Blue Blood 胡蝶の夢

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一話


 いつの間にかもとに戻った青銀髪をゆるく束ね、アストは外へ出た。
 それというのも、よからぬ気配を感じたからだ。
「何のつもり?」
 剣をかざした三人組は、アストを取り囲むように回りこむ。イシルラはまだ中だ。
「無駄なことはやめて。死にたくなければね」
「女一人に負ける気はしないねぇ」
「三人がかりなんて、卑怯だと思わない?」
「念を入れておくのさ」
 アストは思案する。彼女は弱くはない。そうでなければ、あの戦乱の時代をたった一人で生き延びられはしなかった。とはいえ、相手が三人では逃げるだけでも難しい。
 やるしか、ない。

 物音に気がついて、イシルラは外へ走った。
 そこには、足を払われそうになっているアストがいる。
「危ない!」
 その大声で一瞬男の動きが鈍り、そして一人がイシルラを攻めにかかる。
 イシルラは剣を抜く間もなく、あやうく肩口を切りつけられて逃げた。戦力として期待は出来そうにない。
 そうこうするうちに、アストは背後をとられて地面に殴り倒された。
 強い……。どうやら中級魔族だ。
 アストは何とかもがいたが、まるで歯が立たない。
「……ディ…リディアール、何をしている……」
 我知らず、アストは魔王の名前を呼んでいた。
「リディアール!!」
 手の甲に刻まれた、蝶の刻印が光った。


「────アスト……」
 呼び出されたリディアールは、茫然と辺りを見渡し、次の瞬間頭に血が上る。
「貴様ら……」
 それはどこまでも昏い声。
 美しすぎる金髪に似つかわしくない、闇のような瞳が、引き込まれるほどに昏い。
 理屈じゃない。
 本能が、肌が、伝える。
 畏ろしい。

 ──────魔王。

 これこそが、魔族の長。


 リディアールはその静かな怒りで、たちまち逃げ惑う男たちを追い詰めた。
 ほんの数秒の出来事だ。
 剣は抜かない。素手でも十分すぎる。
 力を発現している時の彼の指は、鋼の硬度にも劣らない。
 アストはその姿を、どこか夢の中のように見守っていた。
「やめて、もう、いい……」
 正に、一人目の命を奪おうかという時。
 リディアールの手が止まった。
「────だが……」
「──私の目の前で誰も殺さないで……“二度と”……」
 はっとリディアールはアストを振り返った。
「血は、たくさん」
 吐き捨てるようにそう口にしたきり、アストは口を閉じた。
 リディアールは殺気をおさえ、男達を昏倒させるにとどめる。
 嫌な沈黙はしかし、そう長くは続かなかった。
「アスト、この人は?」
 イシルラは悪びれない様子でそうたずねる。アストは思案した。
「お前こそ、何者だ? アストとなぜ共にいる? 答えによっては、生かしておかぬ」
「怖いなぁ。オレはイシルラ・キデロ。アストを連れ出したのはオレだけど、別にいいだろ? オレの見た限りあんたみたいなのはいなかったぜ?」
 リディアールは明らかに、機嫌が最悪という顔をしていた。放っておいたら本当に殺しかねない。
「リディアール、その辺にしておいて……私も悪かった。せめて書置きくらい残すべきだったわ」
「しかしアスト、そのせいで危険な目にあったのだぞ?!」
「ここへ誘ったのも私よ……もういいでしょう? 疲れたわ。帰りたい」
 リディアールから視線をそらし、アストは森へ歩き出す。
「行かないの? 置いていくけれど?」
「あ……しかし、ここはかなり家から遠いようだが……」
「それはイシルラが何とかするでしょ、飛龍もないから。────早く帰らないと、フィオが捜すわ」
「────あぁ……」
 イシルラはリディアールを追い抜いて、アストの隣へ行くと手をつなぐ。
 大して気にした様子もないアストとは裏腹に、リディアールは奪うようにアストを引き寄せた。
「リディアール、何がしたいの?」
 イシルラは少し眉を寄せ、聞く。
「アスト、その人アストとどういう関係なんだ?」
「お前には関係なかろう!」
「リディアール、少し黙って」
 ため息混じりに、つかまれた肩を引きはがすようにどけた。
「別に、ただの知人よ」
「アスト……それはあんまりではないか?」
「────じゃあ、何といって欲しいの?」
「そ、それは……」
 先を言えば怒られると分かっていたから、リディアールは続けられなかった。
「じゃ、そろそろいくぜ」
 森に入ってしばらくしたところで、彼は突然言う。
『導け』

 景色は一見して変わったところはない。
「何だ?」
 リディアールが言うと同時に、アストの住む家が見えた。
「────移動術、は違うな。……“言霊”か?」
「知ってるの、リディアール」
 アストが問う。だがリディアールは自分に言い聞かせるように呟いただけだった。
「そうだ……人間の使う、奇妙な力……」
 茫然とイシルラを見て、尖っていない耳に目を留める。
「奇妙って、魔族だって似たようなもんだぜ?」
 リディアールは生まれて初めて見る人間を凝視した。
「壁を通ったのか?」
「それが、どうかした?」
 アストはリディアールの動揺ぶりに、思わず聞いていた。
「古い伝承だ────壁を越えた者は、何かを成さなければ再び反対側に戻ることはできない……と」
「へぇ、そんな話があったんだ。でも、本当だと思うぜ。だってオレ、戻ろうかと思ったけどだめだったし」
「本当って、イシルラ……そんな簡単に、それでいいの?」
「だって、今更だろ。アスト、帰るところのないオレを家に置いてよ」
「だめだ、ならぬ!」
 ものすごい勢いでリディアールは言い放つ。
「構わないわ、私は」
「ア……アスト!」
「どうせ部屋は余ってるしね。ライナと二人だと、不便なことも多いから。男手があったほうがいいわ」
「私が行く!」
「貴方は忙しい。それに、人間を街中に放り出す訳にはいかないでしょ?」
「しかし……」
「人間をよく思わない者もいる、そのくらい分かっているはずよね」
 ライナとフィリオがいつの間にか近くまで来ていた。それに気づいたリディアールは、心を落ち着かせるためにも呼ぶ。
「フィリオ、来ていたか」
「リディはここに戻ってくると思ってね。城でストラールが待ってるから、早く帰るよ」
「待て、それどころではないのだ」
 言ったきり、見知らぬ男イシルラを睨むリディアールを見ながら、フィリオはあきれつつも微笑した。
 本当に、アストに関することとなると、リディアールはまるで子どもだ。
「アスト、ならば……ならば、私の近くに来い。もう城内も臣も安定したところだ」
「それは、解決になっているの?」
 渋面で考え込むリディアールは、重々しく口を開いた。
「ならばイシルラ、か? お前も来るがよい」
 それは意外な発言だった。フィリオもライナも耳を疑う。
「────これならよかろう? フィリオ、帰るぞ……」
「え、あ、うん」
 フィリオの連れてきた飛龍に乗ってから、リディアールは去り際に一言。
「後で迎えに来る」
 完全にその姿が消えてから、アストはイシルラの暢気な顔を見てため息をついた。城に彼も連れて行くという行動は、さすがに予想外であったのだ。
「イシルラ、構わない?」
「オレはいいけど、城って、なに?」
「あぁ……文字通りよ。リディアールの家はこの国の城。“鉄の城”と呼ばれる、魔王の城」
 それを聞いたイシルラは、初めてまじめな顔をした。
「……魔王……」


 城への帰り道、飛龍の上でフィリオは仏頂面のリディアールに話しかけた。
「どういう心境の変化?」
「アストは、前から城へ呼ぼうと思っていた……別に、なんでもない」
「そう? 別に理由があるって顔してるけど?」
 相棒のからかうような口調に、リディアールはかえって気分をよくした。
「そうだな……確かにある。フィリオ、気がついたか? イシルラ、あの男は人間だ」
「……それはまた、本当に?」
「あぁ。少し興味がある。人間と我らの違いというものに」
 もう振り返っても見えない“悪意の壁”の向こう側の世界にも、興味がある。
 あの男が、何を成すのかにも。
「変革者、か────」
 フィリオもリディアールのそんな様子を見て、呟いた。
 彼がこの国に、世界にもたらすのは、一体何なのか。
 それから、一転してからかいの表情を浮かべる。
「ねぇ、アストのこと気に入ってたみたいだね、彼も」
 それを聞くと一気に、リディアールは機嫌を悪くする。
「そんなことは分かっている」
「そう?」
 それきり会話は途切れ、澄んだ空を飛龍は猛スピードで進んでいった。


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