。知らぬはずはない」
「────知らないのは本当です。ですが、見当はつきます」
 よどみなく、マナの足は駅の出口を目指した。
 間もなく現れたのが、壮大なたたずまいとその美しさを誇る、バーツェフ本邸だ。
「エルベルクス侯は大方、最上階に。フィオは地下でしょう。牢は他にございません」
「……そうか」
 リディアールはきびすを返した。その背にマナの視線が痛い。
「マナ……すまなかった……」
 そっとリディアールは呟いた。
 マナは、この敵意が見当違いだと分かっていても、うつむくしかなかった。

「イシルラ殿、人間だと知れると面倒ですから、耳は隠してもらえますか」
「あ、そう? 分かった」
 言いながら先の丸い耳をイシルラは髪で隠す。魔族特有の尖った耳を持たないイシルラは、見る人が見ればすぐに魔族ではないと分かってしまう。
 心配していた新たな刺客は現れなかった。リディアールの術を、至近距離で受けたとはいえあらかじめ知らされていて、直接狙われていたわけではない黒軍側。これに対してなんの防御もしていなかったバーツェフ側の回復は、かなりの時間を要しているようだ。
 駅からバーツェフ邸までは、せいぜい騎獣で十分と言うところだ。ゆっくり進んだが、すぐについた。
 門前でキド副将軍は真っ先に降りると、同乗していたアストに手を貸した。その横で、騎獣なんて初めてだと言うイシルラが、造作もなく降りている。
「上手いものね、イシルラ……」
「似たようなのになら乗ったことあるからな」
 イシルラが言い終わると同時に、外門が開く。アストを背に、キドとイシルラは剣を構えた。
 しかし一応は穏便に、バーツェフの私兵はアスト達を迎える。
「バーツェフ邸へようこそいらっしゃいました。侯爵ロードがお待ちかねです。物騒な物は、おおさめを……お預かりいたします」
「お断りする」
 キドは副将軍たる武人の威圧感を漂わせ、即答する。その表情には特に変化がないものの、声は明らかに臨戦態勢の真剣さをはらんでいた。
「我らはこちらの正使アスト様の護衛を仰せつかった身。武器を手放すわけには参りません」
 キドの黒い制服は、何も言わずとも周囲の人に圧力を与える。
「別に戦いに来たんじゃないんだぜ? いいじゃん」
 全く緊張感のない声でイシルラが言う。
「お通ししなさい。その方々の言う通りです」
 内門から現れた男はそう告げると、嘲笑に近い明らかな作り笑いをした。
 まるで、今は手を出さないだけだ。死にに来た馬鹿な者共よ、とでも言うように────。
「ご無礼をお許し下さい。どうぞこちらへ。侯がお待ちです」
 それを見て、二人は同時に剣をおさめ、両側からアストの手を取った。
 今まで二人の陰になって見えなかったアストの姿を見た瞬間、一同は息を呑む。
「……参りましょう」
 男はそう搾り出したように言うと、先頭に立って歩き出す。
 だが、目に焼きついた姿は消えるはずもなかった。
 嘘のような絶世の美姫が、残像となって脳裏にちらつく────。

 アストがキド副将軍とイシルラを連れて出発して間もなく、見送りに来なかったリディアールの元を、カリオが訪れていた。
「何の用だ」
「会わなくて、宜しかったのですか?」
 嫌な沈黙が流れるが、傍に控えるディオル将軍とニズレーは為す術もない。
「────……会えない……」
「なぜ?」
 カリオはいつものように人好きのする笑顔で、リディアールを見ていた。




「ねぇ、前から気になってたんだけど」
「何がだ?」
「何で使わないの? <月華>の力」
 古城を思わせる古い洋館のエントランスに、リディアールとフィリオは立っていた。
「あまり意味がない」
「そうなの?」
 一面、鮮やかな血に濡れていた。血を吸った絨毯の上を移動するたびに、その緋色がはねる。
「常時臨戦状態の者は、気が高ぶっているだけに、順応力も高い。ましてや恐怖を狂気に変えるのが戦場だ。下手なことをして、余計に暴れられても面倒だからな」
 落ちている腕をまたぎ、リディアールは床に転がっている男の心臓に<火雲>の刃をつき立てた。
「手加減すればそうなる。だが手加減しなければ、味方まで壊しかねない」
 手のひらに残る、肉と骨を絶つ感触。そして、乾いて黒くなりつつあるリディアールの金髪に散った血。
 その金は血と混ざり合ってなお、底光りしていた。
「安心していいよ、リディ」
「何のことだ?」
「オレはリディの術で壊れたりしないからね」
 不敵な顔でフィリオは、階段の上で細く息をしていた少年の頭部を撃ち抜く。こだました銃声が消えると、辺りは静かになった。
「どうだかな……」
「信じろよ。だってオレ、リディが怖いなんて思ったことないよ」
 暗い部屋に、陽光が差した。
「……まぁ、信じておこう」
 十二色のステンドクラスを通って、その光はこの家の主だった男の首を照らす。
「終わりか?」
「そうだね……次は?」
「さぁ。ディオルに聞かねば分からん」
「しょうがないなぁ……リディ司令官なんだから、しっかりしてよ」
「────悪かったな、適当で」
「分かってるならもうちょっと普段の態度で示さない?」
「それは、保障できない」
「これだからリディは……あ、今笑った? リディ、待てって────」

 恐れるがいい。畏れるがいい。
 ただ、お前だけは、私を恐れるな。
 あの日の何気ない一言を、私はまだ信じているのだ。


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