Blue Blood 胡蝶の夢

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十話



「リディアール様、戻られませんか?」
「────あぁ」
 カリオに促され、リディアールはいくらか平静さを取り戻した声で言う。
「言霊と言うものは、実に不思議ですね……リディアール様の魔力をもってしても不可能なことを、可能にしようとは。私もいささか驚きましたよ」
「私を無能だと言いたいのか、カリオ」
「まさか、滅相もない」
「……それよりもカリオ、お前は思いつきで物を言いすぎる。本当に失敗したら、どうするつもりだった?」
「どうもいたしません。私はおそらく死んでいましたから」
「よくも、ぬけぬけと言ったものだ」
「申し訳ございませんねぇ」
 少しも悪びれず、カリオは平然と言い放つ。
「……もういい」
「そうですか。あぁ、そう言えばリディアール様」
「何……────」
 カリオはリディアールの胸元に、細身の剣を突きつけている。
「……カリオ、ふざけが過ぎれば、お前とて容赦はせんぞ」
「怖いことをおっしゃいますね。何、ちょっとした余興ですよ」
 すっと剣を下げると、カリオはリディアールの顔をわずかに見上げた。
「余興だと?」
 いかに至近距離で剣を突きつけられようと、リディアールが剣を持っていなかろうと、リディアールは大抵の者には負けない。素手で勝てないとすれば、フィリオと、ごく少数の貴族達だ。そして……あるいは、イシルラも。
「憶測で物を言うのは、このくらいにしましょう。ですね、リディアール様」
 一体何が憶測だったのか。分からなくてもリディアールは問い詰めなかった。
「────そうだな」
「リディアール様」
 狭い廊下に出た二人は、風とエンジンの音に消えかける声を交わす。
「一つ、これだけは申し上げておきたい」
 微笑の中の真摯な瞳。フィリオと同じに、それは透き通るあお
 けれど同一には重ならない、不思議に似通ったその瞳。
「私はフィリオを失う気はない」
「何を今更」
「私はゾルバ家当主として、家を取ります。但し私は私個人として、あの息子をただ見捨てる気はない。いい機会ですから言っておきましょう。たとえ貴方が敵に回っても、私は息子あれ息子あれの味方をするでしょう」
「……お前も、人の親か?」
「という、あくまで気持ちの問題ですがね」
 リディアールはため息混じりに言った。
「その言葉、あの従者に言ってやるといい」
「ニズレー君は素直ないい男だ。死なせるには忍びない」
「……そうか」
 カリオにはカリオなりの、考えがあるのだろう。
 決して読むことのできないその真意が、表面だけでも垣間見えた気がする。
「カリオ、私も一つ聞こう」
「何なりと。お答えできることならば、ですがね」
「今の言葉、余興の続きか?」
 何の変化もない表情で、カリオは遠くを見たまま言った。
「どう取っていただいても、私は構いませんよ」
「相変わらずだな、お前は……」
「────あぁ、そろそろ着くようだ」
 カリオの視線の先に、バーツェフ侯爵領の外郭が現れていた。

 サイル国王都サイラスに隣接するレルラという町は、四大貴族が一、バーツェフ侯爵家の領有する土地だった。しかし、二年前の革命の折、四大貴族の一角ダルス家が滅び、新王リディアールはバーツェフ侯爵家からも統治権と爵位を剥奪した。
 今となっては、サイル国内において正式に貴族を名乗ることができるのは、革命以前の半数に満たない。それは四大貴族も同様だった。
 現在、かつての四大貴族の地位を保つのは、二大貴族と称されるゾルバ侯爵家とハース侯爵家。
 それにもかかわらず、この二家と変わらない巨大な権力を行使できるのが、バーツェフ家だった。
 元々、四大貴族の中でも頂点を争うとされていたのが、ゾルバ家とバーツェフ家だった。たかだか数年王位にある程度の王の言を、素直に聞き入れる耳は持っていなかった。サイル国における王の地位とは、絶対のものでいて通用しない場合があるのだ。バーツェフ家は貴族の中でもゾルバ家に次ぐ長い歴史を誇る旧家であり、民は彼らに治められることをごく当然のこととして受け入れていた。そうさせるだけの十分な時と、手腕があったのだ。
 リディアールからバーツェフ家への処分が下った時、疑問を抱いた者も少なくなかった。
 バーツェフ家は革命の折、ゾルバ家やハース家同様、中立を保っていた。
 厳密に言えばゾルバ家はその嫡子フィリオがリディアール側の中枢を担っていたから、完全に中立だったのはハース家とバーツェフ家だけだといえる。
 それなのになぜ、いかなる理由でバーツェフ家だけを処分するのか。するのなら、ハース家も同様にすべきではないのか。
 そんな声が上がったが、リディアールは処分を撤回することも訂正することをなかった。
 やがて革命後の混乱の中で、そのような非難はかすんでいった。
 混乱の続く中、その影響をサイル国で一番受けていなかった都市がタールテール──ゾルバ侯爵家本家直轄の領だ。むしろそこは衰えるどころか、それまで以上の活気を保っていたとも言われる。




 革命後の即位式から数日後、それは届く。
「────と、こういった話です、閣下」
「成る程ね……ニズレー君は、なぜリディアール様がハース家に何も言わないか分かるかね?」
「……ハース家がどうこうと言うよりは、バーツェフ家に問題があるのではないですか?」
 ゾルバ邸本館、整然と無数の銃器が並ぶのは、当主カリオの私室の一つだ。
「まぁ、そういうことだ。リディアール様は政治手腕について言えばそれほどでもないようだが、そういう勘はいい方のようだからね」
「そういう、と言いますと?」
「敵意や悪意の類を見抜く勘だよ。ニズレー君、リディアール様に嫌われることがあったら、意地やプライドは捨てて逃げてしまうことをお勧めしよう」
「じょ、冗談はおやめ下さい、閣下」
「本当さ。まぁ確かにニズレー君が嫌われることなんて、滅多なことではないと思うがね。……つまりバーツェフ家は、リディアール様を良く思っていないということさ」
「そうは、見えませんでしたが……」
「そう見える者ばかりなら、私も苦労はしないよ。それにニズレー君の目の前に、見た目と中身の一致しにくい人がいるだろう?」
「……えぇ、それは……褒め言葉として肯定いたします」
「ありがとうと言っておこう。ニズレー君はバーツェフ家の当主に会ったことがあったかね?」
「いえ、お見かけしたことならありますが」
「あの男はね、ことが起こっている間は喜んで傍観者に徹する。そして何も起こらなくなれば、間違いなく自ら騒ぎを起こそうとするのさ。これまではグレベール王が勝手に騒動を起こしてくれていたから、エルは……あの当主は退屈せずに済んでいたのだろう。だがリディアール様は進んで争いを引き起こすような真似はしない」
「では、敢えてリディアール様に逆らうようなことをする、と? わざわざ家を滅ぼすようなものですよ……?」
「どの道その心配もなくなった。爵位を剥奪された今、残っているのはプライドと無駄に長い歴史くらいだ。バーツェフ家は、リディアール様に勝てば領地を取り戻せる。逆に負けても、処分の下った今となっては失うものなどない。せいぜい自分の命くらいだよ」
「死を覚悟した上で、行動を起こすのですか?」
 カリオは窓を開け放す。そして、刹那引き金を引いた。
 驚くニズレーに構わず、カリオは続けた。
「退屈で死ねる者も、世の中にはいるのだよ」
 白煙を上げる旧式の回転銃<淵雅>の銃口は、再び火花を散らして弾丸を吐き出す。
 ほんの数秒の間、カリオは視線をニズレーに移す。
 そして次に視線を戻すと、そこにはあるはずの死体はない。血痕だけが残されている。
 死体を放置するようなことはしないらしい。
「だから、バーツェフ家は滅びの道をたどっている。リディアール様が革命を起こした、その日からね」
「……閣下、私達は────」
「そんなことは言っても仕方がないよ、ニズレー君。少なくとも私は、中立を通すつもりだがね。それに、現状でリディアール様が負けることはないだろう」
 カリオはその先に続く言葉を言わなかった。
「ニズレー君、悪いがねずみが入ったと、庭師に伝えておいてくれるかね?」
「は、はい。それでは……あ、奥様から一つ伝言がございます。勝手に動いて下さるな、と」
「あぁ、それでは、善処すると伝えてくれ」
 窓の外、この領地ですら敵の多い世界。
 この分では、敷地内も安全とは言い切れない。
「ニズレー君、ユイスにもう一つ。気を付けなさい、と伝えておいて欲しい」
「確かに、承りました」
 カリオは口元を手で覆う。人前ではあまりしないが、それは考え事するときのしぐさだ。
 カリオには、波瀾に始まった八代国王リディアールの治世が、ただで済むとは思えない。
 それでもリディアールが王でいることは簡単だ。
 但し────

 そう、リディアール様の治世が危ういのは、何よりもただ一つ。
 副官にフィリオを据えてしまったということだけだろう。
 リディアール様は真の魔王として君臨できる。
 最強の名に違うことは決してない。
 決して負けはしない……そう、フィリオが生きている限りは……。
 それがどんなに危険なことか……きっと貴方は気がついていらっしゃらないのでしょうね、リディアール様────。

 その時カリオは、リディアールの治世を願う己にはっとした。
 そして悟る。
 あぁ、私はもう、長くはない、と……。


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